ロンドンどどんの連続ツイート第5回(2012年3月25日)
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またまた、夏時間初の茂木先生のマネっこ連続ツイートをしてみたいと思います。途中で崩壊しても、見なかったことにしてください。「どどんの連続ツイート第5回」、今回は、今夜コンサートで思いふけったことについて。文章はその場で即興的に組み立てながら書いています。
2012-03-25 10:40:49しの(1)どどんの母親世代の方で、仲良くしていただいている日本人女性がいて、今日彼女の家に行ってきた。若い頃に結婚していたこともあるようだけど、どどんが知り合ったときは、すでに離婚されていて、また長いことひとりで営んでいた骨董品のお店をたたんで引退されたばかりの頃だった。
2012-03-25 10:44:39しの(2)たいへんな読書家で、日本から新しい本をどんどん取り寄せておもしろいものがあったら、お電話をくださる。どどんのほうから貸すこともあったけど、ほとんどが借りる一方。お会いしても自分のことをべらべら話すタイプではなくて、たいていは本の話に終始する。そんな関係だ。
2012-03-25 10:46:26しの(3)お茶をいただきながら、どどんが今日コンサートに行く話をしたら、「あら、私も昨日コンサートに行ってきたのよ」と言う。実は昨日が誕生日で、しかもその前日に日本に住む親友が亡くなったという報せがきて、「誕生日祝いと親友の弔いを兼ねて、急遽室内楽のコンサートに行ってきたの」と。
2012-03-25 10:51:06しの(4)そのとき、どうしてそんなふうに思ったのかわからない。でも英国で特に身よりもなく、独り暮らしの彼女が、どんな気持ちで日本に住む親友の訃報を受け取ったのだろうと思ったら、なぜか、その親友の思い出話を聞かなければ、という気持ちになった。それで、こちらからいろいろお聞きした。
2012-03-25 10:54:33しの(5)きっぷがよくて、親分肌で、彼女が日本に帰るといつも食事に連れて行ってくれて、お寿司屋さんでは必ず太巻きを頼んでおみやげに持たせてくれたこと。親友がイギリスに遊びにきたときは、マーケットで買ったプチトマトをまるでフルーツみたいに食べながら湖水地方を歩いたこと。
2012-03-25 10:56:20しの(6)そんな楽しかった思い出話を聞きながら、やはり誰かの人生が祝福されたものであったと確認することは、故人のためではなくて、とりもなおさず「生きている自分たちのため」なんだと思った。理想的なのはもちろん、お通夜とかお葬式とか、故人を知っている人間が集まってそれを行うことだ。
2012-03-25 10:58:09しの(7)でも、それができない場合は、知らない人間でもいい。故人の思い出を語って、その人の人生が輝いていたことを、やはり口に出して、ちゃんと再確認したほうがいいと思う。どどんのなかでも、会ったこともない彼女の親友の人生がぼんやりと、でも確実に立体感のあるものに身を結んでいった。
2012-03-25 11:03:37しの(8)自分の大切な人の人生が、祝福されたものだったと確認するべきだ、と、どどんが思うのは、それがそのまま自分に跳ね返ってくるからだ。人生には辛いこともあるけれど、オーバーオールでみたら、やっぱり祝福された美しいものなのだ、って結論づけるプロセスが重要なんじゃないかな。
2012-03-25 11:08:42しの(9)自分が子どもの頃は、大人って全能の存在だと思っていた。10歳のとき、20歳の人はなんでもできる大人に見えたし、20歳のとき40歳はどんな感情も受け入れられる悟った存在なんだと思っていた。でも30も半ばをすぎたいま、もう70歳の人が自分よりも大人だとは思わなくなった。
2012-03-25 11:11:23しの(10)親友を亡くしたとき、10歳のときの自分も、70になった自分も、その悲しみの大きさはきっと少しも変わらないのではないか。年を取ったから、という理由で、がまんすることでもなかろうに、いつの間にか子どもの頃のように声を上げて泣くことはなくなった。きっと大人だって悲しいのに。
2012-03-25 11:15:10しの(11)昨夜、ひとりでコンサート会場に足を運んだ彼女が、いったいどんな気持ちだったのか、今夜コンサート会場で「音楽を聴くことも忘れて」しばし考えてしまった。そして誓ったの。70になっても80になっても、ぐでぐで文句を言いながら、べそべそ人前で泣いてやる、と。
2012-03-25 11:23:45しの(12)そういう、しょーもない婆さんになるんだ、と。そして、目の前にそういう人がいたら、相手がどんなに大人でも婆さんでも爺さんでも、黙って聞いてあげて、泣かせてあげよう、と。
2012-03-25 11:25:17