- lalala_mujinkun
- 1671
- 0
- 0
- 0
(1)・きっかけは、思想とか人文系の「教養」みたいなのを学んで何が良かったのかなあと考えたこと。教育において。 ・結局、「自覚するため」という結論に落ち着いた。なにをか、というと、教育(特に文系科目国語・社会)はイデオロギーであるということについて。
2012-04-03 02:29:06(2)・今日会った2人とも社会科なので、たとえば、社会(歴史)。社会科は透明な「事実」を伝えるものではない。社会こそ明確なイデオロギー性を有する教科だと思う。WW2の評価ひとつとっても、隣国は「日本=侵略者(悪者)」だし、日本だとどちらかと言えば「被害者(原爆)」意識が強いし。
2012-04-03 02:29:50(3)どのように歴史を伝えるか、にはその伝える人の思想が如実に反映される。隣国は歴史を「教育」としてとらえているからこそ(それは歴史を辿ればわかる。王朝が変わる度に皇帝は公式の歴史書を編纂させていたのだから)、わざわざ日本の教科書の問題に首をつっこんでくるのだろう。
2012-04-03 02:30:45(4)・具体例は沢山。清教徒革命やフランス革命を総称する「市民革命」という言葉は人によってはマルクス主義のにおいがぷんぷんするだろう。日本の戦後教育の歴史を辿れば、戦中の軍国主義教育のアンチテーゼとして自由主義、民主主義、マルクス主義への模索があったことが分かるはず。
2012-04-03 02:31:34(5)国語だって、ひとつの目標に「様々な分野の専門家が書いた文章を読む」ことがあるはずで、分野ごとに背景知識を持ってたら教えやすいし深みが出るでしょう。少なくとも僕は高校の現代文でソシュールの構造主義言語学を習い、思想(史)に興味を持った。
2012-04-03 02:31:57(6)中高からでしょうが)明確な思想信条を持った先生も必要だと思うのです。つまり、生徒が「あの先生は好きなんだけどあそこまで極端には考えられないわ」と言えるような先生。先生を通じて自分の立つ位置をちょっとは相対的に見られるのではないか。
2012-04-03 02:32:36(8)つまり「人間としては好きだけど思想には共感出来ない」「人間としては嫌いだけど考え方は妥当だと思う」ということが当たり前になるかどうか。そうじゃないと安心して議論できないから。思想否定は人格否定ではない。
2012-04-03 02:33:35(9)何も背景知識が無い先生だと、無意識のうちに何らかの思想に支配されている気がする。そしてそれは往々にして昔に克服された古い思想だったりする。
2012-04-03 02:34:00(10)自分の依拠する思想基盤を自覚してそこに立つ(つまり反対思想など知った上で敢えて選択する)のと、自覚せずに立つのでは、最終的な立場は同じでも違いが出る気がする。多分行き過ぎないようにブレーキがかかるか否かの違いだと思うけれど。
2012-04-03 02:34:12(11)こんな感じで風呂場で考えていたのですが、色々な本を読み教養を身に付けることは、教育者としての自覚につながるんじゃないかなあと思った次第です。
2012-04-03 02:34:50(12)教えるということはとりもなおさず生徒をある思想(広くは民主主義、とかね)で染めることであり、その人の方向性を決めるような重大な影響を与える職種である以上、自分のイデオロギーについて客観的な物差しを持っておくべきではないのかと。それが教養なのではないかと。
2012-04-03 02:35:08@ASAP_r 俺は共感する部分多いよ。←まだ起きてる 戦後日本でまず社会科に「民主主義を教える」ことを求められたのは事実だし、現代においても社会事象を通してどのような視点で見るのか、解釈の仕方は他にもあるのでは、そういった姿勢を身に付けさせることが社会科には必ず必要な目的。
2012-04-03 02:46:29@ASAP_r 社会をどう見るのか、という視点は多面的多角的である程良いけれど、個々人に一定のスタンス、立ち位置や姿勢が無いと物事が動かない、先に進まない。自分なりの考え方を持って初めて「主張」ができる市民となる。主権者である国民は主張ができなくてはならないと個人的に思う。
2012-04-03 02:51:26@ASAP_r しかし教員は現実、自らの思想や主張をすることを禁止されている。確かに教育という場で教師が子どもに与える影響力や潜在的に持つ強制力を考えれば危険なのはわかる。それでも、それをいいことに学びを、思考を、放棄している教員が多いことは問題。言い訳は決まって「公務員だから」
2012-04-03 02:55:51@tarocc_vigjot そりゃ先生みんなアクの強い主張ばっかでもいかんけど、それやと魅力的な先生がおらんくならんか心配やなぁ。宮台真司の言葉を借りれば「感染」する力の強い先生というか。
2012-04-03 02:58:55僕は日本人は「市民」なんて立派なもんには結局なれないと思うんだなあ。教育が行き届いてる筈なのに結局生活圏では「民衆」で、政治的視点から見ると「大衆」。それが日本の「普通の人達」。
2012-04-03 02:57:45僕はね、生活圏で安穏としてる「民衆」をわざわざ「大衆」として政治の場に引っ張り出すのが実は不味いと思ってる。「普通の良い人達」が政治的判断の中で示す理不尽さや視野の狭さ。
2012-04-03 03:03:12@ASAP_r まあ、日本が民主主義国家であろうと思うなら教員は「市民育成」という理想を掲げる必要があるよな。名目上としても、此れは必須。まあしかし教育者の政治的姿勢って凄くデリケートな問題だよねえ。僕も断じる事が出来ん。
2012-04-03 03:05:33@sho36ban 若干断じてしまったわ。教育についてはまあ何でも言ったもんがちなところがある気がする…結果がすぐ出るわけじゃないからさ。理想を追う人も必要だよねん。
2012-04-03 03:10:04