戦時中に書かれた、あるジャーナリストの日記

『暗黒日記』の著者として知られる清沢洌(きよさわ・きよし)が戦時中に書いた日記からご紹介を。私たちの知らない日本の姿が、そこにはあります。
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世界文化社 ブックニュース(ナナ子) @sebun_digital

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2012-03-19 10:39:41
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【戦時下のジャーナリスト】太平洋戦争中に書かれたジャーナリストの日記に『暗黒日記』というものがあります。書き手はジャーナリストの清沢洌(きよさわ・きよし)。

2012-03-19 10:40:37
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【戦時下のジャーナリスト2】戦時中は情報局(※)によって執筆を禁じられ、“要注意人物”としてマークされ、身の危険もあった人物です。その彼が日記に戦時下の世相を記しました。

2012-03-19 10:40:59
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【戦時下のジャーナリスト3】今回はその日記の内容とその背景を少しのぞいてみましょう。私たちの知らない日本の姿が、そこにはあります。

2012-03-19 10:43:05
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【戦時下のジャーナリスト4】※情報局……1940年12月に発足した日本の内閣直属の機関。戦争に向けた世論形成、プロパガンダと思想取締の強化を目的としていた。

2012-03-19 10:43:22
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【戦時下のジャーナリスト5】『暗黒日記』の著者として知られる清沢洌(きよさわ・きよし)は、17歳の1907年(明治40)にアメリカに渡り、

2012-03-19 10:43:55
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【戦時下のジャーナリスト6】清掃夫や邦字紙の記者などをしながら学校に通い、1918年(大正7)に帰国した。そして1920年(大正9)から1929年(昭和4)までは中外商業新報(現在の日本経済新聞)や朝日新聞の記者をしていた。

2012-03-19 10:44:12
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【戦時下のジャーナリスト7】その朝日時代、清沢の自由主義でリベラルな論調は右翼勢力から攻撃され、退社に追い込まれてしまった。以後は外交問題を得意とするフリーのジャーナリスト、評論家として活躍していた。

2012-03-19 10:44:49
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【戦時下のジャーナリスト8】しかし日中戦争が始まり、軍部の力が増大するとともに報道・出版ジャーナリズムへの規制が厳しくなる。

2012-03-19 10:45:07
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【戦時下のジャーナリスト9】本来の対米協調外交を主軸に、内政・外交に鋭い評論をする清沢は、当局から“要注意人物”としてマークされだした。

2012-03-19 10:45:23
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【戦時下のジャーナリスト10】1941年(昭和16)2月26日、情報局は各総合雑誌に執筆禁止者リストを交付した。そこには矢内原忠雄(やないはら・ただお:経済学者、のち東大総長)、

2012-03-19 10:45:48
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【戦時下のジャーナリスト11】馬場恒吾(ばば・つねご:ジャーナリスト、政治家)、田中耕太郎(たなか・こうたろう:裁判官、法学者)、横田喜三郎(よこた・きさぶろう:国際法学者、最高裁長官)といった著名人とともに清沢の名前も載っていた。

2012-03-19 10:46:05
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【戦時下のジャーナリスト12】その清沢が『暗黒日記』として刊行される日記を書き始めたのは、対米英戦争開始1周年目の1942年12月9日である。

2012-03-19 10:46:24
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【戦時下のジャーナリスト13】日記は「近頃のことを書き残したい気持ちから、また日記を書く」(橋川文三編・ちくま学芸文庫版より。以下同)という書き出しで始まっている。(中略)

2012-03-19 10:46:36
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【戦時下のジャーナリスト14】こうした硬派のジャーナリストにショックを与える“事件”が起きた。連合艦隊司令長官山本五十六(やまもと・いそろく)大将の戦死である。5月22日に清沢はこう書いている。

2012-03-19 10:46:52
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【戦時下のジャーナリスト15】「山本五十六大将戦死を、昨日発表さる」「これだけ大きなニュズは近頃なかった。山本は日米戦争に反対だった。

2012-03-19 10:47:14
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【戦時下のジャーナリスト16】海軍次官のかれは、はやる陸軍の対米戦争指導を食い止め、一時は非国民とさえもいわれたものだ。かれは公然陸軍に抗した。しかし一度国策決れば黙して戦うといって、火ぶたを切った。

2012-03-19 10:47:30
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【戦時下のジャーナリスト17】すなわちこの戦争はかれの好まない戦いであった。ゴルフに行く途中バスでの女学生の話しに、かの女の母親はラジオで山本の死を知り御飯を食わなかったと話していた。瞭の話しに、ラジオのアナウンサーが、終わりに泣いた」

2012-03-19 10:48:12
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【戦時下のジャーナリスト18】この山本大将の戦死に続いて、『暗黒日記』は交遊録の間にアッツ島守備隊の玉砕を書き、独ソ戦が2年目に入ったことを書き、そして8月1日にはイタリアのムッソリーニ政権の崩壊を書いている。

2012-03-19 10:48:37
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【戦時下のジャーナリスト19】そしてこの日の最後はこう結んでいる。

2012-03-19 10:48:56
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【戦時下のジャーナリスト20】「朝、鶴見、嶋中(中央公論社社長)とゴルフをやり、成績よからず。予日記をつけつつありというと、嶋中君危ないぞという。

2012-03-19 10:49:17
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【戦時下のジャーナリスト21】中央公論社の出版物を警視庁で持って行ったが、その中に馬場恒吾君や僕のものもありと。予もこの日記をつけながら、そうした危惧を感ぜざるに非ず」

2012-03-19 10:50:00
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【戦時下のジャーナリスト22】~『「写真週報」に見る戦時下の日本』より

2012-03-19 10:50:17