「たくと国道」

つぶやき小説。
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@tsuchida_jaco

たくが、通り過ぎるヘッドライトの光線を見ながら「ビーム、ビーム!」と叫んでいる。そのビーム、ビーム!は、適度な律動をもって繰り返される。そのたびにたくの口からはエクトプラズムみたいな白い息が放たれた。それはたくのちいさな口から出ているとは思い難いほど大きく、そして白い。1

2012-03-24 15:09:13
@tsuchida_jaco

そんな止めどなく流れ続けるたくの白い息を眺めながら、僕は深夜の国道をあてもなく北上している。国道の向こう側を、見るからに関係がこじれてそうな中年男性と、金髪ロンゲのOL風のカップルが歩いている。カップルではなく、アベックと言った方が適切かもしれない。2

2012-03-24 15:13:52
@tsuchida_jaco

男が酒を飲んでいるのか、千鳥足で歩くのをOLのほうが気を使いながら歩いていて、昔見たネズミを食べる直前の猫のじゃれ合いみたいだな、とおもった。やがて何かの拍子に女が大声を張り上げて喧嘩の様相を呈したので、その後がすごい気になったのだけど、二人はコンビニの横の路地に消えていった。3

2012-03-24 15:22:07
@tsuchida_jaco

仕方なくたくのほうに目を戻すと、彼は彼で相変わらずビーム、ビーム!をやっていて、これも変わらず白い息を吐き出し続けていた。僕はたくの白い息がこのまま出続けることで、ここら一体が濃霧に包まれてしまうんじゃないかと不安になったが、そんなことはまったく気にせずにたくは叫び続けている。4

2012-03-24 15:25:27
@tsuchida_jaco

さすがに小学校低学年の男児を叫ばせ続けながら、寒い風が吹き荒ぶ国道を歩かせることに気が咎めはじめ、僕はたくに寒くないかと訊いた。たくは、うんと頷いて、それから五秒もすると、また例のビーム、ビーム!が再開された。 たくにお母さんはいない。産まれたときから父親一人に育てられた。5

2012-03-24 15:31:11
@tsuchida_jaco

それだけなら今時よくあるだろうが、たくには生まれつき障害があった。たくには嗅覚が備わっていなかった。とはいっても全く匂いを感じないわけではなく、時々匂いがわからなくなる事があるのだという。僕はその話を、同窓会の帰りに彼の父親でもある、学生時代の友人から聞かされた。6

2012-03-24 15:38:55
@tsuchida_jaco

おそらくは自分に感知できないものがあるということすら、彼は気づいていないんだ、と彼特有の照れ笑いを見せながら付け加えた。僕はこの照れ笑いが苦手で、なんだか本当の感情とちぐはぐした印象をうけるその彼の表情をみると、胸の内側がもやもやしてくるのだった。6

2012-03-24 15:42:52
@tsuchida_jaco

そのもやもやは今思い出しても実にもやもやで、何かの懐かしさを伴っているように感じられた。物心がつくか、つかないかのころの記憶のように、そのほとんどはすりガラス越しの映像のようにはっきりしない。でもそれが実際の記憶に基づいた懐かしさなのだという確信はあった。7

2012-03-24 15:47:16
@tsuchida_jaco

そういう確信めいたものがあるのに、実態の計り知れぬ気分は非常に不快で、その感情を湧きおこさせるその友人の表情になれることは卒業の三年間、一度もなかった。同窓会で久々に見たその表情もまた、例外ではなく、その表情をみるのが十年ぶりだというのに理性はちっとも反応を忘れてはいなかった。8

2012-03-24 15:55:26
@tsuchida_jaco

僕はそういう感情が顔に出てしまわないようにするので必死だったが、彼はそんなことまったく気にせずに、たくのことをしゃべり続けていた。たくの嗅覚の欠落は、単純な耳鼻機能の損失ではなく、どうやらその原因は脳にあるらしいということだった。9

2012-03-24 15:59:39
@tsuchida_jaco

らしい、というのは医師がスキャニングや、血液の検査からありとあらゆる検査をしても、耳鼻の異変を見出すことができなかったからで、そうなると医師というのは、大抵の場合、脳を悪者にするらしい。それなら、と脳も隅々まで調べたが、やはり特別異常は見当たらなかった。10

2012-03-24 16:03:05
@tsuchida_jaco

「でも医者は何か異常を起こしているとすれば間違いなく脳だから、そうするとこれから嗅覚以外にも異常を起こす場合があるなんて脅すんだ。あんたは仲間なのか、敵なのかどっちなんだい。ってそのときはじめて思ったね。へへ」 そう言いながら浮かべる彼の表情に、僕は思わず目を逸らした。11

2012-03-24 16:07:56
@tsuchida_jaco

結局その後は医者への愚痴と、男手ひとつで子育てする大変さを遠慮がちに話して、そこで同窓会はお開きになった。そのときに連絡先をお互いに教えあったものの、男同士の友人関係に付き物の連絡の希薄さは彼とも同様で、それからようやく半年たって連絡がきたのが昨日のことだった。12

2012-03-24 16:17:43
@tsuchida_jaco

夜遅くにかかってきた電話の彼は半年前の印象と比べてずいぶんと明るく、セールスの営業トークを思わせた。話の内容は、明日重要なお得意先との飲み会があって、いままではそういった酒の席は断り続けた彼も、大事な案件がかかっていることもあり、さすがに今回は断りきれないということだった。13

2012-03-24 16:25:59
@tsuchida_jaco

つまりその間、たくの世話をしてほしいということだ。「君も忙しいことは充分わかっているんだけどさ、へへ」と彼はおそらく電話の向こうでもあの表情を浮かべながら言った。僕はそれを引き受けた。編集社でバイトをしている僕は夕方になれば仕事ははけて暇があったし、何よりたくに興味があった。13

2012-03-24 16:30:55
@tsuchida_jaco

彼もあの表情をするのかどうかが気になったのだ。そしてもしするとして、その表情が僕の記憶に近いであろう年恰好の男の子から見れるのであれば、僕のもやもやの原因もわかるかもしれない。そう思ったのだ。ああいいよ、と言うと友人は、やはり持つべくは妻ではなく友人だね、へへ、とまた笑った。15

2012-03-24 16:37:18
@tsuchida_jaco

幼稚園の地図をFAXでもらって、迎えに行き、ひとまず駅前をぶらぶらしたあと、たくが車を見たいというので、近くの中古車屋を記憶を頼りに歩いた。確か国道沿いに二つほど覚えがあったから歩いていたが、ひとつは潰れていて、いまはもうひとつの中古車屋わ目指して歩いている。16

2012-03-24 16:41:04
@tsuchida_jaco

確か記憶だとにたにたと笑ったちっとも可愛くもないクルマのキャラクターの看板が光っているはずだった。しかしどこまで歩いてもそれらしきものは見えなかった。さっきの店とおなじく潰れたのかもしれないし、もう閉店の時間を過ぎたのかもしれない。どちらにせよ、諦めるほうが無難な選択肢だ。

2012-03-24 16:45:47
@tsuchida_jaco

ここから駅まで引き返せば、ちょうど友人から電話がかかってきて、お守りはお役御免となり、ちょっとしたボランティアは終わりを告げるに違いなかった。僕は何時の間にかビーム、ビーム!の終わったたくにそろそろパパのところに帰ろうかと訊いた。17

2012-03-24 16:50:07
@tsuchida_jaco

しかしたくは首を横に振り、お腹が空いた!と叫んだ。それはビーム!と同じくらい大きな声だったが、さっきほど白い息は出なかった。確かに長いこと飲まず食わずで歩いて、小腹が空いていた。大人でもそうなのだから十歳前後の男児ならなおさらだろう。僕は道路の反対側のファミレスを目指した。18

2012-03-24 16:56:04
@tsuchida_jaco

国道の反対側に行くほどじれったく面倒なことはない。結局ファミレスにたどり着いたのはさらに15分ほど歩いたあとだった。チェーン店のいわゆるファミリーレストランで、外食産業の低迷と、不景気のダブルパンチで客は少なかった。19

2012-03-24 17:00:25
@tsuchida_jaco

レジの横に学生三人と、奥の窓際に年増の主婦が二人、それに僕ら二人、それでぜんぶだった。学生はそれぞれが静かにゲームに目を落とし、主婦は夫の悲惨さ自慢に盛り上がっていた。もしかしたら店員のほうが多いかもしれないその店で、席に通されるまで僕たちはさらに三分待たされた。20

2012-03-24 17:04:17
@tsuchida_jaco

眼鏡をかけた、そのふちみたいに細い女店員が案内してくれた席は一番奥の通路側で、主婦二人からは最も遠い席だったことに僕は密かに安堵する。学生二人はそれぞれがそれぞれの想いに耽っている。もしかしたらゲーム上ではワイファイ越しに三人一緒にはしゃいでいるのかもしれない。21

2012-03-24 17:07:49
@tsuchida_jaco

そんなことを想像しながら、できれば現実で三人煩くしているほうが健全だなと思った。少なくとも年増主婦二人の夫貶し大会よりは。 店のメニューは端っこが擦れてぼろぼろになっていて、いま客が少ないのは時間帯のせいではなく、いつ来ても客はいないんだろうなとふと思った。22

2012-03-24 17:12:15
@tsuchida_jaco

最近野菜を摂っていないなと思い、サラダのページをめくり当てる。店に似つかわしくないほどサラダの種類が豊富で、見開き一杯にちらばるサラダの品名を比較するのに目を動かした。たくは決まったというふうに、お子様ランチのアンパンマンを見つめていた。結局僕はシーザーサラダに決めた。23

2012-03-24 17:17:37