『ゼロ年代の想像力』の性愛論について
- crowserpent
- 21927
- 22
- 20
- 1
宇野常寛『ゼロ年代の想像力』を再読したけど、やっぱりいくつかの疑問が残る。彼は政治の公共性を否定して文学の公共性を肯定するけど、私にはこの二つは分けられないと思う。たとえば、彼はセカイ系作品を「女性差別」的なレイプ・ファンタジー、母性のディストピアだと言って批判する(続
2012-02-12 22:06:31そこで宇野は、「女性差別はよくない」という一つの立場に依っている。その善悪観は、フェミニズムの政治によって見出されたものだ。つまり彼は、すでに一つの政治を真正だと決めているのだ。これは、彼が政治の公共性を否定して「歴史修正主義は全く構わない」と言うことと辻褄が合わない。
2012-02-12 22:18:58歴史修正主義には、従軍慰安婦という「女性差別」の問題が含まれている。もし宇野がそれを“全く構わない”と言うなら、「レイプファンタジー」も「母性のディストピア」も“全く構わない”と言うべきだ。もちろん、彼はそう言わないだろう。ならば、やっぱり政治の公共性も訴えるのが筋だ。
2012-02-12 22:26:12文学の公共性を信じることは、それを支える政治の公共性を信じるということだ。彼は、アーキテクチャによる環境管理を新たな政治として謳う。しかし、その理念もまた実際にはかつての政治抗争のなかに投げ込まれる。彼は文壇・論壇の左翼論理を叩くが、私には両者がそこまで違うと思わない。
2012-02-12 22:34:33また、彼の性愛論はとても問題がある。彼は女性を「所有」するような関係を批判するが、その代わりに「年齢差のある男女」「同性愛」を“所有の起きない関係”として肯定する。けど、年齢差があっても恋愛はするし、同性愛者も相手を「所有」する。それをわざわざ分ける意味はどこにもない。
2012-02-12 22:45:18宇野は東浩紀を批判する際、オタクが「恋愛ゲーム」をしていることを挙げる。「やはり動物化しても他者との対話や恋愛を望むのだ。恋愛によって他の文化圏と出会うのだ」と。それが、文学の公共性が残っていることの理由らしい。でも、本当に恋愛ゲームは「現実の恋愛」の“代わり”なのか。
2012-02-12 22:53:02実際に恋愛しない者がいる以上、性愛は公共性をつくらない。さらに言えば、恋愛は小さな文化圏の一つで、すでに多くのルールに囲まれている。したがって、他者との出会いも対話も生まれない。むしろ現実の恋愛さえある種の恋愛ゲームであって、どちらがどちらの“代わり”とは言えないのだ。
2012-02-12 22:58:08私は、彼の「レイプ・ファンタジー」「母性のディストピア」「安全に痛いパフォーマンス」といった概念が間違っているとは思わない。でも、その概念から完全に自由な性愛は、少なくとも彼の理屈から見出すことはできない。アスカが放った「気持ち悪い」も、別に「本当に痛い」ものではない。
2012-02-12 23:08:49とはいえそうした問題点さえ除けば、私は宇野の論に賛成するところも多い。「なにが正しいかは政治で勝利した者が決める」という主張は、晩年のミシェル・フーコーが「真理のゲーム」という言葉で述べたものである。新たな真理をつくり出すために語り続ける命がけの遊戯は、全面化したのだ。
2012-02-12 23:24:11@suna_kago 僕は 「歴史修正主義は全く構わない」と主張していません。歴史修正主義にハマる人たちが出てくるのは止むを得ない、止められない。その上で、どう倫理的であるべきかを考えた本が「ゼロ想」です。(たとえば小林よしのり「戦争論」批判がそう。)
2012-02-12 23:54:30@suna_kago 「「年齢差のある男女」「同性愛」を“所有の起きない関係”として肯定する」→そんな単純な主張していません。ちなみに「ゼロ想」の着地点は「恋愛に超越性を読み込むな」ですよ、むしろ。
2012-02-12 23:54:46@suna_kago 全体的に批判しやすいように相手の主張を過大に脚色しすぎだと思います。学生さんのようですが、こんなインチキな手で偉そうなこと書いても仕方ないですよ。他にもほんとうに山ほど突っ込みどころはありますが、さすがにバカバカしいので、この辺で。
2012-02-12 23:55:11余談。「みんなが小さな文化圏に引きこもり、他者を排除して生きている。誰もその状況から逃れられない」というのは、以前ツイッターで会話したことに関わるな……。私は、選民意識や排他性から完全に自由な人は決していないと思う。危険なのは「自分だけは違う」と思いこんでしまうことだ。
2012-02-12 23:59:11「そんな主張はしていない」と氏は仰るが、実際にそう書いてあったのだから仕方がないし、私も「主張」ではなく前提の「性愛観」を問題にした。歴史修正主義については「全く構わない」ではなく「仕方ない」らしいけど(?)、ではなおさら氏は政治の立場をはっきりさせる必要があるのでわ。
2012-02-13 01:13:50なお、私は氏の活動を旧・惑星委員会のころから追っている比較的古いファンの一人で、今回は疑問点(たとえば、押井版草薙素子の思考様式を「男性的」と形容するのは意味不明だ)をクローズアップしてツイートしたけれど、むろん賛成する面も多い。ということは付け加えて、あとはブログで。
2012-02-13 01:24:49そうですかぁー。私も『日出処の天子』分析ではその傾向から逃れているとは思いますが、『少女革命ウテナ』分析ではっきりと「同性間であるがゆえに……」とはっきり書いていますし、最近の『魔法少女まどか☆マギカ』分析もそれに近い文脈で行なわれていると思いますよ。 @own_ms
2012-02-13 01:43:23@own_ms @suna_kago どこがどう、「マジックワード」なのか説明していただけますか。そもそも僕は「同性愛なら所有は起らない」なんて単純な主張はしていないので、その証明も含めて。そこまでおっしゃるのなら、ぜひ。
2012-02-13 02:13:50@own_ms @suna_kago 同様に「年齢差のある男女」を「所有の起らない関係」だと僕はどこに書いたのでしょうか。あなたの脚色だと思います。異なるのなら、具体的に抜き出していただけますか。
2012-02-13 02:19:34@suna_kago 僕は「ゼロ想」で「日出処の天子」での厩戸⇒毛人への欲望を「所有」的だと形容していますし「ウテナ」のウテナとアンシーの関係に触れた注釈でも、後段で強く留保をつけています。これだけとっても僕が「同性愛」を「所有の起らない関係」と理想化してはいないことは明白です。
2012-02-13 02:22:54