@skasugaさんの「科学者の責任」についての一連のつぶやき
(1)科学者の社会的責任という観点からいえば、日本のアカデミズム全体がもう少し「自分たちが担う社会的役割」について議論を喚起すべきではなかった、ということが最も重要であるように思う。
2012-03-28 11:33:48(2)例えば、原発関連の審議会などのメンバーが電力各社や原発メーカーから寄付をもらっていたことが、リベートをもらっていたこととあたかも同一の罪であるように報道されるという側面があるが、これに関しては当該の研究者だけではなく、学界全体で(学術会議などが)応答責任があるんではないか。
2012-03-28 11:33:56(3)もちろん、こういった「実施と規制が切り離されてない」(利益相反がらみがグダグダ)というのは原子力に顕著な特徴で、原子力村(あるいは国策としての原子力)の特性であるとは言える(例えば製薬や航空機の安全性みたいな話でこういうことはもうあり得ないように思う)。
2012-03-28 11:34:07(4)その一方で「運営費交付金は年々減らしていくから、そのぶん他で稼いでこい」というのは90年代からの日本の大学に対して政府から突きつけられた要求であって、それに忠実に答えたら怒られた、感は否めないのではないか?
2012-03-28 11:34:14(6)一方で、90年代を想起すると、産学連携に批判的だった戦後の大学の風潮に、産官側はそれなりに配慮していて、例えば多様な資金を積極的に引き入れて国策研究や産業界に協力し、また世界で闘う役割を担う大学や研究者と、(続)
2012-03-28 11:34:29(7)(承前)そういったものから距離を置き批判的に研究する大学や研究者を切り分けようという提案であったはずで、例えば本来「重点化」というのはそういう文脈で提案されていたはずである。
2012-03-28 11:34:35(8)この「研究大学と教育大学」(みたいな用語が当時あった)の区分けが成功していれば、規制側の委員については「教育」(←便宜的呼称ですから)から選ぶといった使い分けが可能であったはずである。
2012-03-28 11:34:44(9)(まぁ、もちろん、その場合も原子力に関してはそうならなかったはずだ、という気はするところであるが、少なくともアカデミズム側から是正案は提示できたはずである)
2012-03-28 11:34:49(10)ところがふたを開けてみると、たぶん産官側からは意外なほど無批判に、大学側が我も我もと重点化や産学連携を引き受けていった、というところの反省が必要、というところに落ち着くのではないか。
2012-03-28 11:35:00(11)当時すでに高木や宇井といった批判的研究者の中枢が旧帝国大学を中心とした「主要な大学」から排除されていたということなのか、あるいは人間の批判的精神なんて金で折れるたぐいのものなのか…。
2012-03-28 11:35:12(12)いずれにしても、福島第一原発事故を受けて、科学者の責任を考えるならば、やはり第一に産学連携や競争的資金などでアカデミズムを「自律的な営み」から請け負い仕事にしてしまったことの反省をきちんと示すことであろうと思う。
2012-03-28 11:35:19(13)請負化は、資金がないと研究できない分野だけであれば、まぁ、多少はしょうがない部分もあるのであるが、そういった研究を批判すべき人文科学までも(21世紀ナントカやらなんやらで)すっかり競争的資金中毒になってしまっており、
2012-03-28 11:35:32(15)なので、90年代の歴史的経緯を当時の産官学アクターにちゃんと聞き取りして振り返ると共に、官僚が思いつきで投げるニンジンを追わなくても「研究」が続けられるアカデミズムの確立を考えるというのが、本来学術会議などが努力すべき「反省」なんではないかな。
2012-03-28 11:35:57書こうと思ってたんだけどさ、やっぱ90年代の流れについてはもう少し調査がいるよねぇ、という部分もあり…。 “@nmasaki: @私 @kentosho それをもとに原稿にまとめてもらえれば…♪”
2012-03-28 11:39:48