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2012年4月3日

写真・映像報告 “3.11 東日本大震災から1年~大津波と核汚染” 2012/04/02

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映像報告・飯舘村の女たち

古居みずえ

ala @w_ala

「放射能の心配、牛の心配、去年買った道具の支払いは続く、避難の間に道具が盗まれないか…夜も眠れません」: 古居みずえ・映像報告・飯舘村の女たち

2012-04-02 03:24:42
ala @w_ala

「旦那は牛売って酪農一回やめた方がいいって…。何日も考えて考えて、夜も眠れなくて頭がおかしくなりそうで。決めたの、牛は売らないって。やめたら、国に東電に負ける気がして。牛を売るなら私はもうここにいないって言ったの、一人東京に行って働くって」: 古居みずえ・映像報告・飯舘村の女たち

2012-04-02 03:26:10
ala @w_ala

「飯舘に子どもたち、呼ぶわけにいかない。だけど神様だって、飯館にいる。すごい一年だったけど、年だけは飯舘で越さないとって思ってます。…原発さえなければ、家族で暮らせたんだよね」: 古居みずえ・映像報告・飯舘村の女たち

2012-04-02 03:28:20
ala @w_ala

「離れなければいろんな苦労もしなくてすんだしね、いろんな経験させてもらったんだって思うけど…家族みんなで暮らしたい、みんなで暮らしたい、それだけ。みんなでがんばっていかないといかないといけないの、飯舘村みんなでがんばっていかないとね」: 古居みずえ・映像報告・飯舘村の女たち

2012-04-02 03:28:49
ala @w_ala

古居みずえ「花子さん、信子さん、先日東京に来てくれて。元気いっぱいです。花子さんは、旦那さんとベルギーで飯舘の報告、あちらの原発の状況目の当たりにされて、とても勉強になったと、積極的に話をされてました」

2012-04-02 03:33:41
ala @w_ala

古居みずえ「信子さんも酪農家、東京に来られたの初めて。ホールボディーカウンターによる測定やってもらったが、自分たちのところは、線量の高いところなのに、最初の頃に飯舘から避難していった人と自分と測定値が同じだった、同じことおかしいんじゃないかと仰っていた」

2012-04-02 03:36:00
映像報告・福島原発作業員Tさんの1年

綿井健陽

ala @w_ala

綿井健陽「原発作業員、Tさんとは深い関わり、野田雅也、山本宗輔の2人、**町からの避難直後、取材。その後、私や豊田他にも断続的に話をきいて、偶然なのか必然か、あちこちでお世話になっている」(町の名、ここでは伏せます)

2012-04-02 03:40:05
ala @w_ala

綿井健陽「福島第一原発では、2000~3000人の人が、毎日働いている。登録している人の数、2万人、この1年で。その中には1週間とかの短期であったり、断続的に一人で入っている人など様々。延べでは、80万人になる」

2012-04-02 03:41:32
ala @w_ala

綿井健陽「彼らが取材に応じるのに、顔を出せずに、また音声変えてしか話せなくて、不条理な立場にあると僕は思っている。今日は、このような場所なので、声に関してはそのまま聞いていただければと」

2012-04-02 03:42:48
ala @w_ala

2011年3月16日、**市、原発から40キロ、**町住民が避難。そこで、Tさん「事故当時、メンテナンス作業中。ゆるい横揺れの後縦揺れ、かなり大きな地震だと、命の危険感じた。照明消え、慌てて建屋外へ。だが出入口、人が一杯で出れず、3分くらい経ちやっと外へ。事務所集合、各自解散に」

2012-04-02 03:49:39
ala @w_ala

原発作業員Tさん「避難後)いつ連絡がくるか、待っている状態」、連絡あったら現場に?「向かいます」、被ばくの可能性は?「充分ありえます、それは覚悟」、どうしてそこまで?「自分が働いていた場、地元の人が再び住めるよう、これ以上深刻な事態にしたくないから」2011/03/16 綿井健陽

2012-04-02 03:52:33
ala @w_ala

なぜ原発で働いてみようと? 原発作業員Tさん「特に東京、首都への送電の安定した供給に、協力したいという気持ち、少なからずあった」2011/03/16 綿井健陽

2012-04-02 03:53:41
ala @w_ala

そのインタビューから5日後、要請が。 原発作業員Tさん「電源復旧し、できる仕事ができた、現場に来てほしいと。召集あるかもしれないと聞いたときから現場に行きたいと思っていたので、すぐにお迎えをお待ちしていますと答えた、心の中では静かに穏やかな気持ちで明日の出発を待っている」綿井健陽

2012-04-02 03:56:47
ala @w_ala

それから1週間後: 原発作業員Tさん「電源復旧メイン、ケーブルの端末処理や移動、資材移動など」、食事は?「朝は電力さんから支給の水・クッキー、夜は水いれ炊けるアルファ米、カロリーメイト、それに各社差し入れのおにぎり。Jビレッジでは、レスキューフード、パン、缶コーヒーなど」綿井健陽

2012-04-02 04:02:32
ala @w_ala

なにか印象に残った食べ物はありますか? 原発作業員Tさん「差し入れの、手で握ったおにぎり非常においしく感じた」、それは誰が握っているんですか?「ホテルなどへ発注されたもの」、作業中は水は?「作業中は、一切水とれない」 綿井健陽

2012-04-02 04:05:23
ala @w_ala

原発作業員Tさん「初日、慣れた作業だったが、久しぶりの作業だったのと、雨を避けるために合羽を着ていたこともあり、軽い脱水症状になって、頭痛が」 綿井健陽

2012-04-02 04:06:45
ala @w_ala

一日の作業が終わって感じることは? 原発作業員Tさん「おそらく、こういった生活があと10年くらいは続くんじゃないか。東京あたりでの普通の生活は、もう十数年単位で暮らせないんじゃないかと」 綿井健陽

2012-04-02 04:07:36
ala @w_ala

被ばく量増えていく? 原発作業員Tさん「トイレで知らない人が、冗談交じりで言った言葉が印象的。“10年後、癌だなぁ”、と。その場の人黙り込んだ。今後の結婚や家庭環境に影響与えるかもしれない。しかしマイナス面考えず、自分に与えられた任務、刻々と確実にこなしていきたい」 綿井健陽

2012-04-02 04:10:21
ala @w_ala

睡眠は? 原発作業員Tさん「作業にあたっている間、とてもとても幸せな夢を見る。けれど、起きた瞬間、免震棟や避難所の天井を見て現実に引き戻され、がっかりする」 綿井健陽

2012-04-02 04:12:17
ala @w_ala

原発作業員Tさん「いままで安全、絶対にチェルノブイリのような事象起こらないと言い聞かされてきた。しかし実際レベル7、世界で例を見ない事象が起こったわけです。 地元の自分としても、発電所で働いていた自分としても残念です」 綿井健陽

2012-04-02 04:13:13
ala @w_ala

2011年10月 原発作業員Tさん「原発の恩恵を受けてきていない人が、“原発さえなければ”という言葉を遺し命を絶ってしまった。たくさんの人たちが、発電所のせいで命を絶ってしまった」 綿井健陽

2012-04-02 04:14:31
ala @w_ala

原発作業員Tさん「それだけではありません、あの発電所のせいで、多くの人が住むところを奪われ、いままでの生活できなくなってしまった。報道されていないけれど、あの農家の人と同じように命を絶ってしまった人がいるかもしれない」

2012-04-02 04:15:24
ala @w_ala

原発作業員Tさん「あのチェルノブイリのような事故が繰り返されてしまった。私の考えは変わりました、二度とこのようなことを繰り返してはならない、これ以上、福島と同じような悲劇繰り返してほしかない」 綿井健陽

2012-04-02 04:16:28
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