『書き文字から印刷文字へ』の構想

10年ほど前に流行した「フォントいじり系テキストサイト」の先駆は江戸時代にあった。詳しくは『書き文字から印刷文字へ―活字書体の源流をたどる』で熟知すべし。
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2SC1815J @2SC1815J

@uakira2 ところで、『浮世風呂』の板本を読んでいたら、続け書きのなかに明朝体が現れて、その混在が面白いなと思いました http://t.co/sadyktyN 。 このような例は江戸期に一般的に見られるのでしょうか。

2012-03-26 23:20:15
UCHIDA Akira @uakira2

なるほど「これは中医のオマジナイですよ」ということのしるしとして明朝体を活用したんですね、面白いです。序や祓と本文の書体を変えるようなことが一般的であるとは言えますが、不勉強にて明朝体に限らず本文中の特殊効果としての書体変更が一般的かどうかは存じ上げません。 @2SC1815J

2012-03-27 06:51:13
UCHIDA Akira @uakira2

ただ年代的に三馬なら鈴木俊幸『江戸の読書熱』に見られる「経典余師」流行の最中だなぁとか、丹和浩『近世庶民教育と出版文化』がいう重宝記・節用集のブームだなぁとかいう感想が出てきます。 @uakira2 @2SC1815J

2012-03-27 06:55:02
UCHIDA Akira @uakira2

以前両書に触発されて『重宝記資料集成』をざっと眺めた際、既に咀嚼されて久しい内容は行書漢字・連綿仮名で綴られ、新奇と思われる内容が楷書漢字になるところが面白いと思っておりました。 @uakira2 @2SC1815J

2012-03-27 06:57:45
UCHIDA Akira @uakira2

そういえば康煕字典の写真に基づくはずのこの九ポイント活字では、当然「簒」は字典体だったんでしょうねw @koikekaisho @2SC1815J @ogwata

2012-03-27 06:59:49
2SC1815J @2SC1815J

@uakira2 なるほど、強調したい部分の書体を変えていたケースがあるのですね。今なら明朝/ゴシックとするように、当時は行書/楷書で使い分けていたと。参考資料のご紹介もありがとうございます。重宝記は『女重宝記』 http://t.co/q6l9Z8Dt などを読んでみます。

2012-03-27 09:35:41
UCHIDA Akira @uakira2

いまちょっと当時眺めた具体的資料が思い出せないんですが、薬草なんかの紹介で、古くから知られていたらしきものは行書漢字なのに、おそらく和漢三才図会などで新しく仕入れたのであろうものが楷書漢字だったりして、「書き慣れなさ」「見慣れなさ」によるのかと想像しました。 @2SC1815J

2012-03-27 13:26:52
UCHIDA Akira @uakira2

明治が終わらないので十九世紀印刷文字の前半になかなか手を伸ばせないんだけど、2007-08年頃、mixiの日記にこんなことを書いていた。【漢文体といふ意味では「日本語」ぢゃねぇんだども、楷書の漢字に平仮名を交ぜて書かれた実用書である『小児療治調宝記』。

2012-03-27 13:32:03
UCHIDA Akira @uakira2

Webcatによれば国際日本文化研究センター所蔵本は『重宝記資料集成』所収のものと同じ正徳五年版らしいが、京大図書館富士川文庫の本は、さて、正徳五年の大坂柏原屋清右衛門版か、原企画者である京都川勝五郎右衛門版か。

2012-03-27 13:32:26
UCHIDA Akira @uakira2

元禄頃、本屋主導で和文の啓蒙書が出されてゐたことと、それが楷書漢字に平仮名交じりであることが気にかかってゐる己。 川勝五郎右衛門は中国の医書『万病回春』を和刻出版してゐた書肆でもある一方、「獄前の都の錦--書肆川勝五郎右衛門をめぐって」(『近世文芸』76号)といった言及のされ方

2012-03-27 13:32:51
UCHIDA Akira @uakira2

をする書肆でもあったやうだ。 柏原屋は、女大学の他、早引節用集、医方の重宝記をロングセラーとしてゐたらしい。】これが、はてダにつながっている。 http://t.co/sS9F4s4R

2012-03-27 13:34:27
UCHIDA Akira @uakira2

例えば大鳥圭介が「本様」平仮名活字を作っていたりする http://t.co/3mCAUzfk ことや、平野上京後すぐに(初期)「本様」仮名活字を手当てできたのは、当時の印刷文字に倣ったものなんじゃないの?と思い続けてン年、明治がまったく終わらない… 江戸に辿りつけるんだろうか

2012-03-27 13:39:26
UCHIDA Akira @uakira2

江戸の印刷物は草双紙だけじゃなくて、調法記(重宝記)や節用集の他にも、農書とか俳書とか、広く民間で親しまれていたであろうたくさんの刷り物を、「印刷文字」の生態観察っていう視点でとにかく数多く観光したいと思ってるんだけど。

2012-03-27 13:50:33
UCHIDA Akira @uakira2

そういう、十九世紀前半の印刷文字の生態を踏まえた上で、やっと初期の活字書体に至る、『書き文字から印刷文字へ―活字書体の源流をたどる』っていう本をいつか書きたいなと思っていることであるよ。

2012-03-27 13:53:11
Kazuhiro hokkaidonis @kzhr

@uakira2 和様はやっぱりハイブロウな文字だったんじゃないかなあと思うのですが、まだ観測範囲が狭く断言できません……

2012-03-27 13:55:01
UCHIDA Akira @uakira2

私もなんとな~く、そんな気持ちがしつつ、そもそも二号と四号を同じ和様って呼んじゃっていいのかとか、色々悩ましいなと思ってます。 @kzhr

2012-03-27 14:11:37
Kazuhiro hokkaidonis @kzhr

@uakira2 どうなんでしょうねー わたしは、大鳥活字も和様と呼んでしまいたいのですが

2012-03-27 15:04:06
UCHIDA Akira @uakira2

大鳥が和様とすると、新製三号や六号は如何? @kzhr

2012-03-27 15:34:15
Kazuhiro hokkaidonis @kzhr

@uakira2 御家流とかなんでしょうかねえ

2012-03-27 15:44:07
UCHIDA Akira @uakira2

なるほど、なるほど。ありがとうございます。そして、大鳥は和様と。 @kzhr

2012-03-27 16:44:43