伊東乾先生@itokensteinの「お前でなくてはという絶対が大事^^」

社会に心の居場所おき場所がない意識が蔓延する一因は「比較」「相対」だと思う。自分は絶対ここにいるという安心出来る場が本当に少なくなった。共同体、職場はもとより家族のような所でも。by 伊東乾
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Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

自分が根拠と信じていること、プライドと思っている事などは、概して自分が狭く弱く小さい部分で、本当に下らない事が多い。でもそれに気付くことは至難で、何か変化があって初めて狭量さに気付くことになったりする。謙虚さってなんなのだろう、気の張りは必要だけれど、表裏で大切、かつ難しい。

2012-04-10 08:41:19
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

例えば優越感とか劣等感、あるいは蔑視とか、そういうものが持つ罠を思う。人間が持つ感情なのだから何か存在の根拠はあるのだろう。でもそうした偏見がどれくらい人間らしい柔らかく優しい気持ちを損ねる事で、結果的にその人自身も不幸にしているか、人は容易にそれを体感する事が出来ない。

2012-04-10 08:43:28
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

優劣というのは比較、つまり相対的なものだ。何かと比べるというのはよくも悪しくも自分の根が中にない、つまり愛がないという事だと思う。愛はこれまたよくも悪しくも盲目だ。なぜ?以前に肯定がある。自分で自分を疑い過ぎるのも過信だけれど自己否定しすぎるのも自己愛の裏返しみたいで大変不健康だ

2012-04-10 08:45:08
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

「相対評価」は程々にした方がいい。社会的な事柄、例えば入試とか定員のあるものについては仕方がない。でもそうでないものは絶対評価でまず肯定がある、存在そのものへの愛があるところから物事に対処してゆかなければ「比較的マシ」という以上の心の価値には近づきにくい。かけがえのないものが大切

2012-04-10 08:47:39
Ken ITO 伊東 乾 @itokenstein

社会に心の居場所おき場所がない意識が蔓延する一因は「比較」「相対」だと思う。自分は絶対ここにいるという安心出来る場が本当に少なくなった。共同体、職場はもとより家族のような所でも。兄弟姉妹は比較されるのを嫌うといいますよね(一人っ子なので判らない)お前でなくてはという絶対が大事^^

2012-04-10 09:06:58