元不登校児が教員免許を取った

中学校から不登校だった人が、 教職課程を履修して、中学校に教育実習に行って、教員免許を授与された、 その一方で、生涯学習の考えを知って、フリースクールでエスノグラフィをして、その考えを基に卒論を書いた、 という大学4年間の振り返りと今後の展望。
教育
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喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
中学高校と不登校だった私が教員免許を取って、思う事がいくつかある。正式に免許がおりたので匿名性には配慮しながら思うところをつぶやいてみようか。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
私は中学校は半分しか行っておらず、高校は受験しかしてない。不登校である。そして地元の民間のフリースクールに16から21まで通ってた。そんな奴が教員免許を取った、珍しい存在ではないかと自負してる。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
自分の連続ツイート見返して間違い発見。高校は受験「すら」してません。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
私が通ったフリースクールは、不登校の子を主な対象としていたが、学校復帰を目的とはしてない。学校教育で言う教科教育などは無く、教師もいない。それどころか大人(スタッフ)による"指導"も無い。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
私はフリースクール(以下FS)で色々"活動"をしていた。バンドを、バスケ、活動をビデオに撮って作品作り、畑、そして毎週ミーティング。formalに教えられる事はなく、自分たちで考えて活動して反省して、それをひたすらしてた。それがFSでの学習だった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
FSの明確な定義は無いけど、こういうのが今の日本のFSの主流かなと私は思ってる。そうじゃないところももちろんあるけども。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
でも通っている間「自分はFSで学習している」と思う一方で全く逆の思いも持ち合わせていた。「この学習は本物なのか?社会に通用するのか?」と言う考えから離れられなかった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
実際FSを"退会"(卒業では無く)した友人からそんな言葉をかけられたりしていた。そして結局自分はいわゆるノイローゼの用な状態になり、半ば逃げるようにしてFSを卒業した。そして「確かな学習」を証明できる「学士(大卒)」という「資格」を得なければならないと思い大学に入る。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
大学ではさらに「確かな学習」を証明するために教職課程を履修し「教員"免許」を取り教師を目指した。1,2年生の頃はそれだけに必死だった。自分が社会から認められる為に自分の"価値"を高める事に必死だった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
しかし教職の勉強をする内にどんどん違和感が湧いてきた。本当に学校教育は唯一絶対の正しい学習のあり方なのか、と。そして不登校を学校"病理"と語られる事が、自分の人生を否定されるようで苦しかった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
そうこうしてる内に3年生になり、図書館司書過程の先生の授業を取る事になる。そこで生涯学習の考えを知る事になった。ここで初めて、学校教育以外の学習についての議論やとらえ方に触れる事になった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
生涯学習の考えは衝撃的だった。学習する事=社会に適応するため、だと考えていたが、それだけではなかった。特にパウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』を読んで、学習とは自分の手で社会を紐解き変革していく事だという見方に気づかされた。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
FSの学習では社会に適応するのは難しい、と考えていたが、FSでの自分で考えて動いて反省(省察)して、と言う「活動への参加」がまさにフレイレの言う学習だったと言う事に気がついた。そして「FSは学校教育のリメディアルでは無くて、別の柱を持つオルタナティブだ」と思うようになった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
私は、生涯学習の観点からFSを捉えれば、(外から見れば)あやふやであまり説得力の無いFSの学習について説得力をもって語れるのでは無いかと思い、そして何より、自分がやってきたFSでの学習を自分で納得するために、これをテーマに卒論を書く事を決め、FSでエスノグラフィを行った。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
卒論わ書く上で得られた事は、FSでの学習は紛う事なき学習だったと言う事だ。確かにテストで計れる知識の蓄積や、目に見える○○力の獲得というものは実感しにくい。しかし、置かれた状況を読み解き考え動き状況を変え作り上げていくという「学習」が確かにそこにあった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
その一方で、教職課程は続いており、4年生になった私には教育実習が待ち構えていた。教育実習は原則出身校で行うので、不登校になった中学校に実習生として戻る必要があった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
教育実習には本当に行きたくなく体調に異変がでるほどだった。しかし「教育を語るのに教員免許も持ってないで」と言われるのは目に見えていたし、何より自分の中のケジメだと思い何とか実習に行った
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
ハッキリ言って、実習で目にした学校教育は想像の域を超えていた。私にはただの抑圧にしか見えなかった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
全校集会やランチルーム(広い部屋で全校生徒が並んで食べる)での給食の時は、入ってくる生徒を教師や生徒会が"監視"していた。壇上では教師が腕組みして仁王立ちになり、生徒会が「無言」とデカく書いた看板を掲げて生徒を取り囲んでいた。少しでも私語があると教師が怒鳴りつけ再入場させられた。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
そして(私にとって)ある事件が起こった、生徒会総会だった。全校生徒が集まり、前に生徒会役員と各委員会(保健委員等)の委員長が並び、生徒の目線から意見交換し学校行事を考える"名目"の会だった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
総会でまず去年の行事をまとめたプリントが配られ生徒達は懐かしいのか隣と小声で話したりし出した。すぐに先生が注意し静かになったが(その時点で私は納得出来なかったが)、2人の生徒が凄く小さな声で(近くの端にいた私も気づかないくらいで)プリントを一緒に見ていた。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
次の瞬間、その2人の所に1人の教師がやって来て2人の首根っこをつかみ体育館から引きずり出していった。止めようかと思った。生徒が主体の生徒総会で教師が暴力で生徒を退場させる事が信じられなく許せなかった。でも私の体は動かなかった。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
止められなかった。自分の保身の為だった。そうして、"何事も問題なく"私は教育実習を終えた。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
FSでのエスノグラフィーと、学校での教育実習を終えて。学習とは教育とは何なんだろうかと考えた。学習者自ら社会に参画していく学習。教育者が社会で役に立つスキルや知識を与える教育。おそらく、前者は後者に比べて体系化や言語化されておらず説得力や一般性も少ないのだと思う。
喫茶「もうやめぇよ」 @fuzzy_Ne
学校教育を全否定するつもりは無い、多くの人の力になってきたのは事実だ。しかし、子どもが社会化(学習・成長)する場はそれ一つで良いのだろうかと思う。
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