曾我 重司、渡邊芳之、芦田宏直各氏のアフォーダンス、心の実在を巡る解説

三氏のアフォーダンスを巡るやり取りが面白かったのでまとめてみました。
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渡邊芳之 @ynabe39

心の発生や働きに神経や脳の活動が不可欠であるとは考えますが、心イコール神経や脳の活動と言えるかは微妙です。 RT @ceno_sougou: 心理学では「心は神経(脳)“の活動”」という見解が一般的なはずだが。

2012-04-03 06:51:54
渡邊芳之 @ynabe39

「心の発生や活動に不可欠」という意味では目や耳などの受容器や身体そのものも同様なのだが、心を「身体の活動」と捉える人はギブソン以前にはあまりいなかった。

2012-04-03 06:56:51
渡邊芳之 @ynabe39

「機能」というのがミソですね。紙を切るのは「ハサミの機能」ですが紙を切ることを「決定」しているのはハサミではない。 RT @pig_1981: よくいうのが「心は脳の機能(の一つ)」ですね。

2012-04-03 06:58:57
渡邊芳之 @ynabe39

ギブソンや弟子たちが脳を「身体各部に指令し機能を決定するもの」ではなく「身体各部の機能を柔らかくつなぐネットワークの核」と考えたことは心理学の潮流上の大きな転回です。

2012-04-03 07:02:02
渡邊芳之 @ynabe39

「身体から取り出され環境からの入力も絶たれて培養される脳が心を持つことができるか」という思考実験が昔から繰り返し真剣に取り上げられるのはそのためです。

2012-04-03 07:05:34
渡邊芳之 @ynabe39

人の脳が大きくなったのは記憶と表象のためだと言われます。心はその「副産物」なのかも。 RT @pig_1981: そうですね。ハサミそのものでもない。また脳には、呼吸など、心以外の機能もあります。

2012-04-03 07:07:24
渡邊芳之 @ynabe39

@ofukudonya 同じことがある人にとってはそれに当たり、別の人では当たらないということもあります。「そのあとの人生によって決まる」としか言えない。

2012-04-03 07:08:52
渡邊芳之 @ynabe39

私個人は「身体から取り出され環境からの入力も絶たれて培養される脳」には心はないか「身体があった時の心の働きの残滓」が夢や幻のように残るだけだと思います。

2012-04-03 07:11:53
渡邊芳之 @ynabe39

そこは難しいところです。「心は行動を介してしか観察できないが心自体は行動ではない」という考えと「心そのものも行動である」 という考えがあります。 @ceno_sougou:

2012-04-03 07:14:14
渡邊芳之 @ynabe39

培養されているが環境からの入力はある場合はどうかという場合は「心のありようは培養装置の特性に大きく依存する」と言えると思います。

2012-04-03 07:16:03
渡邊芳之 @ynabe39

@ofukudonya 社会的関係。他者とどういう関係を持てるか。

2012-04-03 07:16:49
渡邊芳之 @ynabe39

@ceno_sougou 感覚遮断実験では環境からの入力が絶たれると数日程度で心は正常に機能しなくなることが報告されています。

2012-04-03 07:18:14
渡邊芳之 @ynabe39

「過去の記憶」も脳の中にスタティックに貯蔵されているようなものではなくて身体性を持ち新しい入力と相互作用しているということです。

2012-04-03 07:19:52
渡邊芳之 @ynabe39

「体のない脳」が体があった時の記憶を保ち続けられるかは怪しいです。

2012-04-03 07:21:11
渡邊芳之 @ynabe39

紙が切れなくなったハサミに紙を切る機能はあるのか。 RT @ceno_sougou: 正常に機能しないのと機能が存在しないのは別の事だと思います。

2012-04-03 07:22:10
渡邊芳之 @ynabe39

培養された脳は培養装置が身体と類似したものになるほど身体があった時に近い心を持つようになると期待されます。

2012-04-03 07:23:30
渡邊芳之 @ynabe39

据え置き型の水槽に浮かんだ脳よりは人間に近い形で手足を持ちその機能と脳とがなんらかの形でリンクされた装置に入れられた脳のほうが「心に近い機能」を持つようになるでしょう。

2012-04-03 07:25:35
渡邊芳之 @ynabe39

プログラミングから人間や人間の心について考えるのは「比喩表現」です。 RT @ceno_sougou: 少なくともプログラミングではデータとルーチンは分けて考えられるけれども。

2012-04-03 07:26:41
渡邊芳之 @ynabe39

フロイトの理論は心の働きを蒸気機関の比喩で理解したと言われることがあります。人は人間が作った優れた機械の比喩で人間や人間の心を考えようとしますが、心は蒸気機関ではないしコンピュータでもありません。

2012-04-03 07:28:59
渡邊芳之 @ynabe39

ということは「心の本質」は感覚情報にもある、ということです。程度問題であっても話は基本的に同じです。 RT @ceno_sougou: つまりは程度問題。 全ての感覚を遮断されても、ある程度の期間は正常でいられるけれども、徐々に壊れていくでしょうという話ですよね。

2012-04-03 07:30:30
渡邊芳之 @ynabe39

日常語的に「心の機能」と言われるものを抽象化して操作的に定義することと比喩とは性質が異なります。ただし「本質は見えていない」のは同じ。 RT @ceno_sougou: それを言い出したら機能や行動として考えるのも「比喩表現」になってしまうと思います。

2012-04-03 07:32:38
渡邊芳之 @ynabe39

心の問題では「入力を処理して出力する」ことが何かの「内部の活動」なのかもわかりません。RT @ceno_sougou: 出入力するものをデータ、内部で特定の活動が行われて出力を返すものをルーチンと言っただけで「比喩表現」扱いになるのなら、他の考え方も全て比喩表現になってしまう…

2012-04-03 07:34:26
渡邊芳之 @ynabe39

心を「脳の活動と割り切りたい」欲求の根本のところに「外部の情報を内部で処理して外部へと出力する機械」のアナロジーで心を考えたいというのがあるのだと思います。心に比べれば脳(という臓器)は相当に機械に似ています。

2012-04-03 07:37:24
渡邊芳之 @ynabe39

感覚情報の発生や働きに神経の存在が不可欠なのは確かですが(以下同文)。 RT @ceno_sougou: 「感覚情報」は神経を流れる情報ではないのですか? それとも“人体に入る前”の情報も含みますか?

2012-04-03 07:38:48
渡邊芳之 @ynabe39

「機能の論理表現」と生物学的な機序は必ずしも一致しないでしょうね。当たり前の話ですが。 RT @ceno_sougou: 言葉選びの問題かと。ここではその「入力を処理して出力する」ものをルーチンと読んだまでです。

2012-04-03 07:41:02
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