
大澤真幸;<自由>の条件 http://t.co/M6gr4hjdmIN=4062105160 D&Gのスキゾを解離性障害(dissociative disorder)ないし多重人格と読み替える議論があるけれども、フランス精神医学的に大きな間違いをしているのでないだろうか。
2012-03-21 22:03:32
というのも、フランス精神医学における連合associationとdissociationという語の使い方は特殊で、associationがないものがdissociationであるから、dissociationは要するにブロイラーが分裂病の基本障害にすえた「連合弛緩」に相当する。
2012-03-21 22:06:42
フランスでpsychose dissociativeというと、それは連合弛緩がみられるブロイラー流の分裂病という意味。解離のばらばらさと分裂病の滅裂さはまったくの別物。じゃないと臨床がなりたたなくなる。
2012-03-21 22:08:53
もっとも、ドゥルーズがassociationとdissociationの語を記すときに精神医学の文脈が意識されているかどうかは、テクストを綿密に調査しなければなりませんが… 昨日貼った表象04 の共同討議を再読してそんなことを考えた。
2012-03-21 22:21:46共同討議 「ドゥルーズの逆説的保守主義」 國分功一郎+佐藤嘉幸+千葉雅也 http://www.amazon.co.jp/dp/4901477641

批評空間系(という言い方が正しいのかどうかわからないけれども)の90年代の言説というのは、D&Gのスキゾを解離や多重人格として誤読してきた日本独自の歴史としても捉えられるのです。
2012-03-21 22:32:23
社会は「発達障碍化」しているか -Togetter http://t.co/vvdF8eVT を端緒として今書いているのは、今やネオリベラリズムと動物化をめぐる議論が、知らないうちにスキゾを発達障害的なものに誤読しようとしているのではないか、ということ。
2012-03-21 22:41:12
そういえば@schizoophrenie さんが言ってたけど、昨今、発達障碍的な心のモデルの競りあげがあるとして、ドゥルーズ+ガタリのいうスキゾをそれに沿って再解釈するのはまるでダメなのかな。ラカンの精神病解釈は発達障碍的なものから厳密に区別するべきと思うけど、DGはどうなのか。
2012-03-22 10:35:44
@masayachiba メンションありがとうございます。アルトーをどう読むかという話にも繋がってくると思うのですが、ラカンは『精神病』講義で、患者が「女性なるもの(la femme)」に不可避的に惹きつけられ,後には完全に吸収されてしまうという経過として精神病を捉えていました。
2012-03-22 21:39:18
1972年にラカンはそれをアルトーのpousse jusqu'à la femmeにならい「女性への推進力pousse-à-la-femme」と名づけました。多分これは生成変化の問題と関わっていると思いますが、ここでやはりラカンとD&Gの差異というのが明らかになると思います。
2012-03-22 21:40:02
ラカンの女性化は、シュレーバーが「神の女」つまり「女のなかの女」に変貌するという極端なものです。日本でいうと「皇室妄想(皇后になる)」とか。しかし、D&Gの考える女性化、生成変化は國分さんと千葉さんの言葉を使えば「逆説的保守主義」、ないしある種の中庸的なものであると思います。
2012-03-22 21:40:47
私は、D&Gのことを考えながら、創造性はどうなってしまうのかということをずっと考えているのです。精神医学には傑出人の創造性と病理の関係を扱う「病跡学」という学問がありますが、病跡学の中心的な対象はやはり分裂病です。
2012-03-22 21:41:25
そこでは、ハイデガー的な真理の顕現、あるいはラカンの言うla femmeという世界の謎めいた中心へと不可避的に引き寄せられるという契機が分裂病者の創造性の源泉とみなされていました。
2012-03-22 21:41:42
病跡学でいえば、これまでスキゾイドと考えられてきたウィトゲンシュタインやフッサールには近年、発達障害説があります。彼らの思考は、形式化を突き詰めることによって世界の極点に近づきながらも、その空隙の只中にはどうしても飛び込めない。「極端」なところへ跳躍することができないわけです。
2012-03-22 21:42:24
という評価は、分裂病優位の視点でみた場合に発達障害には欠如があるという一方的な視線ではあるのですが。では、病跡学のなかで発達障害者の創造性がどのように扱われているかというと、けっこうひどいんですね。
2012-03-22 21:42:53
たとえば「空気が読めない、常識が欠如しているから創造的になれる」「論理的に集中して取り組めるから凄い」とか、創造という営為にとって外的な条件、インフラ的な条件によって彼らの創造性は理解されているのです。
2012-03-22 21:43:10
たとえば、スティーヴ・ジョブズはアスペ的傾向が指摘されていますが、昨年は彼に関して「型破り」「空気が読めないから革新的」という言説が氾濫しましたが、そのような言説は彼の固有性や創造行為における内的な一貫性を捨象してしまっているのではないか、と思うのです。
2012-03-22 21:43:26
D&Gがスキゾではなく、アスペのための理論だったとすれば、すっきり理解できるようなところもあります。むしろD&Gの理論をつかって、発達障害における創造性の問題を「空気が読めないから創造的」といった外的な条件に還元せずに肯定的に語る方法がないか、ということを考えています。
2012-03-22 21:44:06
そこで問題となってくるのはやはり生成変化の議論でしょう。その点で、千葉さんの博士論文にはかなり期待をさせてもらっています。http://t.co/Q3Hr1pLK 【論壇女子部が行く!(2)
2012-03-22 21:44:53
現代思想2009年7月号 特集=人間/動物の分割線 http://t.co/BstXoxVD 創造性をハイデガー的ではないやり方でどう理解するか、という問題がひとつ。ここでやはりハイデガー問題、人間/動物の境界線の問題がかかわってくる(自閉症者はナチにガス室送りにされかけていた)
2012-03-22 22:03:24
東浩紀:一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル http://t.co/Y9pTqRZM もう一つは近年の言説にみられる「計算可能性」というアスペ的思想の問題。読むべき「空気」を計算可能なものとして可視化する技術は、引きこもりで社会に適応できないルソーの夢であった。
2012-03-22 22:07:03
与えられた状況について根源的に問い返すことをせずに、その状況のなかで最適解を計算して行動するというのは、「自由とは何かを問い直さずに、自由という法のなかで最大限の利益をあげようとする」ネオリベ的風景でもある。
2012-03-22 22:11:25
@schizoophrenie ご返信ありがとうございます。これは面白いテーマですね。僕としては、DGのスキゾ観は、schizoophrenieさんのおっしゃるようなタイプよりも発達障害に近い(しかもアルトー自身がどうだったかという事実と大して関係がない)と思っていて(続く)
2012-03-22 23:09:38