3年で9倍以上の増強をかけているときに、大粛清で基幹将校団を失ったのはまずかったと捉えるべきか、どのみち圧倒的な将校不足に陥っただろうから問題ないと捉えるべきか、数字を眺めているだけではちょっと分かりかねる>1941年の赤軍。
2012-03-31 23:18:39@ninomae_fumi 動員に合わせて将校を水増しするにしても、指導・教育するためのベテラン将校は必要でしょうね。ベテランがいないとノウハウを伝える人間がいなくなります。そういう意味ではノウハウを消してしまった大粛清の悪影響は絶大ですね
2012-03-31 23:29:46@ninomae_fumi 不動産業者様ぐらい話が通じない人と一週間議論して投げ出したことがあるんですが、「最近元気かなー」と思ってTLを眺めたら「ガス室はなかった」とか、「ソ連軍は数だけ」とか、「ソ連の指導者は無能ばかり。スターリンも」とか言ってたんで、「ああ、元気なようだ」と
2012-03-31 23:36:45「赤軍は数だけ」論者についてなんか云いたくなったので、おもむろにグランツ「独ソ戦全史」の1941年戦役についての統計などめくり始める。
2012-04-02 00:52:31@ninomae_fumi 損害を気にしない軍隊だから誤解されがちですが、あのドクトリンは損害前提で敵の戦線に火力と速度を叩きつけて、どこかで穴が開いたら一気になだれ込んで後方まで制圧して包囲殲滅するっていう高度な連携が必要な技術なので、数だけでは無理でしょうね
2012-04-02 01:01:10ちょっと面白いデータとしては、赤軍と独軍の永久損失(戦死、行方不明など)を比べた場合独軍のほうが多いというのがあったり。赤軍1千万に対し独軍1100万。まあ、ランチェスター則を考えた場合どうなのそれ、というのはあるけど。
2012-04-02 01:02:32@sweets_street 事実、41年冬期反攻はそゆ連携が不足し戦力的集中も徹底を欠いたため部分的な成功しか納めてませんね。42年冬期は独軍の機動戦力集中により攻勢限界点からのバックハンドブロウを受けてますし。
2012-04-02 01:04:43@ninomae_fumi ノウハウは血か汗を流さないと会得できないものなので、独ソ戦のソ連軍は文字通り血を流して縦深ドクトリンの運用ノウハウを身につけたのでしょうね。途中から動き良くなってますし
2012-04-02 01:09:24@sweets_street 44年の戦時教令で縦深作戦理論が完成すると共に実際に実行可能となるのですが、縦深作戦理論は狭正面に圧倒的兵力をぶつけることにより全縦深を突破することを眼目とするので、主攻勢軸へ戦力を集中するのみならず、その軸の直前までの隠蔽も必要となってきますね。
2012-04-02 01:11:18@sweets_street ドイツの動きが悪くなったのも重要な側面です。例えば「ドイツ空軍全史」辺りで読んだ記憶がありますが、42年夏季攻勢の動員規模は50個師団程度に落ち込んでおり、バルバロッサの数分の一にしか過ぎません。「数だけ」の赤軍にボコられていたのがよくわかります。
2012-04-02 01:14:44@HighTaka @sweets_street 粛清後でも、最高司令部級の高級将校はそれなりに質が高かったです。実際、開戦直前での図上演習は正確にバルバロッサの展開を予見したものになっています(それだけ自他の戦力に対する認識が正確で、仮想敵軍を指揮した将官の質も高かった)。
2012-04-02 01:18:10@ninomae_fumi とんでもない勢いで兵員を消耗しましたからね。それでも攻勢をかけられていたのは大したものですが
2012-04-02 01:18:22@HighTaka @sweets_street ただ、大粛清で軍の背骨たる将校団を失い、1938年から1941年にかけて大動員をかけていた(1938年には150万の常備兵力が500万まで増強され、さらに1400万が動員されつつあった)ことから、将校不足が顕在化しました。
2012-04-02 01:21:07@ninomae_fumi @HighTaka ただ、戦うには優秀な士官の頭数が必要なんで、粛清でゴソッと熟練した士官が減ったのは痛手だったと思います。未熟な士官と新規に編成した部隊で戦わざるを得なかったので、実戦で血を流しながら経験を積むしかありませんでした
2012-04-02 01:21:07@HighTaka @sweets_street そのようなことと緒戦の大損害から、41年冬期反攻の際には「方面軍の砲兵監がいちいち野戦砲陣地に連絡機で飛び、照準をつけねばならなかった」事態まで発生してます。ここから2年半で持ち直すためには、大きな犠牲を払う必要がありました。
2012-04-02 01:24:11@sweets_street それでも開戦初年のドイツの損害は100万に満たないんですが、42年夏季攻勢のためにすごい勢いで攻勢軸以外のところから部隊を引きぬき、同盟軍にまで負担をかけて無理矢理攻勢を掛けたわけです。すでにして、半ば死に体ですね。
2012-04-02 01:29:31@sweets_street そうですね。結果として、赤軍は多大な血と引き換えに精強な軍隊へと生まれ変わり、ドイツ軍は破滅へと転がり落ちていったわけです。「赤軍は数だけ」論者は、1941年と1944年の赤軍は全く別物であることを知らないか、意図的に無視していると思います。
2012-04-02 01:38:01@sweets_street ちなみにさしもの赤軍も、緒戦で血を流しすぎたため、1944年辺りになるとマンパワー枯渇にかなり気を使い、諸兵科統合による総合戦闘力の底上げにより戦死者を減らす方針へと移行してます。効率を求めれば当然のことですが、あまり意識されませんね。
2012-04-02 01:41:33