自助努力と競争。学歴差別は差別でない?

「学歴差別は差別でない」からはじまる@igakiさんと@takamattiの対話。
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弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

自助努力で克服できる差別など、差別とは言わん。学歴差別は差別ではない。んなこと言ったら欧米で差別されてる人に呆れられるよ?

2012-03-18 19:17:55
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki 差別とは言わん< 個人の行動や選択により不当な扱いを免れる可能性があることと、全体として常に不当な扱いを受ける人が必ず生まれてしまうことは分けて考える必要があるのでは?椅子とりゲームで訓練次第でだれでも椅子に座れる可能性があるとしても、座れなくなる人は必ずいるわけで

2012-03-18 19:51:45
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti そう言ってしまうと、世の中の二極化しうるかつ一方が他方より劣ってると評価されるものはすべて差別になりますよ。劣る側は優れている側の椅子には座れないわけですから。

2012-03-18 19:55:19
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki 個人的には、能力による利益配分に差をつけるのは突き詰めしまえば差別だと思いますよ。個人の行動はその人が生まれ持った資質や環境で決められていくわけで。その差別が、インセンティブによる競争で増えた富が劣った者にも十分に還元されるとき、正当化されるんじゃないかと。

2012-03-18 20:05:33
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti まず能力に応じて利益配分がされるという前提が誤りではありませんか?利益を生む原因は能力だけではないはずです。そこで想定されている能力という概念の中身も不明確ですし。そもそもそんなに差別という概念を拡張すれば、差別を論じる意味すらなくなるでしょう。

2012-03-18 20:09:43
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki そんなこともないですよ。不平等な分配によってどの程度富が増えているか、劣位の者に不都合が集中していないかなど、それぞれの差別の不当性の程度を考えていけば良いわけで、「差別=ぜったいダメ」と考える方ほど話が極端になりやすいと思います。

2012-03-18 20:20:51
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti いえ、そもそも富というひとつの評価基準のみで平等を志向することがおかしいのです。ただの社会主義じゃないですか。それがもう成立しないからこそ、差別概念を厳格に解して、そのような差別は絶対に許さないというきついサンクションで縛るわけで。

2012-03-18 20:24:45
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki うーん、富という言葉がしっくりこなければ曖昧に財とか幸福とかでどうでしょう?

2012-03-18 20:37:06
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki 話を戻して、先に述べた椅子とりゲームの例えのように、個人がどれだけ努力しようとも大学などに定員がある限り、そこからもれて学歴差別によって不都合を被る人は必ず出ることになります。

2012-03-18 20:37:49
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki いがきさんは「自助努力で何とかなるなら差別じゃない」という主張ですが、学歴差別によって重大な不都合を被る人がいたとしてもそれは差別になりませんか?

2012-03-18 20:38:51
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti 学歴という点だけを見れば、不利益を被ることはあるでしょう。しかしそれは競争の結果であり、そのような不利益を否定することは競争を否定することと同義です。また、学歴で不利益を被っても他の点で恩恵を受けることもあるでしょう。そうするとやはり差別概念が広すぎですね。

2012-03-18 20:43:02
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti 自助努力ではどうしようもない=機会の平等が保障されてない原因による区別のうち、合理的理由のないものが差別ですから、機会の平等が確保された上での学歴差別は差別じゃありません。

2012-03-18 20:47:17
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki 不利益を否定することは競争を否定< そう、だから差別の正当/不当性の評価は、1.不平等による競争で財が増えているか。2.劣位にいる人間に不都合が集中していないか。の2点であって「自助努力でどうにかなる」は1.を構成する要素の一つにすぎないと思うんですよ。

2012-03-18 20:50:02
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti そもそも平等という概念をどういう意味で使ってますか?結果が常に平等でなければならないという絶対的平等ですか?

2012-03-18 20:53:00
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki 平等とは大雑把に言って十人いれば十個の財を一個づつにわけること、だと思います。競争は財が増えるなら良いけど、十個の財が十五個に増えたとしても、それで一番劣位にいる人の取り分が一個より減ったら納得できないだろうという話です。

2012-03-18 21:00:53
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti 1.の不平等による競争というのが、はたして不平等と言えるのか、そこの理解が中心の問題だと思いますね。平等概念につきどのような立場を取られるのか、ということです。

2012-03-18 21:01:33
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti 15個に増えたときには1人は1.5個貰えなければそれは不平等だということですか?それとも10個と変わらず1個以上であればよいということですか?

2012-03-18 21:03:15
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki 後者です。十人全員が「平等」より取り分を増やしたとき競争が完全に肯定されるのではと。

2012-03-18 21:07:13
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti つまり絶対的な最低ラインがあって、それを下回るような場合は必ず差別になるということですね。ではそのラインはどうやって決めるのですか?学歴差別と言ってもトップクラスかそれ以外とか特定の大学かそれ以外、とか大卒か高卒かなど様々なラインがあり得ますが。

2012-03-18 21:09:59
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki 「平等」のラインも、差別の不当性許容ラインも、非常に曖昧なものです。学歴差別について僕は詳しく知りませんがその曖昧な幅の広いグレーゾーンの範疇ではないかと思います。だから慎重に調べ評価する必要があり、「差別、ぜったいダメ」で白黒つけてしまうことが危険なのではないかと

2012-03-18 21:18:16
おじ木 @Ozi_Ki

@igaki 少なくとも自助努力や意志の有無などを基準に差別を断じてしまうのはかなり危険だと思います。

2012-03-18 21:20:27
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti そんな曖昧なものを、どうして慎重に調べたら評価できるようになるんですか?曖昧なものはいくら慎重に調べようが曖昧なままだと思いますが。そもそも区別の軸が多すぎて比較ができない、すなわち評価ができませんし。

2012-03-18 21:21:14
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti 先ほどもちらっと書きましたが、「自助努力で何とかなる」というのは意思の問題ではなく、「状況を変える機会がある」ということです。逆に自助努力で何ともならない例は、性別や人種や生まれ(部落差別等)に起因する区別です。このような基準であれば、非常に明快です。

2012-03-18 21:25:14
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti そうすると、過度に不平等を抑圧する=競争を阻害することになり、全体の財の増加も失われるでしょう。そうではなく機会の平等は保障して自由に競争できるようにし、結果の不平等は差別ではなく所得の再分配などで是正する、というのが現在の人類の知恵ではないでしょうか。

2012-03-18 21:34:55
弁護士井垣孝之(法務アウトソーシング) @igaki

@takamatti おそらく、たかまっちさんは「頑張ればなんとかなる!甘えるな!」というマッチョな考え方で差別を正当化することを懸念されておられるのだろうと思います。しかし差別を認定するということは差別する側へのサンクションを伴うわけです。

2012-03-18 21:31:22
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