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@mu0283さんが「コンポジウム余波のモヤモヤ」を語る

早川、安冨、深尾、あと高橋も含めの分析。差異の捉え方は的確に思える。個別の意見に踏み込まず、主催者登壇者が発言者を叩くのは好ましくない、として終わる人達とは、大きく異なる。
心理
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上西充子 @mu0283
コンポジウムの余波にモヤモヤを増幅させられている。@ala_laさんは当初、早川・深尾・安冨3氏のTWを「ただただショック」と受け止めていた。その後、早川氏と深尾・安冨両氏を分けて捉えようとした。
上西充子 @mu0283
その@ala_laさんの分け方は、私は適切だったと思う。一般的な捉え方は、早川氏が一番攻撃的で、安冨氏はやや攻撃的で、深尾氏は違う、というものかもしれない。けれど、三者はいずれも攻撃的だと私は思う。そして、早川氏の攻撃性と、深尾・安冨氏の攻撃性は性質が違うと私は思う。
上西充子 @mu0283
早川氏は彼女が座って発言を始めたこと、はっきり名乗らなかったことを「よくなかった」「傍若無人な失礼な発言だった」と批判している。また、話の内容が赤城氏への「指図」だったとして、「よくなかった」と指摘している。「へたな話」「小娘」「まったくダメ」という言及もある(3/28-29)。
上西充子 @mu0283
それだけのことをたくさんの人が見ている場で明言されて、言葉を継げる人は少ないだろう。しかし早川氏は自分が彼女を批判することの根拠を「懇願して発言したのだから、このように厳しく批判されても当然だろう」と語っている(3/29)。
上西充子 @mu0283
高橋氏もその早川氏の意見に同意している。【彼女は発言する貴重な時間を得た。それはあの場にいた全ての人の人生の時間だ。それを引き受けるだけの発言をする責任はある。(4/1)】
上西充子 @mu0283
私は4/3に「早川氏・高橋氏は、追及は厳しいけれど、相手を個として尊重している」と書いた。早川氏は彼女を追い詰めているけれども、彼女に対する批判は「発言者」に対する批判だ。彼女にはTW上で、「発言者」として再度言葉を継ぐ可能性が開かれている。早川氏はその可能性を閉ざしてはいない。
上西充子 @mu0283
一方で安冨氏は彼女への言及を「彼女の発言は暴力的」「泣いてみせたのは卑怯」から始める。この時点では早川氏による批判との差異は明瞭ではない。しかしその後、「もっと根深いですね。彼女は、赤城さんが、怖いのです」と心の有りように踏み込んでいく(3/30)。
上西充子 @mu0283
子どもたちが何を見ているかは「彼女にもわかるはずがない。勝手に決めたのは傲慢だ」(3/31)と語る安冨氏が、しかし彼女に対しては、「彼女は、赤城さんが、怖いのです」と断言する。それは「勝手な決めつけ」「傲慢」ではないのか。
上西充子 @mu0283
早川氏は(そして高橋氏も)彼女の語る内容や、語り方は批判するが、彼女の心の有りようには踏み込んでいかない。一方で安冨氏は、平然と踏み込んでいるように思える。
上西充子 @mu0283
安冨氏はもちろん、「魂」の有りようには関心があるだろう。しかし、「魂の脱植民地化」とは、そういう平然とした踏み込みを伴っていて良いと安冨氏は考えておられるのだろうか。
上西充子 @mu0283
深尾氏は「彼女のあり方が、あの場で探求する「魂の脱植民地化」という点でまさに多くを学ぶ必要がある」「あまりにも違い歴然」と彼女への言及を始める(3/31)。そして彼女が批判の意味を理解するには「時間がかかると思います」と語る(3/31)。
上西充子 @mu0283
そして安冨氏と同様に、「彼女の精神のありようを理解するのは大切」(★4/3)と、彼女の心の有りように踏み込んでいく(★は早川氏のまとめに収録されていない言及)(なお、ここで私は「心」「魂」「精神」を区別していない。それは不適切なのかもしれないが)。
上西充子 @mu0283
彼女に対する深尾氏の明示的に批判的な言及は「他者への攻撃の場にしないという禁則を犯された」(★4/3)というものぐらい(これも、はっきり相手を名指ししてはいない)。だから、深尾氏の言及に攻撃性を感じる人は少ないかもしれない。
上西充子 @mu0283
だが私であれば、深尾氏の言及はこのように聞こえる。【あなたの「精神のありよう」には「囚われ」がありますね。その問題に向き合うには「時間がかかる」でしょう】と。私であれば、早川氏の言及よりも深尾氏の言及に、言葉を封じられたとより強く感じる。
上西充子 @mu0283
深尾【彼女一人のことではなく、あの場で考えたいと思っていた「他者の糾弾」や「攻撃」あるいは「要求」ではなく、自らが囚われている状況を知り、それぞれが少しづつでも脱するプロセスをどうやって実現するか、という問い。それは「言葉」だけでは難しい、という意味。】(4/1)
上西充子 @mu0283
そういう意図であの「魂の脱植民地化」をテーマとする「コンポジウム」が開かれたこと自体は批判しない。私も彼女も、そのことは承知で参加したのだから、そのねらいに異議を唱えるのはおかしいだろう。
上西充子 @mu0283
しかしそこで目指されていたことは、「みずから」の囚われへの気づきの促しではあっても、他者の心の有りようへの言葉による踏み込みではなかったはず。深尾氏はみずからの意図に反することをみずからの言葉によって行っていないだろうか。深尾氏は余波を歓迎しているようだが、私にはモヤモヤが残る。
上西充子 @mu0283
そしてそういうモヤモヤを表明することも難しい。なぜなら、【あなたの心は「囚われ」ていますね】という内面化された視点を受け止めた上でしか発言できないから。そして発言しても【モヤモヤが残っているのは大切なことです】と言われそうだから。
上西充子 @mu0283
早川氏は遠慮なく問題を可視化させる。「コンポジウム」に対しては感動や共感を表明する以外のTWが封じられがちである構造も、早川氏は可視化させていると私は思う。

コメント

上西充子 @mu0283 2012年4月5日
まとめていただき、ありがとうございます。通し番号を付けておけばよかったのですが、下から2番目「だが私であれば・・」は、「彼女に対する深尾氏の・・」に続く文章です。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年4月5日
↑ 申し訳ない。訂正しました。
上西充子 @mu0283 2012年4月5日
ありがとうございます
ala @ala_la 2012年4月5日
@mu0283さん、ありがとうございます。私は放棄しかけていますが、早川氏には“性質のよさ”、やりとりの可能性を感じていたと思います。で、すみません、大筋が明らかになったところで、ここで横道にそれさせてください。会場では3人の質問者がいました、一人は突然しゃべりだし、次の方は手をあげたかもしれません、でも今では何を質問されたかすら思い出せません。3番目の彼女より質問時間も長かったような気がします、
上西充子 @mu0283 2012年4月5日
まあ、2人の男性の方は、真鍋氏と早川氏のやりとりの中で手を挙げられていたので、質疑の時間帯だと判断されたのでしょう。その延長線上で、彼女も発言を求めたのでは。私の当初のモヤモヤは、「流れ」で行く、という進行の中で、早川氏の発表の時間がなく、そのことについて司会の深尾氏から会場へのアナウンスもないまま終わってしまったことへのモヤモヤでした。休憩のあとどう進行するかのアナウンスが司会の深尾氏からあってもよかったと思います。
ala @ala_la 2012年4月5日
そして彼女は休憩時間を利用し司会者の“許可”を予め得た上で、教育を志す者として発言しました、彼女は浜通り出身で、他の質問者にはない切実さを発言からは感じました。彼女の発言は他の2人の質問に対し「赤城先生への指図」で「龍を完成」できなかった、だから名指しで公然と批判されてしかるべきなのでしょうか。私は、彼女の発言から、より赤城先生が伝えようとされたこと、これから私たちが何を考えていくかを鮮明にする展開も可能だったという点で、そもそもの出発点である、早川氏らの批判には首をかしげています。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年4月5日
彼女には切実さがあった、そこから広がる可能性があった、と言っても、彼女の言葉を拾い上げて、言うのでなければ、彼女の内面に勝手に踏み込んでいることになる。
上西充子 @mu0283 2012年4月5日
私が書きたかったことは、彼女の発言に対する安冨氏・深尾氏のかかわり方についてだったので、その他の点にはコメントは控えさせていただきます。
上西充子 @mu0283 2012年4月5日
失礼しました。録画を確認せずに曖昧な記憶でコメントしました。→RT@hayakawayukio事実と違います。彼ら二人は、真鍋さんの発表の最中に発言しました。RT @mu0283: まあ、2人の男性の方は、真鍋氏と早川氏のやりとりの中で手を挙げられていたので、
ala @ala_la 2012年4月5日
@kentarotakahash 当日の発言に関し、「他の質問者にはない切実さを発言からは感じました」ということが内面に勝手に踏み込むことなのですか??、すみません、仰るイミがよくわかりません。。「当日の発言=彼女の言葉を拾い上げ」ではないということですよね?すみません、、、
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月5日
素朴な疑問なのだが、他者の内面に踏み込むことは何の疑いもなく悪なのだろうか。私たちは他者の内面に踏み込み、あるいは踏み込まれながら日々人生を生きているのだし、それは悦びにも苦しみにもなることを了解もしているはずだ。他人の内面を踏みにじるのは悪と言えるだろう。だが、内面を言語化することは踏みにじることなのか。
上西充子 @mu0283 2012年4月5日
@gushouさんは問題を一般化しすぎだと思います。私が問題にしているのは、安冨氏と深尾氏がやろうとしたことと実際にされたことの乖離です。安冨氏はコンポジウムの開催趣旨の中で「ここで展開する議論の目的は、なんらかの「合意」を形成することではなく、参加した者、一人一人が、なんらかなの新たな気づきを得て、それぞれに考えを発展させることです。」と書いていらっしゃいます。
上西充子 @mu0283 2012年4月5日
また深尾氏は上記のとおりTWで【「他者の糾弾」や「攻撃」あるいは「要求」ではなく、自らが囚われている状況を知り、それぞれが少しづつでも脱するプロセスをどうやって実現するか】と語られており、コンポジウムの冒頭でも同様の発言があったと記憶しています。
上西充子 @mu0283 2012年4月5日
安冨氏も深尾氏も、上記の文章を見る限り、「一人一人」「それぞれ」「自ら」が主語です。当初のコンポジウムのねらいの中では、「踏み込み」は自重されていたものと私は理解します。
ありす @alicewonder113 2012年4月5日
このまとめは私が感じたことにかなり近いです。私は安冨さんの反応をあまり確認していないので、そこは確信が持てません。早川さんが問題を可視化したというのはまったく同意見です。
ありす @alicewonder113 2012年4月5日
デコンストリュクシオン!デコンストリュクシオン!(なんとなく言ってみたかっただけ)
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
@mu0283さんの問題意識はわかりますが。それにしても、安冨・深尾両氏への批判の根拠になっているのが「踏み込み=悪」の命題ですよね。これが一般命題として成り立つことが前提で論が組み上げられているわけです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
だとするならば、私の「踏み込みは一般的には了とされている」という提起への、一般的すぎるという批判は批判になっていません。@mu0283さん自身は「踏み込み=悪」の命題を一般的なものとして扱っているのに、なぜ私の提起は一般的過ぎるということになるのか。その判定基準がまったくわからない。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
「踏み込みは自重されていた」という理解もよくわかりません。『東大話法』を読んでみればおわかりになると思いますが、あそこにあるのは「踏み込み」のオンパレードです。『生きる技法』もまた、(安冨氏自身への)「踏み込み」から生まれたと推察される。『今を生きる親鸞』にも「踏み込み」は多々見られる。そこからすると、「踏み込み自重」という命題もあやしいと言わざるを得ません。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
こちらで批判を行なうに当たっての私の立ち位置を提示しておきます。その方が建設的な対話になると思われますので。https://twitter.com/#!/gushou/status/187959713718214656 から以降のツイートの目を通して頂ければ。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
追記。お読みいただくと、最初は不快感を催されると思います。ですが、どうかご容赦ください。その先は不快感の意味を問う展開になってゆきます。同時に内心に「踏み込む」意味についても言及しています。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
【安冨・深尾両氏への批判の根拠になっているのが「踏み込み=悪」の命題ですよね。】→話がかみ合っていません。2度目の言い換えになりますが、場にルールを求めた主催者側が、みずからその場のルールを破ったことを問題にしています。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
「踏み込み」が一般的に悪なわけではない、ということにはもちろん同意します。カウンセリングの場では、お互いの合意と信頼関係の中で、「踏み込み」が行われるでしょう。また、日常的な人間関係の中で、踏み込んだり、踏み込まれたりして、傷ついたり、気づきがあったり、というのも否定しません。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
『原発事故と東大話法』『生きる技法』は読みました(横浜の安冨・高橋対談にも参加しています)。本はどちらも今、手元にないので正確には言及できませんが、『生きる技法』は@gushouさんもご指摘の通り、(他者にではなく)【(安冨氏自身への)「踏み込み」】にもとづくものであったと記憶しています。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
一方、『東大話法』の方は、確かに他者への「踏み込み」のオンパレードですね。その踏み込みは、香山リカ氏のような評論家(つまりは、批判し、批判される場に自らを置いている者)だけではなく、公的な場に出てくる人であっても常識的にはその人の心の有りようへの踏み込んだ言及は行われないような相手にも向けられていたと記憶しています。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
そう考えてみると、確かに安冨氏は、他者の心の有りようにも公の場で踏み込む方ですね。安冨氏は「踏み込む」方であり、あの場で自ら発言を希望した彼女に、あの場(ルールが設定された場)の後で、ツイッター上で踏み込んでいかれたことは、安冨氏自身の行動としては整合性はあるように理解できます。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
深尾氏はどうなのでしょう?私は深尾氏のことを存じ上げておらず、ツイッターもフォローしていません。ですが、コンポジウムの場にルールを求め、その後のツイッター上でもそのルールに言及されている方が、「彼女の精神のありよう」という言い方をされるのは、私にはやはり納得できません。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
@gushouさんの4/6のTWは拝見しました。@sunaohさんとのやりとりもななめ読みはしていました。そうです。「私が」不快感を抱いているのです(もちろんコンポジウム全体に不快感を抱いたわけではありません。個人的な感想は3/28に書いています。得るところは多くありました)。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
「私は」安冨氏と深尾氏の、TW上での、彼女の心の有りようへの踏み込みを不快に感じました。そして、私自身も踏み込まれた思いがしたために、そのことを表明することもまた不快だと感じました(まとめの下から2番目のTWの通り)。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
しかし、その不快感の意味を問うやりとりを、ここで@gushouさんと公開カウンセリングのような形で行うことは、私は望みません。今後もこのコメント欄に書き込みをしていただいても結構ですが(それを認めない権限は私にはありません)、私は@gushouさんとのさらなる対話は望みません。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年4月6日
@ala_la 誰のどんな発言に対しても、切実だった、可能性があった、というような印象批評は加えることができます。その人の中では、どんなことも切実でありうるのですから。
ala @ala_la 2012年4月6日
@kentarotakahash では、改めて問います。3人の質問者の内、「なぜ無作法であった、前者の2人でなく、進行における作法を守った後者1人だけが」、あるいは「なぜ3人ではなく、後者1人だけが」、事後、名指しで批判されなければならないのですか。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
@mu0283 まず今朝もお伝えしたとおり、「私が」不快感を抱いているとお認めになっていることに再度敬意を表します。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
@mu0283 それで、理解力が悪くて申し訳ないのですが、コンポジウムの場でのルールを主催者自ら破った、ということの意味がよく把握できないでいるのです。というのも「ルール」が何だったのかが、私には明確にわからない。ご教授いただけませんか。@mu0283さんが理解されているもので結構です。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
@mu0283 もう一点。内心に「踏み込む」の定義です。内心というのは他人からはわからないものであることは大前提ですが、それでもなお、なんとなく窺い知ることができるものでもあります。我々が日々他人の内心を窺いながら生きているというのは@mu0283さんも同意されたところです。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
失礼ながら私は@gushouさんを主催者としては認識しておりません。私が名指しで批判している安冨氏もしくは深尾氏からのコメントであれば私が返答する必要はあるでしょうが、私は@gushouさんにこちらから対話を求めたわけでもないですし、匿名の存在である@gushouさんと丁寧な対話を続けることは希望していないことは先に申し上げた通りです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
@mu0283 安冨先生や、また某所で私が行なったことは、「窺い知る」の範囲を超えてわからないはずの他人の内心に具体的に言及していますから「踏み越え」ということはできるでしょう。具体的な言及がなく「窺い知る」範囲で留まっているのもまた「踏み越え」と定義されるのでしょうか。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月6日
@mu0283 あれまあ。そういう反応ですか。了解しました。ですが、これであなたのこれまでの議論の信憑性は無に帰したことはご理解されますよう。
上西充子 @mu0283 2012年4月6日
「無に帰した」かどうかは、このまとめを読んだ方がそれぞれに判断されることでしょう。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年4月6日
@ala_la それは三人のうち一人だけを批判している人、一人一人に聞かねば分からないでしょう。私の場合は、4日後になって、「彼女」の話題が続いていたので、そこにコメントを投げた。それだけです。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年4月7日
愚樵さんは、主催者の一人です。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月7日
安冨先生の発言の意味を捉えかねています。私は明らかにコンポジウムという催しの一参加者でしかありません。「魂の脱植民地化」という大きな催しの主催者である、とここでは捉えておきます。これは参加する意志があるなら、誰もが主催者でしょうから。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月7日
「無に帰した」かどうかは、各々が判断、ね。それはそうだろうが、わかっていませんね。そうやって自分に嘘をつくことが問題なのに。私との対話を拒否した時点で、己の論理が破綻していると暗黙に認めてしまっているのですよ。その己を認められないだけ。弱虫。
上西充子 @mu0283 2012年4月7日
「論理的に破綻」、ね・・・。@gushouさんは【「窺い知る」範囲で留まっているのもまた「踏み越え」と定義されるのでしょうか。】と私に問いかけていらっしゃいますが、私はこの件で「踏み越え」という表現は一度も使っていないのですが。
上西充子 @mu0283 2012年4月7日
@gushouさんは「卑怯者」「弱虫」といった言葉でこのコメント欄を終わりにしたいのですか? それは私が明らかにしたかった構造のさらなる「可視化」につながりるものではあっても、コンポジウムから何かを心に持ち帰り、熟成させていこうとしている者にとっては、さまたげにしかならないと私は思います。
上西充子 @mu0283 2012年4月7日
誤字訂正:(誤)つながりるもの → (正)つながるもの
上西充子 @mu0283 2012年4月7日
誤字訂正:(誤)「論理的に破綻」、ね・・・。 → (正)「論理が破綻」、ね・・・。
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月7日
ゲバラが学究を行っているのではなく、学究者がゲバラのコスプレをしているのである。もちろんそこには面白さがあるが、コスプレはコスプレなのである。(よく知らないから仮にと付ける)仮に、彼がアカデミズムの囚われの中に居ても何の不思議もない。もしかすると「魂の脱植民地化」などと標榜した時点で、魂は何かに囚われているのではないだろうか。誰かが特別な精神を持ち特別な立場に居るのではないことが可視化されていくことこそ、魂の進歩ではないだろうか。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月8日
卑怯な振る舞いを卑怯だと言葉で指摘されれば可視化するのは当然。mu0283氏(って匿名だよね?)にすっぽりと抜け落ちているのは、自身への問いかけ。それがないから、自分の卑怯を棚上げして「理論が可視化した」なんて言えてしまう。私は宮台チルドレンではないけど、だとしたら「爆笑もの」というところだ。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月8日
深尾先生はルールについてこのようにツイートしている。http://goo.gl/fkoOa 「自分自身への問いかけをせず糾弾する作法はあの場では「禁じ手」だったのだ。」 攻撃しないことが禁則なのではない。 「自身への問いかけ」が最重要事項であり、「魂の脱植民地化」の肝要である。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月8日
「彼女」の発言は、赤城修司さんの問いかけから「自身への問いかけ」を行なっていた参加者の多く(だと信じる)へ冷や水をぶっかけたのである。だから批判が巻き起こっている。その批判の理由に気がつかない者は「自身への問いかけ」を為さない者。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月8日
当togetterが可視化したのは、「自身への問いかけ」を行なうことのない者がこのような批判を行なうということである。「自身への問いかけ」は、誰にとっても恐いものだ。だが人生を生きる上で不可欠なこと。不可欠なことを恐いからといって為さない者を「弱虫」という。「自身への問いかけ」なしに他者を攻撃する者を「卑怯者」という。私の攻撃は事実の指摘でしかないが、それを怖れるのは「弱虫」だからである。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月8日
それに弱虫はまったく気がついていないようだが、弱虫自身も「彼女」や深尾先生の内心への「踏み込み」を行なっているのだ(これは別所で解析する)。自身の心を覗くことがない弱虫はそこに気がつかない。それどころか「自身への問いかけ」への誘いを回避しようとする。この批判は「自身への問いかけ」を忌避するためのエクスキューズでしかないというのが、私が眺めている風景である。
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月8日
おふたりのトラブルの内容は詳しく存じませんので、それに口を挟む意図はありませんが、gushouさんは ”弱虫”などという抽象的で便利な言葉を使わずとも、自分の想いを語れる方なのではありませんか?上記のいくつかのコメントは言葉が上滑っているような印象を受けます.
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月8日
コンポジウムの翌日、早川さんは真鍋さんに対する批判を書き、まつもとさん批判も書いた.それは早川さん的な一貫性はあるものだったし筋も通っていたと思う.しかし彼女に対する批判については、話の筋的には主催者もしくは進行者に向けられるべき部分もひっくるめて、彼女にぶつけていたと記憶している.
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月8日
コンポジウムは失敗だった、と書いた早川さんも、当初は催しもしくは主催者に対する否定的見解は避けていたように思う.日を置いて、安富さんが、早川さんの話を拾うかのように、もしくはフォロワーの疑問に対して本件の読み方を定義するかたちで、まつもとさん批判を書き始めた.そこには、タイミングや整合性の面で いびつさ があった.それが幾人かが表明した戸惑いや違和感につながった.
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月8日
ala_laさんのツイートを拾う形で、まとめを作ったのは、早川氏的実直さなのか、それとも彼のいつものワークとして、なのかはよく分からない.ただ、あのまとめを契機に議論が広がり、派生まとめがいくつか作られたことにより、確かに”見えてくる” という方向に進んだとは思う.
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
自らのコメントが広く読まれることを望まれているのであれば、@gushouさんはもう少し引用は正確にされた方がよいかと思います。私はこの件に関して「理論が可視化した」とは一度も書いていません。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
ついでに言えば、@gushouさんの最初のコメントで「踏み込む」がいつのまにか「踏みにじる」になっていますが、私はこの件に関して「踏みにじる」という表現も一度も用いていません。私がこの件について使った表現は「詮索(ここには収録なし。4/3)」「踏み込み」「踏み込む(およびその活用形)」です。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
@gushouさんが私のことを「弱虫」「卑怯者」と認識される。その認識が「おかしい」「間違っている」とはこれまでにも申し上げていません。@gushouさんがどのように認識されようと結構です。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
【「自身への問いかけ」への誘いを回避しようとする】→ 私は「コンポジウム」の開催趣旨においては、「誘い」に乗るか否かは、参加者個々人に委ねられていると考えていました。そのような形の「誘い」であれば、何も異議を申し上げることはありません。また「コンポジウム」においては、「誘い」が<攻撃>の形をとりうるとは予告されていませんでした。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
@gushouさんは「誘い」が<攻撃>の形をとっても良いとお考えのようです。ですが、@gushouさんが、「自身への問いかけをせよ」と私に執拗に迫るのであれば、私は「あなたにそのように迫られるのは嫌だ」と再度、申し上げるしかありません。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
【「自分自身への問いかけをせず糾弾する作法はあの場では「禁じ手」だったのだ。」】→ 深尾氏が設定されたこの作法を、コンポジウムについてこの場で語る我々すべてが守らなければならないのであれば、私は確かにこの場でその作法を破っています。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
その作法をここでも守れ、ということであれば、私は沈黙せざるをえません。そして、かろうじて声をあげた私が沈黙を強いられるとしたら、声をあげられなかったより多くの声なき声はさらに押し込められるでしょう。私もさすがに疲れました。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
「自分はその作法を守っている。だから私にはあなたを糾弾する資格がある」と@gushouさんはお考えですか?
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
@catexenさんの「誰かが特別な精神を持ち特別な立場に居るのではない」というコメントに同意します。そのコメントに感謝します。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
@gushou氏から私に、ツイッター上で4通が寄せられている。1通目は省略(上記にある「敬意を表します」という件)。2通目は昨日(4/7)の朝(つまり上記の@gushou氏の書き込みより前)。2通目と3通目は今朝の私の上記の書き込みの後。いずれもDMではない。URL上で誰でも閲覧できるコメント。したがってここに再掲することは差し支えないと判断し、再掲する(URLでリンクする方法はよくわからない)。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
@gushou → @mu0283 (2通目:4/7, 7:52)【ノープロブレム。そう思ってたからそう表明したまで。それに私と対話したくないのでしょう? 私ももはや望んでいない。RT @mu0283: @gushouさんは「卑怯者」「弱虫」といった言葉でこのコメント欄を終わりにしたいのですか?  http://togetter.com/li/283751
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
@gushou → @mu0283 (3通目:4/8, 9:16) 【@mu0283 http://togetter.com/li/283751には「私の風景」を投降しただけです。その権利はあるとあなたもお認めになった。それ以上はあなたの恣意的な解釈に過ぎません。当然、あなたの方にも「あなたの風景」に私を入れ込む権利はあるし、それは認めます。】
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
@gushou → @mu0283 (4通目:4/8, 9:19)【@mu0283 ですが、「風景を語ること」と「対話をすること」は別です。私にリプライを送るのなら、あなたがくだらない理由で「対話」を拒否した理由を明らかしてからにしてもらいたい。私はもやはあなたとの「対話」は望んでいないと申し上げた。なので「迫る」わけがない。それもあなたの解釈】
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
私としては「私ももはや(対話を)望んでいない」という@gushou氏の2通目のコメントは、このまとめへのコメント欄でいただきたかった。私は@gushou氏との対話は終了したと安堵したのだが、その後(私の望みを受け止めない形で)「ご教授いただけませんか」とさらなる対話を先に求めたのは@gushou氏の側だ。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
@gushou氏は上記のツイッターで「私にリプライを送るのなら、あなたがくだらない理由で「対話」を拒否した理由を明らかしてからにしてもらいたい」と書いている。私がそれに対して、【くだらない理由で「対話」を拒否した理由】を明らかにすることなく、「わかりました。今後こちらから話しかけることはしません」と返信=リプライを送ることは構造的に封じられている。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
こういう構造って何て言うんだっけ? ダブルバインド? 違ったかな?
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
いずれにしろ、私はもう、@gushou氏に語りかけることを止める。そのことを返信=リプライすることは構造的に封じられているため、そのことをここに記す。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
時系列上の事実関係を誤認していたことに気づきました。愚樵氏が「私ももはや(対話を」望んでいない」と2通目のツイッターで書かれたのは4月7日であり、「ご教授いただけませんか」とこのコメントに書き込んだのはそれより前の4月6日でした。
上西充子 @mu0283 2012年4月8日
したがって、「さらなる対話は望みません」(私、4/6)→ 「ご教授いただけませんか」(愚樵氏、4/6)と、私の望みを受け止めない形で先に対話を求めたのが愚樵氏である、という指摘については変わりませんが、愚樵氏が2通目のツイッターで「私ももはや(対話を)望んでいない」と書かれ、「その後」、「ご教授いただけませんか」と書き込んだ、というのは、私の事実誤認にもとづく批判でした。お詫びの意味を込めて、ここに訂正します。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
@catexen 「gushouさんは ”弱虫”などという抽象的で便利な言葉を使わずとも」 それはそう思わなくもないのですが。「卑怯者」「弱虫」というのは言葉のインパクトが強すぎて、どうしても感情的だと受け止められる。その弊害は感じている。だが、感情的なだけではないというのは、記した通り。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
mu0283氏は既読だと推察するが、改めて紹介させていただく。 〈攻撃〉と【攻撃】について http://togetter.com/li/285155 冒頭の「自分自身への問いかけ」というのは、それをしないことを深尾先生が「禁則」と考えておられるもの。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
mu0283氏 「【「自分自身への問いかけをせず糾弾する作法はあの場では「禁じ手」だったのだ。」】→ 深尾氏が設定されたこの作法を、コンポジウムについてこの場で語る我々すべてが守らなければならないのであれば、私は確かにこの場でその作法を破っています。」 この理解は決定的に誤っている。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
いや、先に言っておこう。確かに深尾先生のツイートは「あの場」限定のように聞えるし、実際にそう考えておられたのだろう。その点について、私は深尾先生(@shenwei)を〈攻撃〉する。認識に甘さがあったと思うし、そういう私自身もこのツイートを読んだ時点では気がついていなかった。いわゆる「党派性」があったと思う。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
そうではないのだ。この作法は〈自省者〉としての作法である(〈自省者〉はhttp://togetter.com/li/285155参照)であり、「あの場」「この場」と限定されるものではない。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
〈自省者〉も未熟者ではある。だが自省するがゆえに、いずれ誤りに気がつく。ここで焦点になっている「彼女」の発言やmu0283氏の【攻撃】は、誤りに気がつく機縁となった。そのように積極的に受け止めようということである。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
mu0283氏の態度はそれとは明らかに異なる。こうした誤りを〈自省〉への危険としてではなく、明らかに【攻撃】の足がかりとして用いている。そのような【攻撃】をしている限り、〈自省〉への道は閉ざされている。深尾先生の誤りに気がつくこともない。(念のために記しておくが、この「誤り」はmu0283氏が批判するダブルスタンダードのことではない。)
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
先にコメント訂正。× 〈自省〉への危険 → ○ 〈自省〉への機縁
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
深尾先生の失敗は2つあったと考える。ひとつは今指摘したこと。もうひとつは、それ以前にコンポジウムの場で「彼女」を【卑怯者】だと見抜くことが出来なかったことだ。「彼女」は、その発言からもわかるとおり純粋で情熱的だったのである。そう、【卑怯者】は得てして純粋なのである。だから「恋に恋する乙女」であり「小娘」なのである。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
だが、そうした「失敗」を誰が批判できようか? 私があのとき深尾先生の立場であったとしても「彼女」が【卑怯者】であったことを見抜くのは難しかっただろう。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
その後の深尾先生の「あの場」に限定した発言も、私は同じことをしたに違いない。ならば、私に深尾先生を糾弾する資格はない。しかし、失敗の原因に私が気がついたなら〈攻撃〉はしなければならない。いや、したい。その気づきを独占したくない。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
コンポジウムの場で赤城修司さんが表明した、福島に住まない者への苦情はまさに〈攻撃〉だったのである。その〈攻撃〉を〈自省〉へ向けようとしていたその時に、「彼女」は【攻撃】をしてしまった。そこから「彼女」への「攻撃」が始まったが、これを〈攻撃〉と見るか【攻撃】と見るかは、見る者の心の在り様にかかってくる。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
〈攻撃〉であれ【攻撃】であれ、受けた者見た者はmu0283氏がいうところの「モヤモヤ」を感じる。その「モヤモヤ」をどのように解消するのか。mu0283氏が取った道は【攻撃】である。そしていまだ「モヤモヤ」の中に居られるだろうと推測する。あるいは「イライラ」の域に達しているかもしれない。そうだとすれば、私にその責はあるだろう。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
だが、謝罪するつもりはない。そもそも自身が選んだ道なのである。そして、まことに申し訳ないが、私は既に「モヤモヤ」を解消し、「スッキリ」したところにいる。深尾先生も同様の表明をされている。なので、@catexenさんの「誰かが特別な精神を持ち特別な立場に居るのではない」というコメントに同意しない。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
このように言うと、いかにも私は「特別な立場」に居るように傲慢に思えるだろう。その批判は甘受するけれども、届かないと言っておく。私には「モヤモヤ」を解消した道筋が見えているからである。その意味において、未だ「モヤモヤ」の中にいる者と比較すれば「特別」であろう。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
表明すべき大切なことを忘れるところだった。それは「彼女」およびmu0283氏への感謝である。謝罪はしないが感謝はしている。なぜなら「スッキリ」の機縁を与えてくれたのは彼らだからである。「彼女」の【攻撃】なくば私たちは成功に酔いしれていただろうし、mu028氏の【攻撃】なくば「モヤモヤ」の解消もなかった。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月9日
(1)@gushouさんの批判には抽象性と過剰性を感じます。他者の内面への批判をするのであれば抽象的ではいけないと思う。なぜなら、抽象的な内面批判に反証を挙げて反論するのは難しいからだ。@mu0283さんもその辺への戸惑いがあるように見うけられる。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月9日
(2)過剰性は、@mu0283さんをまるで「打倒すべき敵」として扱っているかのような斬り刻みです。私は@mu0283さんが「自分自身への問いかけをしない」人であるようには見えないし、まとめ本文も「もやもや」の疑問を表明したに過ぎないと思うので、過剰性への違和感は小さくない。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月9日
(3)一方、@gushouさんはhttp://togetter.com/li/285155において“「魂の脱植民地化」の任務”という言い回しをしています。「任務」という言葉には「運動」的な含みがあると感じました。それ自体が抽象的である「魂の脱植民地化」という言葉を運動のスローガンに掲げ、個々人の自省の域を超え、他者の内面に踏み入り批判する思想改造運動になることを危惧します。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月9日
(4)震災・原発事故で人々の生命や社会が危機に瀕し、様々な利害対立が先鋭化している今は「敵」を設定しやすい時代です。70年代の党派運動が「解放」を求めて内部に「敵」を設定し、潰れていったことが想起される必要があると感じました。危惧が「確信」となる前に言わねばならないと思い発言しました。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
今回のコンポジウム、私は「雇われ司会者」であって、全体のプロデュースにまったく関与していなかった。その場の「気合」でコンポジウム協奏曲を奏でるには、「即興」の妙を貴ぶとはいえ厳しいものがあり、進行の未熟さと不手際が露呈した。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
私自身の反省点としては、あのような場で進行役を務めるには、身体と精神の「柔軟性」がもっともっと必要とされており、私にはそれが不足していたこと。現時点での私の「気合」だけでは、対処できなかったこと。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
一連のコンポジウム以後の対話(対話になっているものもなっていないものもあるが)の渦は、そうした「ほころび」の中から生まれたものであり、私はそれを、本来のコンポジウムの意義とはずれたところに展開していると感じ、「残念だ」と思った。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
その「ほころび」の発端が、コンポジウムの趣旨を解さないフロアからの意見を招き入れたこと、それに対し早川さんがツイッターで「攻撃」をされていたことであったため、私は司会者としての不徳を強く感じることとなった。愚樵さんの批判がきわめて的確なのは、私が「見抜けなかったこと」を「見抜いておられる」点にある。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
ただ、見抜けなかった、というのは「ちょっと違う」(笑)気がする。私は、事前に許可を求められた時にそのことを知っていた。しかし「排除」できなかった。「立ち上がって抗議している教師を知っている」という点にしぼってのみ発言ならOK、と言った。その結果あの展開となった。それは完全に私との約束違反であった。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
彼女の精神への「踏み込み」については、私はとうてい「踏み込んだ」とは言えない。むしろ彼女の作動があのコンポジウムの渦をかく乱したことに対して、事後的に抗議している。それは進行役としての反省とともに。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
私にとってあのコンポジウムは今までかかわったコンポジウムのなかでもっとも「不本意」なものとなった。しかしそれは「私にとって」のみである。あそこで最後に自分の歌を歌った千葉先生は、あの日あの場で魂の飛躍をとげた、と語っておられた。自分自身の精神の奴隷化を打ち破るきっかけとなった、と。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
それは、その前に登場したすべての報告者、登壇者に触発されたものであり、フロアからの発言もそこに含まれる。そうした「質的な変化」がいろいろな人の中で生じたこと、は確かなようであり、ここで展開される「もやもや」ですら、新たな飛翔を生み出している。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
ただ、愚樵さんの「飛翔」(この言葉は吟味して使っているのではなく、思いつき)に比べ、私はまだすっきりできていないので、これら一連のツイートはあまり読むに値しないものである。(それならしなければいいかもしれないが、経過つぶやきとして、、)
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
以上、返答にならない述懐、、、でした。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年4月9日
主催者の私が、ろくにメールも回さず、出演者を集めて打ち合わせもせず、時間配分も真剣にやらず、何のために集まっているのかすら言わず、なんにもしないでいたことが、一連のゴタゴタの原因です。だけど私は、打ち合わせや事前の意義付けが、どうしてもできないなので、こうやるしかありませんでした。皆様に感謝するばかりです。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
あ、早川さんが発言辞退されたことを会場にアナウンスせずに終わってしまったことは、これも失敗!早川さんの報告を楽しみに来られた方にとっては、とても残念な結果となってしまった(すみません)。しかし、時間配分がいくらなんでもきつすぎた。あの会は「未完」のコンポジウムだったということで、次回に続く、、、ですね。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
あ、「雇われ司会」と書きましたが、別になんら「謝礼」を受け取っているわけではありません(笑)。
早川由紀夫 @HayakawaYukio 2012年4月9日
「「立ち上がって抗議している教師を知っている」という点にしぼってのみ発言ならOK、と言った。」小娘の安い正義感にころりとだまされたとみられる。他人に配慮なぞしてたら、この困難はやりすごせない。この困難は並大抵のものではない。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
困難の尋常でなさについては、まったくそのとおりです。ただ、「正義感にだまされた」のではない。自らの囚われを抜きに、問題を他者化して「攻撃」し、そこに「正義」があるとする視点の参入を妨げるのではないと考えたため。ただそれがこれほどの「乱脈」を生み出すとは迂闊であった。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
なので、私はあの会で「テロ」を許してしまった。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
さっきの日本語変でした。自らの囚われを問題視せず、他者を問題化して攻撃することに「正義」があるとする視点の参入を敢えて妨げるべきではないと考え、それを「対置」することにも意味があるのではないか、と思った、、とするべき。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
魂の脱植民地化の流れの中に身を置き、自らの創発と変化をつくりだす場面に、あのような乱入を許したことで、「堤防決壊」させ、事後の反応において、その決壊箇所に多くの水流を導くきっかけをつくったという失敗。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
我々の認識の困難の深さは凄まじいので、この命がけの探求の中で、妨害に足をとられている余裕はまったくない、
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
理解できない比喩 > 私はあの会で「テロ」を許してしまった。shenwei
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
自縄自縛ではないでしょうか…? > 我々の○○○の困難の深さは凄まじいので、この命がけの×××の中で、△△△に足をとられている余裕はまったくない
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年4月9日
「自縄自縛」という言葉の意味知っている?
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
自分たちは○○だから××であるべきだ、みたいな、自分で掲げた何かに囚われて、自ら正常な判断を阻害していませんか?という意味で使ったのですが、使い方間違えていますか?
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
催しそのものに対するモヤモヤじゃなくて、その余波(の内容)に対するモヤモヤ RT.コンポジウムの余波にモヤモヤを増幅させられている。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
日本語が不備であったかもしれませんが、まったく伝えたい意図をくみ取っていただけていないようです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
@shenwei そうか、深尾先生はまだご自分を赦せないでいるんだ――と感じました。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
@shenwei 私は感謝してますよ。おかげさまで、ギャースカーと、大暴れする機会にも恵まれたし。腹が立つことをそのまま腹が立つと吐き出すのは、ほんと、スッキリします。みなさんも「モヤモヤ」とかイジケタこと言ってないで、オレはここに腹が立ったんだ~!とギャースカやればいいのに。早川先生みないに切れ味よく出来なくても。そこから始まる対話ってのあると思うんだよね。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
早川先生みないに、ではなく、みたいに。訂正。こんなことをツイートすると、余計に「モヤモヤ」が増幅するかな? 
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
@KutaroMichikusaさんへ。過剰性は過剰な攻撃性と解釈して、返答を。何いってんの、「爆笑もの」。私ははじめから抽象的で過剰な攻撃性を露わにして登場したわけではない。そういう切っ掛けをいただいたので、そうなった。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
これ、卑怯なマネをして卑怯と言われたら、卑怯が可視化した(←端折りました)というのと同じ。そういう現象が起こった原因を見ないで、現象だけ批判してどうするの。私は丁寧な対話を望んだが、それを拒否したのはだれだ? その批判をするなら、矛先が違う。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
(2)の批判も逆さまで、私はmu0283氏が斬り刻まれるのを怖れたから対話を拒否したと受け取っているんですけど。「自分に向き合う」ことをする人なら、人に斬り刻まれる前に自分で自身に斬り込むでしょう。逃げたというのはそれを怖れたから、という解釈は、ごく普通だと思いますけど。
深尾葉子 @shenwei 2012年4月9日
いいなあ~愚樵富士に吠ゆ@gushou私は感謝してますよ。おかげさまで、ギャースカーと、大暴れする機会にも恵まれたし。腹が立つことをそのまま腹が立つと吐き出すのは、ほんと、スッキリします。みなさんも「モヤモヤ」とかイジケタこと言ってないで、オレはここに腹が立ったんだ~!とギャースカやればいいのに。早川先生みないに切れ味よく出来なくても。そこから始まる対話ってのあると思うんだよね。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
とはいえ、私の攻撃性が過剰に映るであろうことは自覚している。腹が立った。腹が立ったら、表現は攻撃的になる。それを無理に抑えるつもりはないし、そう思っているからこそmu0283との対話はこちらからも拒否した。その未熟さを指摘されるのなら甘受するけれども、無理なものは無理。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
私は人間同士でやり合うと思っているんですけどね? それでダメなんですか? ダメと言われても私は樵だし。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
(3)の危惧は共有します。それは深尾先生が認識しておられる「困難」とも重なると思う。そのためにも〈攻撃〉と【攻撃】の峻別は必要、――というふうに私は理解しています。で、この理解が安冨、深尾両先生の理解と一致しているかどうか私は知らないし、知る必要も無いと思っている。知ったところで、ああ、そうですか、と言うだけだし。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
「魂の脱植民地化」なんて、こんなものを大まじめに定義しようとしたら、それこそ危惧したとおりになってしまいます。〈攻撃〉と【攻撃】の峻別は、互いの差異性を求め合う〈対話〉のなかで見出していくもの。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月9日
(4)は、私の今朝のコメントを読み返したくださいと言っておきましょう。「モヤモヤ」したからといって敵を外部に求めるのはやめましょう、と言っているんです。「モヤモヤ」は自身に斬り込んでスッキリさせましょう。そのために〈攻撃〉と【攻撃】を峻別しましょう。スジは通っていると思うのですがね?
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
gushou さんの今朝のコメントは(同意/不同意ではなく)、腑に落ちるポイントが多くあるように感じます.それは、ご本人が消化したものを書かれているからであろうと察します.私は、と言うと、立ち返って要の部分が自分に説明付けられずにいるという無能さを自白します.∥注意深く見たとき、まつもと発言に対する批判の論拠は、各人において各々、異なります.(続く)
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
1)早川さんの批判は、あの発言により、赤城さんのプレゼンひいては催しの完成度(方向性?)を損ねた、 という主旨から始まったと思います.言うなれば件の発言は、知性への冒涜であり、自分の美的(?)感覚が許さない、という主旨に読みました.また、あのような発言をする心根、拍手する観客の反応を指して、現下の汚染防護上不適格である、とされました.(続く)
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
2)安冨さんの批判は、もう少し一般化されていたと思います.赤城さんの生き様に対して、別のことをせよと指示するのは暴力的である/ちょっと違うんじゃないか、は東大話法である/批判をかわすために、泣いてみせたのは卑怯だ. といったものでした. 3)gushouさんのお考えは、自分を省みることを伴わない攻撃、に対する批判であるかと思います.(続く)
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
ここで、私は肝心なことが分からなくなります.まつもとさんは、実在する人物で、件の発言も彼女の実在する意思によって吐かれた言葉でしょう.(心中に別の動機があった、等の推測でしかない話はここでは省きます.) 彼女が赤城さんの話しを、速やかに(or 安直に)自分の問題に落とし込んで、そこで発しなかったとしたら、彼女はその思いを心にしまいこんで帰途についたことでしょう.そして、それはまた何処かで表出されることもあるでしょう.(続く)
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
そう考えたとき、あの発言があの場で発されたことやそれを許したことについて、誰かを責めたり、自責の念に駆られてみたり、ということの根拠がまるで分からなくなります.あの会場だけがこの世ではないわけですので、あの場で発せられなければ、別の場で表出し得るだけではないでしょうか.そしてそれはここまで、見られ語られることもなかったかもしれません.あの発言の内容に対する批判と、それが在ったこと許したことへの(自己含む)批判はまったく別のもので、後者が執拗に繰り返されるというのが、理解できない部分です.
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月9日
(国語力がないので、なるべく難しい言葉を使わないように努力しました.)
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月9日
@gushouさん《私ははじめから…したわけではない》←他者に厳しいあなたが「途中からだからまぁいいじゃん」ですか? 《そういう切っ掛けをいただいたので、そうなった》←自然現象のようなお話ですが、切っ掛けにするもしないもあなた次第でしょう。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月9日
《私は丁寧な対話を望んだが、それを拒否したのはだれだ?》←あなたと対話を続け ることを希望しない相手は卑怯者だの論理に飛躍を感じます。「もやもや」を提示さ れた当事者でいながら応答せずにいる安富・深尾ご両氏も卑怯者でしょうか?
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月9日
《「自分に向き合う」ことをする人なら、人に斬り刻まれる前に自分で自身に斬り込 むでしょう》←ここが一番よく分かりません。@gushouさんにとって相手は批判され るべき問題を持っているのかもしれませんが、相手がそれを共有しているとは限りま せん。それを探る一つの手段が対話ですが、相手はそれを希望しなかったのです。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月9日
《(3)の危惧は共有します》 《「モヤモヤ」したからといって敵を外部に求めるのはやめましょう、と言っている んです》←このまとめとの関係が不明です。(4)で私が書いた「内部に敵を設定」とは、「お前はブルジョア思想に汚染されている!総括を要求する!」のようなものです。それが「自分に向き合え!話はそれからだ」とダブりました。他者に強要される限り両者の区別は難しい。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月9日
《〈攻撃〉と【攻撃】を峻別しましょう》←そんなややこしい概念で「攻撃」を色分けするより「批判」と「攻撃」の峻別でよろしいではないですか。それがよろしくないのは、「自身への問いかけ」の有無への拘りなのでしょうね。しかし、その有無は「内面」に関わることであり、他者が判定できるような実証性には乏しい。それは、容易に敵味方の党派的な裁断の刃にもなるということです。そのような判断は誰の目にも自明な、表出した言動それ自体を対象とするのが筋だと私は思います。(以上)
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
@catexenさんの仰ることは、私の指摘したいことの核心に迫っていると思います。「誰かを責めたり、自責の念に駆られてみたり、ということの根拠がまるで分からなくなります」。そう、根拠なんてないんです。自分の内側以外には。自身があの場で、その後のやり取りもさまざまな発信もそうですけど、どう受け止めたかがすべての源なんです。そこから批判や自省が始まる。が、自省を行なうのに根拠は要らないが、批判をおこなうためには必要。でも、ここが肝心なんですが、そんな根拠は後付けなんです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
それがあるから、私は当初mu0283さんが「私が不快なんだ」とお認めになったときに、敬意を表しますと発言したんです。みなさん誤解されていると思いますが、私は不快に感じたことそのものを批判し攻撃しているわけではない。そんなことをすればダブルスタンダートです。自分に甘く人に厳しいと言われても仕方がない。そうではなく、不快感を正当化する行為を批判している。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
「私」が不快に感じた理由を「私」の中に探るのか、それとも外部に見出して「私」が不快になったのはやむを得ないことであり、不快にさせた何かを追及するのか(こういうと、私が対話拒否に腹を立てたことを攻撃してくるだろうけど、私は私が腹を立てたことを外部に追及はしていませんからよ。攻撃されたときに応答しているだけ)。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
犯罪行為があったわけでないんです。「彼女」の発言から始まった一連の出来事は、ぜんぶそれぞれの心の中で起こったことであり、その心の表明が波及しているんですね。そう捉えたら@catexenさんが仰ったように、根拠なんてぜんぶ消えていく。でも、だからといって対話が出来ないわけでない。むしろ、そこから始まる対話がある。それを差異性を求める〈対話〉と私は言っている。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
だってそうでしょう。人の「心」はみなそれぞれ違うんだから。同じになれっこない。そこを前提に対話するなら違いを認め合うしかない。違いを認め合うなら、不快だってことも認めるしかない。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
けれども、対話の出発点で自身が自身の不快を認めなければ、提示するのは「根拠」になってしまい、その根拠の正当性を争う、同一性を求める【対話】になる。これは安冨先生がツイートされているけれどもhttp://goo.gl/560ul 「説得」なんですよ。相手を説得できるか否か。そのループから抜けよう、という話を展開しているつもりなんです。余計わかりにくくなったかな?
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
私が私であるのに根拠があるわけではないし、私が何かを感じるのも根拠はないんです。それは創発だから、根拠を求めることは原理的に不可能なんです。けれど、そう考えれば、ではなぜ他人の内心に踏み込んでいく必要があるのか、という疑問が湧きますよね? その答えがハラスメントなんです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
後付けの「根拠」を正当化し自身の不快感(もちろん別の感情でも)と向き合わない行為は、創発によって為される学習行為が妨げられてしまう。この学習こそが内心に他ならない(創発は内心の源と思っていただければいい)。なので、学習を妨げるものを排除しようとすると、どうしても内心に踏み込む必要がある。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
学習とはなんぞや、 については『生きるための論語』でも『ハラスメントは連鎖する』でも『生きるための経済学』でも読んでみてください。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
『生きるための論語』p137 怖いものは怖い、嫌なものは嫌、好きなものは好き、やりたい事はやりたい、やりたくない事はやりたくない、死にたくないなら死にたくない。このように「名」を正しく呼ぶことが、人間がまともに生きるための第一歩なのである。ここを歪めてしまうと、そこから先は何が起きるかわからない。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
@gushouさん。自分自身に向き合うことは大事なことですが、対話はコミュニケーションなのですから、相手が発した言葉に向き合うことが無ければ成立しません。@gushouさんは前者に関心が集中するあまり(あるいは自論のケースワークとして@mu0283さんを利用して?)後者を軽んじたことから議論が頓挫したのだと理解します。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
@gushouさんは問題を一般化しすぎだと思います。私が問題にしているのは、安冨氏と深尾氏がやろうとしたことと実際にされたことの乖離です」という@mu0283さんの発話はそのズレを感じ取ってのものだったのでしょう。実際にズレていたわけです。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
もちろん、対話において別の問題意識が提示されることはあり得ることですが、そのズレに乗ってこない@mu0283さんをあなたは「卑怯者」と罵倒した。同じことを対話に求めるなら、これからもそうなるだろうと私は予想します。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
《私が私であるのに根拠があるわけではないし、私が何かを感じるのも根拠はないんです。それは創発だから》← ヒトは社会的な存在として発生し進化し今日に至っています。そこに創発も含めて自己の根拠は埋め込まれている「ハズ」だと考えます。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
社会的行為としての対話から社会性を剥ぎ取ること(不快感や怒りの自由な放出)が、解放された人間をもたらすのか、人間からの解放(自己否定)をもたらすのか、私にはよく分かりません。ただ、目の前で対話は頓挫すべくして頓挫したということです。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
↑これは「対話」に限定した話ではないです。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
成り行きでもう一言。「ヒトは社会的な存在として発生し進化し…そこに創発も含めて自己の根拠は埋め込まれているハズ」←これは私が福島の苦悩を理解する上で念頭に置いている観点です。表向きは危険派と安全派の対立ですが、その後ろに社会と個人の対立があるから根が深い。社会を防衛することと個人を防衛することとの齟齬が戦時中に比肩しうるほど齟齬をきたしている。隠蔽も同様。赤城さんの苦悩もそこから想像します。
上西充子 @mu0283 2012年4月10日
【彼女の精神への「踏み込み」については、私はとうてい「踏み込んだ」とは言えない。】 → 深尾氏のこの言葉の意味を解りかねている。
上西充子 @mu0283 2012年4月10日
(1)「私は踏み込んでいない。私が踏み込んだとみなす@mu0283の批判は、いわれなき批判だ」、ということなのか、(2)「私は愚樵さんのように踏み込むことはできていなかった。愚樵さんはさすがだ」ということなのか。
上西充子 @mu0283 2012年4月10日
最初私は(1)だと受け取った。安冨氏が「彼女は、赤城さんが、怖いのです」と彼女の心の有りように踏み込み、憶測に基づく言語化を行っているのに対し、深尾氏は「彼女の精神のありようを理解するのは大切」とは語っているが、どのような精神のありようであるかを言語化しているわけではない。
上西充子 @mu0283 2012年4月10日
その点において安冨氏と深尾氏には違いがある。だから「深尾氏はみずからの意図に反することをみずからの言葉によって行っていないだろうか。」という私の批判は、厳密性を欠いた批判であり訂正の必要があるだろうか、と考えていた。
上西充子 @mu0283 2012年4月10日
しかし深尾氏は愚樵氏の書き込みを静観するだけでなく、「いいなあ~愚樵富士に吠ゆ」とコメントされている。ならば(2)なのかもしれない。
上西充子 @mu0283 2012年4月10日
もし(2)であるのなら、コンポジウムの開催趣旨の文面http://anmintei.blog.fc2.com/blog-entry-925.html に誘われて会場に出向いた私は、「甘い水」に誘われてふらふらと迷い込んだ蛍と同じで、危険を察知できず愚かだったのだろう。
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月10日
"違和感がある"という言葉を強者が使えばハラスメントであり圧力、弱者が使えば省みられない心中の表明.なぜならそこには言語が伴っていないから. あの場の数百の拍手の動機は、"ただ周囲に同調した"というものも含めて多様性はあったはず.しかし、拍手は 言語として発する行為と比べ、遥かにハードルは低い.個人を晒すこともなければ、自らを掘り下げる必要もないから.よって、拍手に多様性は見ない(認めない)という主張は成立するのだろうか? あの場の数百の拍手は、まつもとさんを一瞬 強者にしてしまったのだろうか?
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年4月10日
弱者とは弱虫さんであり、強者とは勇者である。権力を持った弱虫さんは悪人であり、強者ではない。それゆえ、拍手で弱者が強者になったりはしない。「ちょっと違うんじゃないか」というのは、弱虫さんの繰り出す攻撃である。権力を持たない弱虫さんが言えば「ぼやき」であり、権力を持った弱虫さんが言えば「指図」である。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
@mu0283さん。安冨先生から弱虫認定が出ましたよ(笑)ここは一つ先生にガツンとぶつかって勇者に…と、そこまでやるほどの拘りが無いのなら、やはり「ぼやき」との認定は甘受しなければならないかもです。すいません、余計なお世話です(汗)
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
@KutaroMichikusa ちがうよ~、途中まで対話をしていたのに、いきなり訳のわからない理由で拒絶したから卑怯者と言ったんだよ~、最初は「敬意を表します」って言ったんだよ~。事実を流れで見ないで、自分の都合のよいように断片化して「根拠」となすのはみっともないからやめましょう。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月10日
@KutaroMichikusa 「ヒトは社会的な存在として発生し進化し…そこに創発も含めて自己の根拠は埋め込まれているハズ」 そんな生物学的な話なんかしてません。対話、コミュニケーションを為すときの根拠という話。言葉は同じでも文脈が全然違います。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
@gushouさん。《流れ》←対話遠慮の件でmu0283さんがあなたの匿名に触れた部分は「?」ですが、主催者/ルール問題以外の議論をしない旨はあなたの登場する前から、あなたが登場してからも3回繰り返し表明してます。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
あなたがその問題について議論するつもりがないとの判断で対話遠慮されたのだと理解してます。してみると、最初からmu0283さんは対話の意思は希薄だったようで、あなただけに対話不成立の原因があったかのような括りは私の間違いです。印象先走りですみません。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
《そんな生物学的な話なんかしてません》←分かり易く言うと、「井戸に落ちそうな子供にとっさに手を差し伸べる根拠は人間としての形成過程で刻まれてるハズ」みたいな話です。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
↑これもトンチンカンな書き込みでしたね。汚してすみません。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月10日
相手が発した言葉に向き合うべしとか偉そうなこと言っておきながら犯した誤読が少なからず。これは確かに恥ずかしい。特にお呼びが無ければ退散すると致します。意見交換ありがとうございました>@gushouさん
Sirius☆彡 共謀中一般人 祈ります @sitesirius 2012年4月10日
ディコンストクシォン rは発音しない、または小さい「フ」ぐらいか…
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
@KutaroMichikusaさん、おはようございます。ここでの議論(≠対話)も、そろそろ潮時でしょうか。ま、でももう少し。 mu0283さんがあなたの匿名に触れた部分は「?」ですが ← ここをスルーされては困るんですけどね。こここそ、私が「卑怯者」とした理由ですから。私からすれば理不尽な対話拒否に受け取れない。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
「あなたがその問題について議論するつもりがないとの判断で」 これもおかしい。私はまず内心を窺うのは人間一般の普遍的行動という提示をした上で、次にルールの問題へと入っていっています。「一般化しすぎ」というのはその過程で出てきた応答にすぎない(と私は理解しています)。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
まず私はmu0283の問題設定に違和感を感じたのです。そこから対話を望んだ。これは議論にせよ対話にせよ、ごく普通にあることでしょう。問題設定に疑義を表明するというのは。「私の設定した枠のなかで議論を受け付けません」という態度は、普通はおかしな態度だと理解されますよ?
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
対話が実現しないので私が一方的に吠えることになりましたが、実際、mu0283氏は(私から見れば)「主催者のルール」を恣意的に判断していた。誤解を招きやすかった点については私は深尾先生にも〈攻撃〉しました。深尾先生はお認めになったわけです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
それに、本当にルールについて知りたいのであれば、その当人である深尾先生と対話を求めるのがスジです。ツイッター経由で容易に繋がることができるのですから。それをせず、深尾先生を知らないとしながら深尾先生が設定したルールはこれだ、といったって、それは「私(mu0283)が勝手にルールを推測しました」と言っているに等しい
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
しかし私は、当初はこういった指摘のしかたをしたのではありません。「mu0283氏のいうルールがよくわからないから教えてください」と申し出たのです。ここに過剰性と抽象性がありますか?
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
私はmu0283氏は、私との対話に怖れを抱いたのだと判断しています。そうでないと、mu0283氏自身も匿名であるにもかかわらず、私が匿名であることを理由に対話を拒否したことの説明が付かない。それに、ここが不思議なんですが、KutaroMichikusaさんを含め他の方々は、そうした不合理性になんの疑念も抱かないのですかね? だとすると、なんとも鈍い。か、もしくは党派性に囚われている。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
私とmu0283氏との対話が不調に終わったのは、私の側にまったく責任がないとはいいません。今から思えば問題設定に疑義があると先に表明すべきだったし、他にも瑕疵はあるでしょう。しかし、それにしても、なぜ対話不調の責任を私だけに問うのか? そこそもここのところが疑問です。mu0283氏にも問うてしかるべきでしょう。そして、問うならばKutaroMichikusaさんがスルーした部分を問わなければならない。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
それをしないのは、そもそも議論の土俵に立っていないということ。そう判断するから私はバカにしてかかるのです。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
@gushouさん。《こここそ、私が「卑怯者」とした理由ですから》←ならばそこは肝心な部分ですが、それを@gushouさんは明示していませんよね。その後の@mu0283さんのコメントから察するに、匿名を対話遠慮の理由にするのは、安冨・深尾ご両氏からの回答を欲しかったことの婉曲な表現だったのかな?とは思いますが、それとあなたの「卑怯者」呼ばわりが結びついたのは今朝が初めてです。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
匿名云々が「卑怯者」と断じた理由だったとの開示、しかもあなたを恐れての逃避だったとの指摘は私には「後付け」感のある話であり、後付けでないにしてもそこには当初指摘した「過剰性」を見ざるを得ません。私は、「卑怯者」呼ばわりを含む@gushouさんの一連の攻撃的発言はhttp://togetter.com/li/285155に事後的にテーゼ風にまとめられた内容の実践なのではないかと考え、(1)~(4)の発言を投じたわけですが、その疑念はなかなか消えませんね。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
《もしくは党派性に囚われている》←私が@gushou@mu0283の間に割り込んで@gushouさんを批判する構図になっているのは当初から自覚しており、それゆえに私は@mu0283さんとは意識して距離を置いてきました(例外的に投じたコメントが一つ)。氏から謝意のようなメンションも2つ頂いてますが、あえて応答は失礼しています。氏を応援するのが目的ではないですから。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
@KutaroMichikusa 少し対話が出来そうな雰囲気になってきました。それというのも「私がgushou対@mu0283の間に割り込んでgushouさんを批判する構図になっているのは当初から自覚」と明言されたからです。この明言によって、私はあなたの立場を明確に理解して、隠蔽の疑いを持たなくて済むことになります。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
ですが、その後はもうひとつ納得できません。「それゆえに私はmu0283さんとは意識して距離を置いてきました」。距離を置くのと、疑念を呈し問いただすのとは別次元の話です。ですので、私は、この@KutaroMichikusaさんの応答が、私の「なぜmu0283氏には問わないのだ?」の答えになっているとは理解できません。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
別に@KutaroMichikusaさんがmu0283氏の側に立っていたって、全然構わないのです。そうと明言し、その理由を明らかにすれば良いだけのこと。その位置から始まる対話があると私は申し上げている。それは嘘偽りのないものです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
「《こここそ、私が「卑怯者」とした理由ですから》←ならばそこは肝心な部分ですが、それをgushouさんは明示していませんよね。」この問いに答えておきます。理由は簡単です。あまりに自明なことだと思えたからです。ですので「KutaroMichikusaさんを含め他の方々は、そうした不合理性になんの疑念も抱かないのですかね?」と疑問を呈している。気がついて当たり前としか私には思えない。そして、もし気がつかないとしたら、何か内心に理由があるしか思えない。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
「党派性」という点で言えば、@mu0283さんの「もやもや」や@catexenさんの「理解できない部分」の指摘はコンポジウム主催者の党派性への疑念を含んでいるように私は読んでいます。深尾氏が@mu0283さんに応答することなく、@mu0283さんを斬る@gushouさんの言説を「飛翔」と評したことで私もその疑念が生じました。それについてはここで何かを言うつもりはありませんが、私の党派性が疑われたので一言申し上げておきます。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
“お味方いたす”“助太刀いたす”という「純情」のことです。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年4月11日
助太刀は義によってするので、違うでしょう。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
では、「義」を「純情」と履き違えること。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年4月11日
ああ、わかりました。「同」のことですね。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
私は@mu0283さんの「匿名云々」発言の真意を問いただす必要を感じませんでしたとしか返事のしようがありません。私のここでの発言目的とは直接の関係もありませんから。「距離を置く」は私の弱さを自覚しているからです。お仲間意識が芽生えれば主張が曲がる。だから私は友達も少ない(笑)
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
《党派性ってなに?》←自分が帰属意識を持つ集団の「立場」に従属した精神の有り様とでも申しますか。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
そうです、そうです。「小人」が行なうやつです。そして「小人」ゆえにでしょう、なぜか隠そうとする。本当に助太刀したいと思っているなら、堂々と表明すれば良いのに。
安冨歩(やすとみ あゆみ) @anmintei 2012年4月11日
アイコンの白ヤモリ、気持ち悪いなぁ。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
@KutaroMichikusa 自らの「弱さ」を自覚し、それを表明できるのは「強さ」です。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
《気持ち悪いなぁ》←そこは私も懸念が無かったわけではないですが、面と向かって言われたのは初めて。黙って忌避されるよりは有りがたいと思います。他のものを考えましょう。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
仲良しこよしの友人や帰属集団内でも非を非と言えることが「強さ」だと思うので、人と距離を置くのはやはり弱さだと思いますよ。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
はい。仰るとおりですが、そういった「強さ」は、自身の「弱さ」を自覚し表明するところから始まるのです。自分を「弱い」と表明できるというのは、受け止められないかもしれない、あるいは嘲笑されるかもしれないという恐怖に打ち克たなければならない。打ち克ったのなら「強さ」です。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
「助けてください」と言えたとき、人は自立している。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
誉められると調子に乗るのも私の弱さなので、ほどほどに願います。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
ところで、「義」と履き違えるといった「純情」ですが、これはコンポジウムで発言した「彼女」が持ち合わせていた「純情」とまったく同じものです。私は「彼女」が「純情」の持ち主であることを毫も疑いません。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
話をひっくり返すようで申し訳ないのですが、私が@mu0283さんと距離を意識して取ったことは前述の「弱さ」ということでもなく、論争において一方の側の代弁をしているように穿った見方が出てくることを抑止するためです。ホームでメンションのやり取りをすればそれも疑念の材料になる。それは論争的な場では日常的に生じることで、実際に@gushouさんも私の「隠蔽」を疑っていた。後付けの説明であるかどうかは私の発言と照合して頂ければ分かると思います。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
かと言って“「距離を置く」は私の弱さを自覚しているからです”も嘘ではありませんよ。そういう意識は常日頃抱えているわけで、@gushouさんに感じる「自省圧力」に押されてそう答えてしまったのだと思います。これは無意識にそういう展開になった。弱かった。(アイコン変えたのに反映されないな)
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
今、私は@KutaroMichikusaさんを疑っていませんよ。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
「自省圧力」に押されて、というのもそうなのだろうと思います。けれども、です。押されれば押されるほど頑なに抵抗する人が多いのです。こればかりは自分が決めるしかないことです。自分の「弱さ」を認めて表明するなんてことは、当人が決意しない限り、誰も強要することはできません。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
@gushou ご理解ありがとうございます。思うに、「穿った見方」が自分の「弱さ」を突いているような関係もあって忌避している面もあるのかなと。無意識においてそれが分離していなかった時にそこを突かれて・・・。←自己の内面ですらこうして観察して想像する対象なんです。他者の内面を仮構して〈攻撃〉と【攻撃】に振り分け・・・なんてことの危うさは否定できません。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月11日
「東大話法」で安富先生が解析されたものは「典型例」でしょうし、その解析とてリアルタイムになされたものではなく、慎重に吟味を重ねてのことだと思います(それでも、解析対象者らには「安冨はデタラメを書いてる」と言い張る余地があります。なぜなら内面は終局的には当人たちの専有物、いや、当人たちにも実はよく分からないのですから)。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
@KutaroMichikusa 「危うさ」ですね。仰ることはわかります。けれども、そこは私が思っているのは逆で、だからこそ互いの内面に踏み込む〈対話〉が要るのだと考えるわけです。仮構はなるほど仮構です。こう見ている! と言っているに過ぎません。それを仮構として拒否するのも確かに「危うさ」回避の方法ではありますが、そこからは何も生まれない。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
そうではなく、仮構を仮構として受け入れ、その上で〈対話〉を為して「危うさ」を回避していくという方法もある。人間というのは得てして自身のことには気がつかないものですし、それになにより、人間は普段から内面の踏み込み合いをしながら人生を生きているのです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月11日
互いの仮構を受け入れ合い、〈対話〉を行ない、「危うさ」を回避して築き上げるものを「信頼」、あるいは(本当の意味での)「絆」と言っていいでしょう。そうしたものを築くのに、「危うさ」を怖れていては何も始まらないことは、誰もがみな知っているはずのことです。
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月11日
KutaroMichikusa: 率直に言って、少々補足が必要だと申さねばなりません.私は、党派性(群れとか偏りの意と解釈して進めます)があることを問題と思いません.問題は党派性を-帯びるor作為的に避ける-ことにより、自己の信念を捻じ曲げてしまうことにあります.(続く)
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月11日
当該発言の問題を追求していくと、おのずと、この催しの在り方について、もしくは拍手をした幾百の心中の在り方について 問うことになります.その点については同意をいただけますでしょうか?早川氏がどの時点でその構造を洞察していたのか、私は知りません.また、推測で誰かを神格化するような愚かしい沼に嵌りたくないので推測も進めません.一方で、その行き着く先に鈍感なまま、まつもとさんの在り方を批判している人々がいるように思います.私が見た、あの晩の安富さんと幾人かのそのフォロワーのやり取りはそうでした.(続く)
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月11日
早川氏というフィルターを通せば、あるいはgushou氏というフィルターを通せば、まつもと発言に対する批判は、一本の論理的筋道に沿うものにも思えます.それは、ご本人なりに消化しながらご見解を吐かれているからかと察します.しかし、そういう見方があることを知りそれに感銘を受けることと、それに同化することとは別だと思います.(続く)
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月11日
今回特筆すべきは、殺到するように、それに同化しようと、会場で生み出した自分の印象を、手のひらを返すように覆した方が、少なくない人数いた、ということです.それは、当該催しの、会場で呈したコンセプトと事後にTL上で示されたそれに、大きな乖離があった(言語により煮詰めることを必要とするかしないか、という点)ことを示しているのではないかと思っています.
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月11日
なお、蛇足ですが、あのようなイベントを開催できる知見や行動力について、私は一貫して敬意を持っていることは書いておきます.言語化しないと伝わらない恐れがありますので.
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月12日
@catexen さん。私はコンポ当日の問題についてここでは意見を書いておらず、@gushouさんの批判手法の「弊害」について意見を述べただけです。一言だけ申し上げれば「幾百の心中の在り方」を外から誰かが問うのは無理ですが、幾百の人々それぞれが自らに問うことは可能。その契機を積極的に提起することには何ら異議を持ちません。
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月12日
一言といいつつ続いてしまいますが、その「契機」を提起するにもそれなりの覚悟や決意がなければ「ぼやき」で終わる可能性が大きいと感じました。他者に考えさせる契機ですから、やはり曖昧な言葉を投げるだけではダメなのでしょう。それは理解できることです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月12日
@catexenさんはやはり核心を理解されていると感じます。「そういう見方があることを知りそれに感銘を受けることと、それに同化することとは別だと思います」。そうです。同化するかどうかは別問題、というより、@KutaroMichikusaさんにもお答したように、当人が「決意」するしかない問題ですね。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月12日
で、「同化せよ」とメッセージを送るか否かの点でいえば、早川先生はそのようなことを仰らない。安冨先生もそうですね。が、私は騒いでいます。「気持ち悪い」と言って。これまた「過剰性」と言われそうですが、これは攻撃のための理由ではないんです。
いのうえひろゆき @gushou 2012年4月12日
といっても信じてはもらえないかもしれませんが、でも、気持ちよさそうに思いませんか? 少なくとも当人は。早川先生がその典型ですけど、当人が気持ちよさげにしているところが、かえって反感を招いている部分はあります。でも、だからといって、反感を怖れて迎合する早川先生なんて、あり得ないw。煎じ詰めればそういった「気分」の問題ではあるんですが、日々生きていく上では「気分」は極めて重要ですよ? どうせ生きるなら気分良く、と思いませんか?
道草クー太郎 @KutaroMichikusa 2012年4月12日
《KutaroMichikusaさんにもお答したように》←当人が「決意」するかどうかは自分自身に向き合うか否かの局面でのお話でした。同化するか否かとはいささか次元が異なると思います。@catexenさんの問題意識は、@gushouさんの記号を流用して表現すれば、“自分自身への問いかけをしない【同化】”に関わっているように読みました。
中庸日記 @Da_Saitama_Sea 2012年4月13日
赤城さんに福島の現状を、また、そこで生活が継続しているということを示していただいて、”うーん これはどう考えたらいいんだ…” となっていたところに、知の権威者で催しの中枢にいたひとが、”一般化した理由付け”により、まつもと氏の発言を否定したことで、ひとりひとりが、心中で赤城さんプレゼンを聴いた直後の戸惑いを反芻する、ということについて、いささか丁寧さを損ねたのではないでしょうか.
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