落語「こんにゃく問答」をヒントに教育・学習という現象を考察する

落語「こんにゃく問答」に関する内田樹氏の解釈や、ソクラテスの「産婆術」をヒントに、教育・学習における「勘違い」「謙虚さ」の意味などを考察した篠原信氏のツィートをまとめました。
0
shinshinohara @ShinShinohara

落語「こんにゃく問答」は教育・学習を考える上で面白い。食うに困ったこんにゃく屋が廃寺の僧侶になり済ましていたところ、修行僧が問答しに来て、追い返そうとする話。だんまりを決め込んでいると修行僧が手でジェスチャーするのでジェスチャーで返すと、不思議なことに修行僧は恐れ入り、退散した。

2012-03-26 23:36:21
shinshinohara @ShinShinohara

こんにゃく屋の友人は横で見ていて不思議がり、逃げ出した修行僧を捕まえて何をやり取りしたのか尋ねた。すると修行僧は、「無言の行の途中とお見受けしたので、ジェスチャーで仏教の教えについて質問したところ、すべてたちどころにお答えになった。何と学のある方でしょう。修行して出直します。」

2012-03-26 23:41:43
shinshinohara @ShinShinohara

友人が感心して戻ってくると、こんにゃく屋坊主は怒っている。どうしてか尋ねると、「あいつは俺がこんにゃく屋であることを見破って、俺のこんにゃくが小さいだの値段が高いなどジェスチャーでケチをつけやがるから、そんなことはねえとジェスチャーで返して、最後にアカンベしてやったんだ」

2012-03-26 23:44:17
shinshinohara @ShinShinohara

この落語は通常、修行僧がこんにゃく屋を立派な坊主と勘違いする様子を笑う話として理解されている。しかし、「呪いの時代」の著者、内田樹はちょっと違った視点で解釈する。修行僧は確かにこんにゃく屋から仏教の真理を学んだのだ、と。

2012-03-26 23:47:32
shinshinohara @ShinShinohara

教育・学習の現場では、「勘違い」がよく生まれる。この勘違いの効果を、内田氏は指摘する。好例はコンタクトレンズ。海外では眼球全体を覆うものだったのだが、日本の開発者は実物を知らずに、黒目だけを覆う小さなコンタクトを開発した。これが現在のコンタクトの主流を生んだ。

2012-03-26 23:49:41
shinshinohara @ShinShinohara

教育・学習とは、「知識の正確なコピー」だけでは成り立たない。勘違いが微妙に含まれることで、新技術・新発想が創出される。なのに教える側の私たちが、あまりに「知識の正確なコピー」にこだわれば、勘違いが生む新発想の芽を摘むことになる。

2012-03-26 23:51:08
shinshinohara @ShinShinohara

生命現象も似ている。基本的には遺伝子を正確にコピーしようとするのだが、ある確率でミスコピーが起きる。そのミスコピーが遺伝子の多様性を生み、新しい環境に順応できる子孫を生む。生命が三十億年も生き残れたのは、「ミス」を織り込んだシステムを採用しているからだ。

2012-03-26 23:52:51
shinshinohara @ShinShinohara

微に入り細、大量の知識を正確に覚えさせようという教育方法は、知識の劣化を生む。前の世代より次の世代が優れたものになる、という現象は起きない。むしろ最低限の知識を与えて、あとは自分で工夫させる、といった方法のほうが、新技術創出につながるだろう。

2012-03-26 23:54:20
shinshinohara @ShinShinohara

勘違いが新知識を生み出すには、実は「師匠を尊敬する」という関係性が不可欠だ。もし修行僧がこんにゃく屋和尚をバカにしていたら、こんにゃく屋が何を言おうが耳を傾けもしなかっただろう。「この人から何か学ぼう」という強い思いが、勘違いを新発見に転化させるのだ。

2012-03-27 00:01:17
shinshinohara @ShinShinohara

その観点からすると、現在の教育現場は「教え」の現象が発生しにくい。子供の親に大学出の人が増え、学校の先生をバカにするようになった。その気分は子供に伝わり、先生を尊敬しない子供が増えた。結果、子供は先生から何かを学び取ろうという謙虚さを失う。勘違いから新知識が生まれることもない。

2012-03-27 00:04:25
shinshinohara @ShinShinohara

私たち自身にも「学ぶ謙虚さ」は重要だ。私たちは愚かな人間だから、自分は優秀な人間だと思いたくなる。だが、その傲慢さは「学び」を奪ってしまう。「あんな奴から学ぶことなんてない」と思ったとたん、相手をバカにするための揚げ足取りばかりに専念してしまうためだ。

2012-03-27 00:06:28
shinshinohara @ShinShinohara

しかし私たちの心掛け次第では、どんな人からも学べるし、新発見の喜びが得られる。好例は棟方志功。版画家としてゆるぎない地位を築いた彼だったが、どんな人の話にもよく耳を傾け、何かを学び取ろうとしたという。それゆえに、ちょっとしたことからインスピレーションを得ることができた。

2012-03-27 00:13:24
shinshinohara @ShinShinohara

学びには謙虚さが必要だ。「教え」には尊敬する関係が必要だ。「尊敬できるような教師がいない」というのなら、私たち、あるいは子どもたちが謙虚になり、相手に敬意を示せばよい。すると私たちは、相手のちょっとした話から様々なヒントを得ることができるだろう。

2012-03-27 00:14:52
shinshinohara @ShinShinohara

謙虚な学びは、面白いことに尊敬を勝ち得ることにもつながる。好例はソクラテスの産婆術。ソクラテスは若者に対しても謙虚に「これについてどう思う?」と意見を聞いた。すると若者は考えを述べる。するとソクラテスは喜んでさらに問いを重ねる。繰り返すと、若者の頭脳から新発見が生み出される。

2012-03-27 00:21:22
shinshinohara @ShinShinohara

ソクラテスは若者たちから人気があった。ソクラテスの問いに答えていると、自分だけでは思いつきもしないアイディアが泉のごとく湧き上がり、自分が賢くなったかのように感じるからだ。この様子は、プラトン「饗宴」に、アルキビアデースの言葉として語られている。

2012-03-27 00:23:26
shinshinohara @ShinShinohara

ソクラテスは若者に対しても謙虚になることで、若者の優れた性質を引き出し、ソクラテスの「産婆術」の効果に驚嘆した若者は、ソクラテスに敬意を表した。謙虚は学びの相乗効果を生み、たがいに敬意を払いたくなる好循環を生む。

2012-03-27 00:25:18
shinshinohara @ShinShinohara

私が昨今の、他者をこき下ろす手法に強い違和感を覚えるのはこのためだ。謙虚さは学びの好循環を生むが、他者をバカにする心は、学びの劣化を招く。一人の優れたように見える人間を生んで、バカに見える万人を生む。これでは知識が劣化するのも当然だ。

2012-03-27 00:26:55
shinshinohara @ShinShinohara

ソクラテスの恐るべきは、「優れた人間でなくても、相手から学ぼうという謙虚さがあれば、私たちはアイディアを泉のごとく生み出せるし、たがいに敬意を払う関係になれる」という提案をしたことだ。これが民主主義の源泉になっているとも言えるだろう。

2012-03-27 00:28:28
shinshinohara @ShinShinohara

謙虚な気持ちで相手に敬意を払い、問いを重ね、帰ってくる答えから何かを学び取ろうとする。これがソクラテスの「産婆術」の要諦だ。これさえできれば、私たちは学びを重ね、歩みを進め、多くの人から学ぶと同時に、それらの人からの「敬意の跳ね返り」を受けることもできる。好循環だ。

2012-03-27 00:30:18