ヲ茶会考:芸術の破壊という芸術について

ヲ茶会による芸術の破壊はそのものが芸術であるという簡単な考察。
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ヲ茶会(チェリーズ事務所所属🍒) @wochakai

芸術の破壊とは具体的に様式・法則・そして不文律の3つを破壊することを言う。そして実はそれこそが芸術を創造する以上の創造的であり寧ろその破壊そのものが一つの芸術として完成されていないくてはならない。それはビルをダイナマイトで爆破解体するかの如く緻密且つ大胆に何の跡形も残さぬように。

2012-04-08 23:55:07
ヲ茶会(チェリーズ事務所所属🍒) @wochakai

しかし芸術の破壊そのものが真に創造的なる芸術として成立する為には絶対条件がある。それは破壊される芸術もまたその破壊に見合う圧倒的な強固さと堅牢さを備えていなくてはならぬということ。そしてその一切を徹底的なまでに完全に粉砕した瞬間にこそ破壊は芸術へとまで高められる。

2012-04-09 00:04:36
ヲ茶会(チェリーズ事務所所属🍒) @wochakai

また芸術の破壊そのものを新たな芸術として創造を行うことが出来る人間というのはその芸術の様式・法則・不文律の埒外に存在するものだけである。尚且つそれは凄まじいまでの情念と情熱で自らをも破壊することを何ら厭わぬ。更にその破壊という芸術は己の様式や法則、不文律を決して持ってはならない。

2012-04-09 00:20:07
ヲ茶会(チェリーズ事務所所属🍒) @wochakai

破壊を芸術とするときそこにはあるべきは混沌だけである。それも他の一切を必要をせぬのではなく他の一切全てを呑み込むほどの混沌でなくてはならぬ。如何なる様式も法則も不文律もその原型を留めることが出来ぬほどの…。そしてその混沌が形作られることこそが破壊が芸術として創造されることである。

2012-04-09 00:39:56
ヲ茶会(チェリーズ事務所所属🍒) @wochakai

芸術の破壊を芸術としたのは画家であればゴッホと岡本太郎。作家であればバロウズ。そして漫画家なら赤塚不二夫だろう。彼らの作品にはずっと昔から何とも言えない違和感を自分のなかで感じていたがようやくその理由が分かった。彼らは単に創造したのではなく破壊そのものを創造とした存在だったのだ。

2012-04-09 00:48:48
ヲ茶会(チェリーズ事務所所属🍒) @wochakai

芸術とは常識を冒すことと禁忌を犯すことで成立する。そしてその前段階として汚す、或いは穢すというものが存在する。つまり冒す(犯す)とは如何にして汚す(穢す)かでありそれをそこへと誘うかである。しかしそれが冒す(犯す)ことなく汚す(穢す)のみで果てるものを決して芸術と呼んではならぬ。

2012-04-09 16:50:13