イザヤ・ベンダサンbotまとめ/『世界で初めて二権分立(朝廷・幕府併存)を確立した日本』

イザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』/政治天才と政治低能/71頁以降より抜粋引用。
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イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

①天才乃至は天才的人間の特徴は自分のやった事を少しも高く評価しない点にある。そして他人の目から見れば実に下らぬ児戯に類する事を、却って長々と自慢するものである。例としてよく引合いに出されるものに、シーザーが自らの発明と称して『ガリア戦記』で得々と解説(続<『日本人とユダヤ人』

2012-03-07 21:27:05
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

②>している「架橋機械」がある。日本人も、時々、こういった「架橋機械」の自慢はするが、私の目から見れば、日本人のみが行い得た政治上の一大発明については、誰も黙して語らないし、誰も一顧だに与えていないのである。私が言うのは「朝廷・幕府併存」という不思議な政治体制である。

2012-03-07 22:27:09
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

③これは七百年以上続いたわけだから日本の歴史の大部分は、この制度の下にあったといえる。これは一体、誰のアイディアなのだろう。考えてみれば不思議である。

2012-03-07 23:27:14
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

④しかしこの独創的な政治制度も、戦前は「わが国の国体にもとる」ものとされ、あの軍人勅諭では、「世のさまの移り変りてかくなれるは人の力もて引き返すべきにはあらねど」も、まことに「浅ましき次第なりき」とされていて、出来る事なら消してしまいたい事態だとされている。

2012-03-08 00:26:53
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑤かわって戦後ともなると、何もかも一緒にして「封建的」の一言で片づけられ、この不思議な制度は、常に無視され黙殺されているのである。朝廷・幕府の併存とは一種の二権分立といえる。朝廷がもつのは祭儀・律令権とも言うべきもので、幕府がもつのは行政・司法権とも言うべきものであろう。

2012-03-08 01:26:55
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

統治には、一種の宗教的な祭儀が不可欠である事は古今東西を問わぬ事実である。無宗教の共産圏でも、例えばレーニンの屍体をミイラにして一種のピラミッドに安置し、その屋上に指導者が並んで人民の行進を閲するのは、まさにファラオの時代を思わせる祭儀である。

2012-03-08 02:26:55
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑦誤解されては困るが、私は絶対にこういった行為を野蛮だと言っているのではない。蛮行とはもっと別のことであって、このような祭儀行為とこの祭儀を主催する権限とは、常に最高の統治権者が把持してきた、非常に重要な権限だ、という事実をのべているのである。

2012-03-08 03:26:53
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑧だが、祭儀権と行政権は分立させねば独裁者が出てくる。この危険を避けるため両者を別々の機関に掌握させ、この二機関を平和裏に併存させるのが良い、と考えた最初の人間は、ユダヤ人の預言者ゼカリヤであった。

2012-03-08 04:26:54
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

近代的な三権分立の前に、まず、二権の分立があらねばならない二権の分立がない所で、形式的に三権を分立させても無意味である。それがいかに無意味かは、ソヴェトの多くの裁判を振りかえってみれば明らかであろう。

2012-03-08 05:27:01
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑩西欧の中世において、この事を早くから主張したのは #ダンテ である。彼は、この二権の分立を教権と帝権すなわち法皇と皇帝の併存という形に求めた。

2012-03-08 06:26:55
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑪法皇は一切の俗権が停止されねばならぬ。皇帝は法皇に絶対に政治的圧力を加えてはならぬ。そして両者が車の両輪のごとくになって、新しい帝国が運営さるべきであると考えた。だが #ダンテ の夢は夢で終った。彼が日本の朝廷・幕府制度のことを知ったら、羨望の余り、溜息をついたであろう

2012-03-08 07:27:18
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

#ダンテ の夢が夢で終ったように、ゼカリヤの夢も夢に終った。~略~日本の天皇はヨーロッパ的意味の皇帝ではない。少なくともインぺラトールではない。美々しい鎧に身を固め、馬上豊かに騎士団を引き具して行く皇帝の姿は絶対に日本の天皇にはない。

2012-03-08 08:27:55
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑬私は、随分探したのだが、まだ、鎧をつけた天皇の像を見た事がない。また天皇は必ず「こし」に乗っている。その外容はヨーロッパ的に見れば、皇帝よりもむしろ法皇に近い。私は、天皇を、後述する「 #日本教 」の大祭司だと考えている。そして将軍はまさに総督である。

2012-03-08 09:27:06
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑭もう一度問う、この素晴らしい制度は、一体どんな政治哲学に基づいて、誰が考案したのであろうか?事実、祭儀と行政司法と宮廷生活とが混合していた中世ヨーロッパの政府は「政府」などといえる代物ではなかった。それと比べれば幕府すなわちヨリトモ政府は、何と素晴らしいものであったろう。

2012-03-08 10:27:18
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

恐らく当時の世界の模範であったに相違ない。これは絶対に私の独断ではない。少しでも日本の歴史を知っている外国人はみな同じ感慨をもつ。例えば~略~H・G・ウェルズにしろ、内心では余り日本を高く評価していなかったネールにしろ、このヨリトモ政府だけは、見逃しえないのである。

2012-03-08 11:27:15
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑯だが、これをさらに研究しようとすれば大きな障害につきあたる。それは日本人自身が、このことを少しも高く評価しない、という現実である。天才とはそういうものなのであろうか。いずれにせよ、ここで、政治というものが実務として独立した。実務である以上、能力ある者がこれを担当する。

2012-03-08 12:27:14
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑰北条氏は陪臣にすぎないが、この陪臣が当時の全日本の行政を実に長期間担当している、しかもあくまでも陪臣として。という事は、行政司法を担当するのは天皇であらねばならぬ、と誰も考えなかったからであろう。見事な分立といわねばならない

2012-03-08 13:27:11
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑱さらに不思議なことがある。「民・百姓の為なら天皇を遠島にするも致し方ない」といった北条義時の考え方、また「天皇様御謀反」といった考え方、だが一方「もし錦旗を立てて」天皇が先頭に立ってくるなら「馬を下り、弓のつるを切って」いかような御処分にも従えと泰時にいったその言葉。

2012-03-08 14:27:09
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑲この朝廷・幕府併存制度の先覚者の言葉は、 #勝海舟 が『氷川清話』で言及しているように、非常に明確で立派な政治理念の裏打ちがあった筈である。これらの政治理念は、中世ヨーロッパの皇帝や宰相や騎士団の考え方とは、雲泥の差がある事は言うまでもない。

2012-03-08 15:27:01