学校と職場が一つに融け合う日

学校は教材を内面化する知的消費の場とされてきた。21世紀には圧倒的多数の人々が職場で知的生産に携わることになる。知的消費(学ぶこと)と知的生産(教えること)とは、本来、対をなすものである以上、別々の場所で行われる必要はない。21世紀には、学校と職場は融け合って一つのものになるだろう。
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Eiji Sakai @elm200

現在の学校教育には次の大前提がある。1)時に10年以上の長い訓練。人々は学生と呼ばれ、生産に参加しない消費者とされる 2)生産者として貨幣経済に参加。1) が苦痛である最大の理由は、自分が何のために学んでいるのか分からないことが多いからだ。これは至極まっとうな苦情と言える。

2012-03-14 09:00:41
Eiji Sakai @elm200

肉体労働者が大半を占めた過去の経済では、学校と職場は当然に別の場所だった。だが、知的労働者が圧倒的多数となる未来の経済では、人々の生み出すものは情報と知識だ。そして学校で学ぶものも情報と知識だ。両者は似ていないだろうか?いや実は学校と職場が別々に存在する必要はないのだ。

2012-03-14 09:03:15
Eiji Sakai @elm200

21世紀後半には、人々は生産するために、生産するときに学ぶようになる。もはや知的生産と孤立した学びはなくなる。呪文のような丸暗記は過去のものになる。もはやそんなものに何の意味もなくなるからだ。

2012-03-14 09:05:28
Eiji Sakai @elm200

人々は各自の欲望の赴くままに生産(自己表現)し、そのためにのみ学ぶことになる。偏った人間になる?たしかに20世紀の基準では極めて偏った人間になるかもしれない。だがインターネットのマッチング機能によって、偏った人間同士が補い合って生きられる社会になるだろう。偏りは問題ではなくなる。

2012-03-14 09:09:12
Eiji Sakai @elm200

学校と職場は融け合って一つのものになる…。「職場」と言ったがこれも高層ビルのオフィスなどではなくなり、自宅や地域社会(シェアハウス・シェアタウン)になっていく。知的生産(教えること)と知的消費(学ぶこと)は同時に起きるのだから、これは自然な帰結だ…。

2012-03-14 09:12:37
Eiji Sakai @elm200

日本語には「社会人」という言葉があり、「学生」と峻別するのが伝統だ。なんという20世紀的な発想であったことか。21世紀に「学生」と「社会人」は融け合って一つのものになる。学校が校舎、職場が高層ビルや工場といった物理的実体から遊離していくにつれて、これは自然に達成されるだろう。

2012-03-14 09:16:38
Eiji Sakai @elm200

マルクスは「商品から貨幣への命がけの飛躍」と言ったけれども、将来何の役に立つか分からないまま施される教育は「教育から労働への命がけの飛躍」と言える。21世紀では、生産と消費は同時に発生するので、この種の「命がけの飛躍」が消滅する。これは経済効率性の飛躍的改善だ。

2012-03-14 09:29:18
Eiji Sakai @elm200

「まず生産して、しかるのちに消費する」から「消費するために、必要なものを直接生産する」へ。「学んだのち、働く」から「働く(表現する)ために、直接関連することをその場で学ぶ」へ。何事も「オン・デマンド」型に移行していく。そのよい点は需要があることははっきりしている点だ。

2012-03-14 09:53:12
Eiji Sakai @elm200

私が、3D プリンターに興奮したのは、これが「オン・デマンド」型の経済と極めて相性がいい点だ。そういう意味でも、3D プリンターは21世紀の製造業を先導していく予感が激しくする。「作ってから消費する」ではなく「消費するために作る」へ。さようなら「命がけの飛躍」よ。

2012-03-14 09:58:51
Eiji Sakai @elm200

規格品を大量生産する工業社会向けのものから、人々の多様な才能を活かせる創造的な新しい社会のために、教育を根底から再編しなければならないと説く。刺激な内容。今朝の私のツイートにも呼応。おすすめ TED ビデオ / “Sir Ken Ro…” http://t.co/JEdKDiGe

2012-03-14 10:48:45