綾瀬まるさんの、被災地での体験

実際に3.11で、津波の被害に遭われ、その後も福島へボランティアに行かれている綾瀬まるさん。その体験を綴った「暗い夜、星を探して」(新潮社)を出版後の今、語られたつぶやきをまとめました。
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彩瀬まる @maru_ayase

ようやく自分のルポ本を「別の人が書いた本」みたいに読めるようになってきた。そしたら、ぽろぽろと、書けなかった、書きこぼしたことを思い出してきた。こう、書いてる間は恥ずかしいことにいっぱいいっぱいで、「とにかくこれを!」って、ことしか書けなかったのです。

2012-03-19 01:02:53
彩瀬まる @maru_ayase

二章の原発から27キロ付近での家屋掃除のボランティアの最中。私は防塵マスクをつけ、手には軍手とゴム手袋を二重にしていました。汚泥と瓦礫と生活物資にまみれた家屋の台所を掃除している最中、食品の備蓄棚に行き当たったのです。お米とか、レトルトとか、醤油とか、みりんとか、お酒とか。

2012-03-19 01:05:10
彩瀬まる @maru_ayase

家主の人、たぶんお身体の不自由な高齢者の方で、親族の女性が通いで生活を手伝っていたようだったので。食品を多めに買い置きする習慣があったのですね。まだビニール包装された醤油やみりんも、もちろん分別して捨てなきゃいけない。ゴム手袋が、すべって。なかなか包装が破けなくて、困った。

2012-03-19 01:07:14
彩瀬まる @maru_ayase

私は、ゴム手袋を外すのを一瞬躊躇しました。放射能が気になったわけじゃなくて、汚泥まみれの家屋内が極めて不衛生だったからです。布製品のカビでえづくのは当たり前、夏場だったので、床はところどころ腐食していた。その備蓄食材も波を被ったのか汚泥まみれだった。

2012-03-19 01:10:18
彩瀬まる @maru_ayase

いい方法ないかな、と迷っていたら一緒にボランティアに参加した50代の女性が「いいのよ若いんだから。放射能浴びたらやっかいなんだから、こういうのはおばさんに任せなさい。どうせちょっとぐらい浴びたって、なーんも影響ないんだから」って言って、さっさと手袋外して、ビニールを剥がし始めた。

2012-03-19 01:12:57
彩瀬まる @maru_ayase

私がためらっていたのはそういう意味ではなかったけれど、(その地域の線量が低いことは本に書いています)ものすごく心づかいが温かかった。年を取るなら、この人みたいに取りたいと思いました。命と肉体の、使いどころをきちんと考える。

2012-03-19 01:20:18
彩瀬まる @maru_ayase

その後、私は包装を剥がなければならない食品がたくさん出てきたので、結局ゴム手袋を外しました。線量が低い、という前提でここに来ている以上、不衛生なものに立ち向かっているのはおばさんも私も、なにも変わらないと思ったので。でも嬉しかったし、尊いなあと思ったのを今でも覚えています。

2012-03-19 01:23:25