「わび・さび・いき」について:今日のめんたねサロンから

最近めんたねサロン http://mentane.net/workshop/pg31.html で読んでいる『甘えの構造』をもとに、「わび・さび・いき」の三つの概念について、サロンで議論になったことをまとめてみました。
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浅生楽@チーズ担 @Asailuck

アクターズ・スタジオに出演して自虐ギャグをかまし続けていたヒュー・グラントだが、「あなたは自分のことを正直に話してくれるので好感が持てます」と聴衆の学生がコメントしたところ、「ありがとう。でも今までの話は全部嘘だよ」と返して更に好感度が上がった。Happy April Fool.

2012-04-01 00:08:36
浅生楽@チーズ担 @Asailuck

ヒュー・グラントは「粋」ですね。RT @asou_ai @Asailuck そういう人!そこにシビレル!あこがれる!いやーそういう人になりたいです。まことしやかにホラを吹くというのに憧れるって、倫理的に見てグレーなんでしょうかねぇ。でもカッコイイ!

2012-04-01 00:25:16
浅生楽@チーズ担 @Asailuck

英国には江戸の「粋」に近い美意識があるような気がする。近代になって、台頭する市民階級に権力や財力では追い越された貴族階級が、文化的洗練度を持って必死に差別化をはかろうとした。その貴族主義を「父親」世代との差別化のためにモダニズム世代が用い始めたのではないか、というのが私の仮説。

2012-04-01 00:32:02
めんたね @mentane

今日のサロンでは『甘えの構造』を読んで「甘え」「ドライ」の両端の中間領域に「ワビ、サビ、イキ」があるという話になった。

2012-04-01 00:34:09
masa( ’ ë ’) @masa_Nautilidae

@Asailuck ダンディズムって「粋」に近い感覚だったような

2012-04-01 00:34:41
めんたね @mentane

お互い自分が相手に望むもの全て受け入れてもらえる関係を美徳とするのが日本的な「甘え」の関係、一方、親しき仲にも礼儀あり、お互い自分でやれることは自分でやり、相手に無理がかからない範囲の期待だけをして関わるのは西洋的な「ドライ」な関係だ。

2012-04-01 00:37:53
浅生楽@チーズ担 @Asailuck

@masa_Nautilidae かなり近いですね。「ノーブレス・オブリージュ」という言葉もそうですが、いずれも貴族階級が市民階級に追いつかれてしまった19世紀半ばにやたら使われ始めた言葉なので、「貴族必死だな」という(笑)

2012-04-01 00:38:25
めんたね @mentane

お互いの望みを全て相手にかなえてもらう甘えの関係が完全に成立することは現実的にあり得ない。また、全く相手に期待をかけない究極にドライな関係とは他者との関わりを一切持たないことにつながる。どちらも現実的ではない。だから、私たちはその間のどこかで人と関わることになる。

2012-04-01 00:42:02
めんたね @mentane

理論上、相手に対して求める量と自分が相手に対して応える量が一致していれば、それは公平(フェア)な態度だ。それを数量化して測定することは難しいが。甘えの関係ではたくさん求める代わりに同じだけたくさん応える。ドライな関係では少ししか求めない代わりに少ししか応える義務を感じない。

2012-04-01 00:46:02
めんたね @mentane

甘えの関係とドライな関係のどちらが良いのか、どのぐらいの量が良いのかというのは個人の好みもあるし、文化によっても異なる。なので相性の良し悪しというものは当然生まれるが、基本的には「好みの問題」として片づけてしまってもいいと思う。

2012-04-01 00:47:35
めんたね @mentane

ただ、甘えの関係サイドで公平さの基準を持つ人とドライな関係サイドで公平さの基準を持つ人との間では公平さの線引きの仕方が異なるために摩擦が生じる。

2012-04-01 00:49:25
めんたね @mentane

SMマトリックスでは甘えの関係サイドでフェアネス(公平さの基準)を持っている人たちを主に「ハード」、ドライな関係サイドでフェアネスを持っている人を「ソフト」と考えている。

2012-04-01 00:50:55
浅生楽@チーズ担 @Asailuck

「わび」「さび」「粋」は(1)相手から受け取ることに対する期待値を下げ、(2)相手に与える量を増やすことを推奨する美学である。SMマトリックスで言えば、「服従Sをすることを誇る支配M」と言ってもよい。

2012-04-01 00:51:31
めんたね @mentane

甘えの関係とドライな関係は主に対人関係の親密さ、承認に関わる問題だ。なので今回は利害損得のような実利的な話は脇に置いておき、どのぐらいドップリと深く人と関わるかという対人関係の距離の取り方の問題に絞って考える。

2012-04-01 00:53:38
浅生楽@チーズ担 @Asailuck

『へうげもの』には、千利休が弟子の庵に抜き打ちで立ち寄ったところ、その弟子が師匠の突然の訪問に戸惑いながらも見事なもてなしをするので利休は感心したが、その弟子がついうっかり「これは先日大阪から取り寄せた逸品でして」と口を滑らせたのに失望して席を立った、という逸話が載っていた。

2012-04-01 00:55:29
浅生楽@チーズ担 @Asailuck

利休は「いつ客人が来てももてなしが出来るだけの心構えと機転を持て」と教えたのだが、その弟子が利休の来訪を予測し「わざわざ」逸品を取り寄せたのに失望をしたというわけだ。

2012-04-01 00:57:57
めんたね @mentane

甘えの関係サイドに寄れば寄るほど、「私の望みはあなたの望み、あなたの望みは私の望み、そういう状態が理想」という自他の境界線が曖昧な世界観になっていく。ドライな関係では「私の望みは私の望み、あなたには何の義務もない、逆もまたしかり」と自他の境界線をはっきり引くようになる。

2012-04-01 00:59:15
めんたね @mentane

先日、「議論と承認」についてツイートしたが、その概念で考えるならば、甘えの関係は「ガチ承認」的な関わり方、ドライな関係は「承認プレイ」的な関わり方である。ガチ承認的関係で望んだ承認が得られないのは危機的状況だが、承認プレイ的関係では望み自体が弱く遊びの色合いが強い。

2012-04-01 01:01:55
めんたね @mentane

今日の中心議題であった「ワビ、サビ、イキ」は単純な甘えの関係でもなければ、ドライな関係でもない。ちょっと特殊な形態をとる。

2012-04-01 01:04:12
浅生楽@チーズ担 @Asailuck

「わび・さび」は郊外に庵を構えて客人をもてなすイメージが強いが、「粋」は同じことを都市中心部で頻繁に人と関わりながら展開する美学。社会流動性の高い室町期は脱身分的な風流人の「わび・さび」が、流動性の低い江戸期は町人の「粋」が、同じ構造に基づき微妙に違う文化となったのかもしれない。

2012-04-01 01:09:47
めんたね @mentane

ワビやサビやイキという発想の根本には「物のあわれ」という感覚があるのでは?と『甘えの構造』の著者、土居健郎氏は言う。

2012-04-01 01:10:07
めんたね @mentane

ウィキペディアに寄れば「あわれ」とは、「しみじみとした情趣や哀愁。日常からかけ離れた物事(=もの)に出会った時に生ずる、心の底から「ああ(=あはれ)」と思う何とも言いがたい感情。」とのこと。http://t.co/Wc4Y7oOx

2012-04-01 01:10:44
めんたね @mentane

しみじみとした情趣や哀愁とはどのような感情だろうか?どのような条件で生まれるのだろうか?と議論したのだが、ここに一つの仮説を立ててみる。

2012-04-01 01:12:29
めんたね @mentane

しみじみを感じる場面として挙がったものとして「さびれた地方で見かけた単線列車のレール」「草ぼうぼうの丘の上に残っている城跡で石垣だけが残っている」「夏草や兵達が夢のあと」「中年を過ぎて仕事もなく存在を忘れられた元美少女アイドル」などがある。共通の特徴は何か?

2012-04-01 01:15:58
めんたね @mentane

対象が物や場所であれば、それを擬人化する。「さびれて滅多に人が寄り付かない単線列車のレール」「かつては政治の中心であったであろうが、今は草ぼうぼうの城跡」「今はもう夏草しかないがかつては栄えていたであろう奥州藤原の地」ここに寂しさを読み込むのではないか?

2012-04-01 01:19:40