WD パパタラフマラ

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小池博史 @koikehiroshi

「WD」⑩ 「WD」はやっと「百年の孤独」の制作に向かうことが可能になったとの手応えを掴んだ公演だった。この長い作品をマチネ、ソワレとやったりしたのだから、パフォーマーたちにはやたらと苛酷な公演でもあった。

2012-04-08 17:30:13
小池博史 @koikehiroshi

「WD」⑨ この作品はあまりに大きすぎて、かつ、仕込みが間に合わず、世田谷パブリックには大きな迷惑をかけた公演となった。この規模の作品の仕込みを三日でやるのは不可能で、最低でも4日~5日間取るべきだったと反省したが、そんなお金はどこにもなかった。

2012-04-08 17:30:00
小池博史 @koikehiroshi

「WD」⑧ 村上とは1994年にACCの助成で共にNYCにいたときに、同じアパートだったこともあって、ときどき話をしたが、考え方がまったく違い、相違に不思議な気分になり、面白かった。しかし、時代の風は彼の方に強く吹き出したのである。とともに、日本はどんどんおかしくなっていった。

2012-04-08 17:29:45
小池博史 @koikehiroshi

「WD」⑦ この頃から批評とはどんどん縁遠くなっていくことになる。ちょうど、村上隆がスーパーフラット展をアメリカで成功させた頃のこと。時代は、強くそちらの方に流れていった。

2012-04-08 17:29:00
小池博史 @koikehiroshi

「WD」⑥ 世界中からさまざまなプレゼンターが集まってくれたが、しかし、大きすぎ、これはとてもじゃないが持って行けないことを悟った。プレゼンター連中の評判は高かったし、参加アーティストたちは興奮の極にあったが、批評はまるで出なかった。

2012-04-08 17:28:46
小池博史 @koikehiroshi

「WD」⑤ 各々の章の説明は「I Was Born」「Love Letter」「So What?」「The Sound of Future SYNC.」で行ってきた通り。多国籍のアーティストをさらに入れ込み、混沌とさせ、さまざまな舞踊言語や言葉、音楽などで混沌を提示し得たと思う

2012-04-08 17:28:28
小池博史 @koikehiroshi

「WD」④ 前にも書いたが「WD」は「What have We Done?」の略で、20世紀全般と21世紀への展望を3時間半の中で語りきる必要があった。もちろん語りきるのは不可能だから、細かな事象を詳述するなどということはしていない。あくまでも空間の詩として語りきるということ。

2012-04-08 17:27:33
小池博史 @koikehiroshi

「WD」③ 音楽家の中川俊郎さんには作曲、ピアノ演奏以外にも、女装をしてもらい、出演者として登場もしてもらったし、舞台上でトイピアノを弾いてももらった。面白かったのは、彼は嬉々としてこの役に臨み、この役が癖になったと言っていたこと。

2012-04-08 17:26:54
小池博史 @koikehiroshi

「WD」② 出演者数は4カ国17名に上り、音楽家は3カ国から5人が参加。美術家は会田誠をはじめとして8名が参加。まさに多国籍のアーティストたちが結集した公演であった。各章を10分~20分くらい短くして、3時間半の作品としたのである。各国のアーティストたちの意気込みは凄かった。

2012-04-08 17:26:41
小池博史 @koikehiroshi

第三十三回作品「WD」① 2001年12月世田谷パブリックシアターにて上演。11月にサンフランシスコでの第四章の制作・公演を経て、約1ヶ月間で全編を纏め上げて公演した。第四章は未来の章であったが、この時は第四章にはアメリカ、韓国、マレーシア、日本のアーティストたちが集結。

2012-04-08 17:26:17