金城一紀 さんが語る「SPへの道」
- cyber_yayoi
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SPへの道:(1)SPという企画に関して語る時、絶対に避けては通れない映画がある。『ボーン・アイデンティティー』だ。見たのは2003年の頭だったと思う。その頃にはすでに『フライ、ダディ、フライ(以下FDF)』の脚本を書き上げていた僕は、映画と真剣に向き合う決心を固めていた。
2012-03-10 23:17:00(2)和洋を問わず小説家が映画の脚本を手掛けることはままある。かのレイモンド・チャンドラーだって生活のためにハリウッドで脚本を書いた。ただし、本格的なアクション映画の脚本を書いた小説家を僕は知らない(アクション映画専門の脚本家が小説を書くことはあるかもしれないが)。
2012-03-10 23:29:01(3)そして幼い頃からアクション映画ばかりを見て育った僕が脚本を書くとなった時、以下のような目標を立てるのは必然のことだった。「ハリウッドに負けないようなアクション映画を作ること」。しかし、『GO』という映画に原作者として割とディープに関わり、映画業界をつぶさに観察した結果、
2012-03-10 23:41:03(4)たとえば『ダイ・ハード』のようなアクション映画を作ることは到底叶わないことが分かった。実証は簡単だ。長い長い日本映画史上に『ダイ・ハード』のような作品が存在する? “もどき”の話ではない。質量ともに『ダイ・ハード』に肉薄するような作品だ。数多の映画人が成し遂げられなかった
2012-03-10 23:51:23(5)ことをヨチヨチ歩きの脚本家である僕が叶えられるわけがなかった。たとえ『ダイ・ハード』のようなストーリーを考えつけたとしてもだ。でも、アクション映画の製作に関わりたいという思いは胸の奥で常に熾火のように燃えていて、いつしか目標は「日本でやれそうなアクション映画を考える」
2012-03-10 23:59:50(6)というものに変わっていた。……とりあえず今日はここまでです。続きはまたすぐに。ここで宣伝です。月曜日発売のスピリッツに『SP』の最終回が掲載されます。ぜひとも読んでやってくださいまし。出来れば立ち読みではなく、購入して家でじっくりと。よろしくお願いします。押忍。
2012-03-11 00:05:25SPへの道:(7)では「日本でもやれそうなアクション映画」とはどんなものか。あくまで僕の素人考えなのだが、①銃器・爆破が主体のアクションは避ける、②いわゆる“カンフー”の殺陣は採用しない、③大がかりな舞台設定は避ける、という結論だった。そこに至った思考過程を詳しく書くと
2012-03-12 11:58:59(8)長文の論文みたいになってしまうので割愛するとして、とにかく、僕の考える「面白いアクション映画」を実現するためには新しい枠組みを考えなくてはならなかった。そして、あれこれ悩んでいる最中に出会ったのが『ボーン・アイデンティティー』だった。誤解を恐れずに言うなら、
2012-03-12 12:05:03(9)「これなら日本でも作れるぞ」と思ったのである。もちろん、同じ品質のものが出来るわけはないが、僕が考えた三つの要素が詰め込まれ、なおかつ成功している作品は『ボーン・アイデンティティー』のほかには見当たらなかったのだ。余談だが、『ボーン~』は映画館で8回も見た。分析のために。
2012-03-12 12:20:59(10)『ボーン~』を見てなにより感心したのはフィリピン武術のカリを採用した殺陣だった。これまでもハリウッド映画のアクション・シーンでカリのコンセプトが使われたことはあるが(スティーブン・セガールなどはよく使っている)、メインで取り上げたのは『ボーン~』が初めてではないかと思う。
2012-03-12 12:36:36(11)では、カリを採用した殺陣のどこに感心したのか。ざっくりと言ってしまえば、「俳優のアクションの粗が目立ちにくい」。カリのコンセプトはいわゆる“CQC(Close Quarters Combat)”、つまり、「近い距離での格闘」なので、派手な動きが必要ない。特に、
2012-03-12 12:43:49(12)まわし蹴りなどのキック関係は演者の身体能力と格闘センスがもろに露呈してしまうので避けるのが得策なのだが(『マトリックス』におけるキアヌ・リーブスのキックを見てみて欲しい)、カリは上半身の動きが主体なのでちょうどいいのだ。目まぐるしくカットを割ればそれらしく見えるし。
2012-03-12 23:19:39(13)何よりアクション映画とは無縁だったマット・デイモンでも充分に“やってる感”を醸し出せるのがカリの殺陣なのだ。となると、日本でもアクションとは無縁の俳優を主役に据えられる。そうすればストーリーの幅を広げることが出来るし、練習の時間をあまり作れない人気俳優をキャスティング
2012-03-12 23:28:59(14)することだって可能だ。人気俳優が出てくれれば製作費だって集まるに違いない……という見事な皮算用をしてカリ(もどき)の殺陣を研究し始めたわけなのだが、のちにSPの撮影が始まってすぐ、アクション・シーンを作ることの難しさと奥深さを思い知るのであった。でもそれはまた別の話。
2012-03-12 23:37:58(15)さて、2003年の時点で『FDF』の脚本の第一稿は書き上がっていたが、本格的な製作開始のGOサインは容易に出なかった。大人の事情で書けないが、キャスティング関係で「一歩進んで二歩下がる」というような状況が長いこと続いた。2004年の頭には企画が白紙に戻りかけていた。
2012-03-12 23:51:38(16)そんな時に救世主のように現れてくれたのが堤真一兄貴と岡田准一君だった。僕の目には二人が天使のように見えた(本当)。二人の参加によって『FDF』はものの見事に蘇り、2004年の初夏には撮影に入ることが出来たのだった。撮影中に堤さん岡田君と交流を深め、二人の才能と魅力に
2012-03-12 23:57:20(17)惚れてしまった僕は、二人とまた仕事がしたいと思うようになっていた。そう、2004年の初夏の時点ですでにSPの種は蒔かれていたのだった。……『SP:革命篇』公開一周年記念&漫画連載終了記念ということで長々とつぶやいてしまいました。お邪魔しました。つづきはまたのちほど。押忍。
2012-03-13 00:01:08(18)2004年の夏頃に『FDF』の撮影が終わり、原作本の執筆を始めた僕の頭の中には新たな映画企画の芽が育ち始めていた。いくつかを同時に育てていたのだが(そういえばタイムスリップものもあったなぁ)、やはり何よりやりたかったのはアクション映画だった。面白いアクション映画を作れる
2012-03-13 12:14:37のは俺しかいない、という根拠のない自信と義務感があったからだ(ほぼノイローゼ)。でもありふれたストーリー(企画)だったらやる意味がない、とも思っていた。映像業界にとって僕はある種のエイリアン(外様)であるわけで、そして、外から来た人間の義務は内側の停滞を引っ掻き回すことだ、
2012-03-13 12:23:43(20)と思っていたのだ(いまだに思ってるけど)。そこでひとつのルールを決めることにした。「これから先は映像用に考えた企画や執筆した脚本を原作(小説)に起こさない」。本来は原作を提供する側の僕がそうすることによって、映像業界と文芸業界に一石を投じられるかもと思ったのだ。
2012-03-13 12:37:34(21)まぁ要するに、原作ものの映像化ばかりやらないでオリジナル企画をもっとやりましょうよ、ということだ。共依存の関係に成長は望めない。お客さんによりよい作品を提供するには、弛緩した環境に緊張のスパイスを混ぜる必要があると思った……という真面目なことを考えていたのだが、
2012-03-13 12:43:41(22)“原作者”ではなく、“オリジナル企画を考えて持ち込む人”の自分がどんなに無力かを、僕はすぐに思い知ることになる(いまもそうだけど)。でもそれはまだあとの話。2005年に入り、『FDF』の取材やキャンペーンが始まって、堤兄さん&岡田君と会う機会が増え、プライベートでも
2012-03-13 12:50:40(23)遊ぶようになった。親交が深まるにつれ、二人と再び仕事がしたい欲求が高まっていき、僕は真剣に新しい企画について考えるようになっていった……。以下次号! 金城先生の作品が読めるのはジャンプだけ!(嘘) そんなわけでSPの最終話が載ったスピリッツは絶賛発売中です。ぜひご拝読を!
2012-03-13 13:00:13(24)さて、SP企画に関する核心に入っていく前に少しだけ寄り道し、映像企画というのが通常どのようにして成立するかについて大雑把に説明したいと思う。作品はたいていの場合プロデューサー(以下P)が企画する。それはテレビドラマでも映画でも変わらない。Pが作品を決め、キャストを選び、
2012-03-14 22:12:37