社殿がある塚山のしたは浅間石(多分、追分火砕流の通称キャベツ)を使った岩窟稲荷神社がある。ちょっとしたテーマパークなんだろう。 http://t.co/AkrPAvvu
2012-03-18 09:34:00佐野の船橋歌碑。万葉集の東歌「かみつけの佐野の船はしとりはなし、親はさくれどわはさかるがへ」。烏川を挟んだ集落の長者の男女が恋仲となり、それを阻止しようと夜に船橋の板を外して置いたら、二人が川に落ちて死んでしまったという話。 http://t.co/3QIUWBKk
2012-03-18 09:57:41常世神社。謡曲鉢の木の主人公である佐野源左衛門常世の屋敷跡とされる神社。鉢の木は没落した御家人の常世が旅の僧に盆栽を燃やしてもてなし、その僧が執権北条時頼だったためご褒美にあずかるという話。 http://t.co/2UihuzV0
2012-03-18 10:10:27@yaguhiro 「東路の佐野の舟橋かけてのみ 思ひ渡るを知る人ぞなき」(源等) 本阿弥光悦の硯箱にある和歌の舞台ですね。
2012-03-18 10:25:34鎌倉街道はこのあと、山名に向かって進みますが、今日は寄り道して寺尾方面に戻ります。山名集落を望む。 http://t.co/CS6Or6Qd
2012-03-18 10:31:17高崎市寺尾町の永福寺。今日はお彼岸なのね。市民には火葬場の隣のお寺(火葬場に関係ある)という知名度だが、12世紀に源義重(新田氏の祖)が開いた伝承がある。この地が鎌倉街道周辺の赤坂(高崎)と山名の間に位置し、烏川右岸を範囲とする八幡庄の中心にあることを考えると興味深い。
2012-03-18 10:55:37烏川右岸の高崎市里見から山名に至る範囲を構成した八幡庄は立荘時期は不明ながら河内源氏の版図が源義重に受け継がれたと考えたれている。高崎市民に知名度が低いのは、彼が新田荘を開発しその子孫が新田氏になったためであろう。
2012-03-18 11:01:22高崎市寺尾町館(たて)。地名が示すとおり館(やかた)があったわけ場所。確証はないがこの地が源義重の館があった場所に違いないと高校生の頃より思い込んでいた。その見通しは今も変わりはない。 http://t.co/EtXeUz6l
2012-03-18 11:29:08@yaguhiro おはようございます♪ 先ほどの木の橋いいですね。ところで、質問です。鎌倉街道ってあちこちで見るのですが、1本の道ですか?鎌倉に続いている道?それとも鎌倉時代にできたor使ってた道はみな、鎌倉街道ですか?
2012-03-18 11:42:24ランチ来ました。ここはおうどんが美味しいです。「おっ切り込み」(群馬の煮込みうどん)も有名みたい。 http://t.co/R7TCUUYd
2012-03-18 12:57:07