- toshihiro36
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<ナレーション> 旧ソビエトのベラルーシ共和国。雪の中をまっすぐのびる道。この30キロ先にチェルノブイリ原子力発電所があります。通行を厳しく禁じるゲート。今も人は立ち入ることができません。しかし、そのすぐそばでは放射能に汚染された土地で暮らしを続けてきた人たちがいます。
2012-03-09 06:27:08<ナレーション> 人類が経験した史上最悪の原発事故。外部に放出された放射性物質は、東京電力福島第一原発事故の7倍にのぼります。ベラルーシは国土の4分の1が汚染されました。あれから26年、汚染された大地で農業は再生できるのか?
2012-03-09 06:36:54<ナレーション> 人々の暮らしや健康は守れるのか? 放射能と隣り合わせで生きること・・・チェルノブイリ被災地の日々を見つめました。
2012-03-09 06:40:59<ナレーション> チェルノブイリから半径30キロ圏内に周辺に設定された立ち入り禁止区域。そこに隣接するホイニキ地区です。事故直後、地区は高濃度の放射能に汚染されました。日本では計画的避難区域に相当するレベルです。ホインキには現在、およそ2万人が定住しています。
2012-03-09 06:47:01<ナレーション> 地区の主な産業は、農業と酪農です。とれた農作物は全国に出荷されています。この生活を取り戻すまでには、放射能との長い闘いがありました。地区の農業の責任者・ニコライ・サプチェンコさん(62)です。26年間、汚染対策の先頭に立ってきました。
2012-03-09 06:54:46<ナレーション> ホンイキでは現在、ジャガイモや麦など年間1000トン以上を収穫しています。農作物はすべて国が定める残留放射性物質の基準値を下回っています。ベラルーシの基準は日本と同等か、より厳しいレベルです。
2012-03-09 07:01:11<ナレーション> ニコライさんがこの地区の農業に欠かせないものを見せてくれました。地区の農地が細かく色分けされた地図。国が4年ごとに配布する、放射能汚染度マップです。ニコライさんが管轄する農地のひとつです。南北5キロ、東西3キロあります。
2012-03-09 07:58:26<ナレーション> 平均100メートル四方に区切られ、それぞれの土壌に残る放射性物質のレベルが色で分かるようになっています。国の基準を超える土壌は、黄色やオレンジで示されます。目に見えない汚染の実態を、見える形に浮かび上がらせるのが汚染度マップです。
2012-03-09 08:02:42<ナレーション> 実際に農業はどう行われているのか。去年5月、私たちは初めてホイニキを訪ねました。ちょうど牛のエサになる牧草の収穫が最盛期を迎えていました。農作業では土壌に残る放射性物質を避けるさまざまな対策がとられています。
2012-03-09 08:08:46<ナレーション> 土ぼこりによる被曝を避けるため、トラクターは運転席の気密性が高いものが使われます。胸には積算線量計がつけられます。ここ10年、基準を超えた人はいません。ベラルーシでは汚染度が高い地域で収穫された農作物でも、国の基準を下回れば出荷できます。
2012-03-09 08:13:17<ナレーション> この日、汚染度マップを手にニコライさんが向かったのは、放射性セシウムが今も多く残る区画です。ニコライさんはここにあるものを撒くよう指示しました。化学肥料のカリウムです。土の中にある放射性セシウムは、根から吸収され植物に蓄積されます。
2012-03-09 08:17:15<ナレーション> しかしカリウムを撒くと、先にカリウムが吸収されセシウムの蓄積を最大3分の1まで減らす効果があるとされています。 ただカリウムは撒きすぎると土壌の栄養が偏り、作物に悪い影響を及ぼします。吸収される放射性物質を効果的に減らせる量はどれくらいなのか。
2012-03-09 08:22:35<ナレーション> ニコライさんはホイニキで生まれ育ちました。これまで、この土地を一度も離れたことはありません。チェルノブイリ原発事故が起きた時、ニコライさんは36歳でした。事故直後、地区の大半は任意避難地域と指定され、避難するかどうかの判断は住民に委ねられました。
2012-03-09 08:31:03<ナレーション> 放射能の影響を心配する住民は、次々とホイニキを去っていきました。それでも故郷を離れられないと、数千人がとどまりました。ニコライさんも地区の人たちと農業の再生を目指す道を選びました。
2012-03-09 08:35:00ニコライさん: 本当の豊かさとは、故郷の土地や人と共にあるのだと思います。事故の前と同じように、この土地で作物を育てたいと努力を重ねました。とにかく必死でした。
2012-03-09 08:38:02<ナレーション> ニコライさんの妻・ニーナさんは当初、夫とは違う思いでいました。事故が起きた時、息子は8歳、娘は3歳の誕生日を迎えたばかりでした。子供の将来を考え、思い悩んだといいます。
2012-03-09 08:41:16ニーナさん: 夫はいつも「地区のため、みんなのためだ」と言っていました。私は車に乗っている時、いっそこのまま出ていきたいと何度も思いました。でも家族ですからねえ…家族ですから。
2012-03-09 08:44:34<ナレーション> ベラルーシの汚染対策は国の強いリーダーシップで進められてきました。その前提となる考え方は、放射能の影響が残る土地でも人々が暮らしていけるようにすることです。
2012-03-09 08:47:13国家チェルノブイリ対策委員会・副局長:国が十分な対策を行い、住民がそのことを理解すれば、汚染された地域で生活することは可能です。正しい情報さえあれば、不必要な混乱は起きないのです。
2012-03-09 08:50:04