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授業のまとめ
#dencom コンピューターの元は『電子計算機』であり、軍事技術(弾道計算)として用いられたのがはじまり。なるべく「速く」「正確に」撃つ為に機械を用いるようになった。
2012-04-19 13:32:31#dencom 戦後、軍事としてのニーズは薄れたが「電気を使って計算をする行為」そのものは確立されていたため、この技術を活かす道を模索し始める。
2012-04-19 13:33:00#dencom 計算のための回路を手作業で繋ぎ変えるのではなく、電気的に計算する形にコンピューターの考え方を変えていく必要があった。
2012-04-19 13:35:26#dencom ノイマン型コンピューター:EDSACが作ったものであり、現在のPCの概念となったもの。 これにより弾道計算に限らず、様々な形の計算が出来る様になった。(汎用性の向上)
2012-04-19 13:35:58#dencom 戦後はこのノイマン型が研究されていくことになる。 ノイマン型への移行に最も早く目を付けたのが「金融機関」であった。
2012-04-19 13:37:39#dencom 世界全体が復興へと向かう中、経済成長が加速し金融市場・株式市場も増大していった。 これにより計算へのニーズも強まったためである。
2012-04-19 13:37:47#dencom この分野に手を出してきたのが「IBM」(インターナショナルビジネスマシン) ノイマン型コンピューターを企業内で取り入れられる様に作り替えていった。特に「IBM360」は当時画期的なマシンであった。
2012-04-19 13:40:21#dencom 小型コンピューター市場において派遣を握ったのが「IBM(360)」 そのため、日本でも大手メーカー(NEC.日立.富士通)は小型コンピューターを作る技術を有していたが どれも成功しなかった。IBMが市場を制圧していたため、IBMの互換機を作らざるをえなくなった。
2012-04-19 13:49:43#dencom 当時こうしたPCを有していたのは大企業がほとんどであり、卓越した演算能力を享受出来る人間はごく一握りであった。 つまり、コンピューターというのは権威の象徴であった。
2012-04-19 13:50:59#dencom バビル2世op:当時のPCがどのように映っていたのかを表す例であり「コンピューターに守られた」という表現からも、力の象徴であることがわかる。「夢の機械」
2012-04-19 13:55:15#dencom 1個のものを大量に作る分には安く済むが、種類が多くなる程高くつくため、新製品量産の時代には集積回路にかかるコストが高かった。 そこで「ビジコン」社は何でも計算できる回路を作り、そこにソフトウェアを読ませる事を考えインテルに持ちかけた。(嶋正利)
2012-04-19 14:07:45#dencom 一部の人しか触れる事が出来なかったコンピューターを個人が組める可能性が出てきた。 そこでホビーとして電子工作に興味を持つ「マニア」(特に日・米)がマイクロプロセッサー購入に殺到した。「マイコン」(自分専用のコンピューター)
2012-04-19 14:12:16#dencom この先、日・米でふたつの方向に分かれていく。 ①日本の動き:コンピューター部品を担っていた「秋葉原」 ②アメリカの動き:西海岸でブームが巻き起こる。(シリコンバレーなど)
2012-04-19 14:14:10#dencom この2つは対称的であり、日本はホビーとしてマイクロプロセッサーを作る動きと並行し、大手メーカーが動き出す。(NEC) 技術屋へ理解をしてもらう為に評価キット「TK-80」が生まれる。 TK-80:研究する技術者へのための評価キット(秋葉原で売り出される)
2012-04-19 14:18:38#dencom 日本とアメリカの大きな違い: 大企業を巻き込みながらコンピューターを楽しんだのが日本 ホビーの中で起業家マインドを持った人がパーソナルコンピューターを切り開いたのがアメリカ
2012-04-19 14:25:57#dencom 一つのブレイクスルーによって、多くの大衆がコンピューターを得られるチャンスになった時、最初に行動したのは「マニア」だった。
2012-04-19 14:26:55