佐藤正美Tweet_20120401_15

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佐藤正美 @satou_masami

「言語を分析する事は現実を分析することにならない」と、概念設計好きな SE たちが言う。彼らはそんな事を本気で信じているのだろうか。彼らが「現実」を観てそれを記述する道具として何を使っているかを考えるだけで充分だ。ゆえに、モデルでは、「(事実的な)F-真」を験証するのである。

2012-04-01 01:05:13
佐藤正美 @satou_masami

TMを制作するにあたって、私は数学基礎論からモデル論を輸入した。そして、哲学から意味論を密輸入した。それらが接ぎ木で終わらぬ様に灼熱した。それらの通商から獲た便宜は大きかったが、払った対価も大きかった。だが、我々凡人が学問を修めるというのは、そういう収支になるのではあるまいか。

2012-04-02 00:54:40
佐藤正美 @satou_masami

「事業」というものを SE が知ることができるかという様な厄介な問題は暫く置くが、確かな事は、ユーザの事業が SE にとって未知であるという事だ。SE が既に知っている知識は、未知の事態から得られる情報に較べたら物の数ではない。事業を営んでいるユーザが知っている事を先ず知る事だ。

2012-04-03 00:19:28
佐藤正美 @satou_masami

モデル論を学んで私は「言語の形態論」を益々考えなければならなくなった。私にとって、事業を表現する事と、事業を営んでいるユーザが事業を営むために使っている情報との間に違いはない。事業の構造を観ようとして言葉の組合せを観る事になる。「意味」とは言葉の組合せに他ならないという事になる。

2012-04-03 00:19:59
佐藤正美 @satou_masami

SE たちが否定しようがしまいが、事業の「構造」は、それを営むユーザがそれを営むために使っている「情報」から得られる。もし観るよう努めさえするならば、ユーザの使う言語の隅々に事業の「意味」が記されているのを我々は見る。「言語の形態論」──記号の「意味」の公共性を思いみるがいい。

2012-04-04 14:09:18
佐藤正美 @satou_masami

ユーザが「意味」を伝達している所に SEが「概念」を持ち込もうとする事が分析を紛糾させる元になる。ユーザが事業を既に「解釈」している事を素直に認めれば足りるのである。SE の「概念」の空回りとは、多くの場合、SE の発明品にすぎない。要らぬ埃を立てて見えない見えないと騒いでいる。

2012-04-05 20:16:30
佐藤正美 @satou_masami

いかにも単純で刺激的で、多くの人たちは真似したがるが一人として成功しなかった。似た考えをする誰かが いつか現れるかもしれないという事さえ考えられない。そういう表現で出来上がっている哲学だからだ。フォロワーは多いが継承できない。ウィトゲンシュタイン氏について私はそういう感を覚える。

2012-04-06 16:51:02
佐藤正美 @satou_masami

私は記号演算を数学から学んだ。しかし、言語への私の関心には、文学を愛する内的な論理があり、他人(数学)に掻き立てられる筋のものではなかった。私は確かに自分の播いた種を刈り獲ったが、その後に、どんな孤独に陥って、どんなぐあいに自分を救助しなければならないかを気軽に考えすぎていた。

2012-04-07 00:21:13
佐藤正美 @satou_masami

ウィトゲンシュタイン氏・ゲーデル氏という沃野で私がどのように学んだかについて、記号演算を嫌った文学青年的性質という通俗な命題を私はここで応用する気にならない。TMは、どうしても完成されなければならない──二人の天才を尊敬している私ではあるが、私はいずれTMを捨てると知りつつも。

2012-04-08 00:11:06
佐藤正美 @satou_masami

素朴な疑問が豊富な思考を促して単純な技術(形式)を発見している。思考と形式の一致という様なありきたりの表現では言い難い。単純な疑問に対して、思考がどうしてこんな稠密に作用する事ができるのだろうか──ウィトゲンシュタイン氏・ゲーデル氏を読む時に私はいつもそれを感じる。

2012-04-08 00:11:30
佐藤正美 @satou_masami

ウィトゲンシュタイン氏・ゲーデル氏の天才は、思考の「経験」を語っているのである。二人の思考の産物をエレガントに要約する すぐれた哲学者・数学者は居るだろう。私は、専門家たちが注意したがらない様相のほうに興味を惹かれる──「思考が論理をいかに使うか」という様相に惹かれる。

2012-04-08 00:11:58
佐藤正美 @satou_masami

猿真似できるものではない。ウィトゲンシュタイン氏・ゲーデル氏の思考法を真似る事はできない。それは、いつも「here and now」の新鮮さを感じさせる。「古典」になれあう事はできない。「古典」は、いつも「生まれ出ずる」苦しみ・悦びとして現れる。時々の批評などぶっ飛ばしてしまう。

2012-04-08 00:12:20
佐藤正美 @satou_masami

記号の論理的配置としてのモデルの単純だが豊富な表現力の上に、ユーザが「意味」を伝達するために使う言語を再構成(翻訳)するという原理がコンパイラの原理である。この確実に翻訳した記号組織は、SEが、めいめいの特権と信じ込んだ概念図に関するあらゆる「意味」(有意味性)を厳正に判断する。

2012-04-09 00:32:05
佐藤正美 @satou_masami

「事実」の代わりに、「事実」の観念的解釈で頭を一杯にして、様々な「事実」を単純に語る技巧を覚えた SE たちは、動的な事業の彼方にパターンがちらついていると思い込んだ。それは彼らが象嵌したものだが、法則に見えたのだろう。そして、「事業のあるべき構造」という神話が出来上がった。

2012-04-10 01:30:49
佐藤正美 @satou_masami

ソリューションを考えて、それを構造化する事が事業環境の変化に対応し難くなるにつれて、「現実」をモデル化する事が唱えられた。だが、「現実」という元来が様々な「解釈」を生む言葉がどんな観念の構造を語るに至るか。モデルは「現実」の翻訳である。「『解釈』の公共性」を考えざるを得なくなる。

2012-04-11 20:27:26
佐藤正美 @satou_masami

「論理」を使って無矛盾を構成しても「現実」を正しく表現しているとは限らない。そこに現れる正しさは、構造の可能性を示すのみであって、事態の存在性を証明(験証)するものではない。モデルの難しい技術的問題は、事態の存在性を共有的に認知するという事に存する。「認知」の論点に帰する。

2012-04-12 18:02:36
佐藤正美 @satou_masami

事態の存在性を共有的に認知するための約束事は、ユーザが営んでいる生活様式(事業)の共有の中で合意された一種の法典(規約)である。ひとつの事業体の中で一般に承認された慣習が制度化された情報網(伝達組織)である。コード体系をあだや疎かに思う勿れ。

2012-04-13 22:36:02
佐藤正美 @satou_masami

独創を追いすぎて形式の複雑さや私概念の濫用に疲れて自滅を起こす様になると、単純な形式を懐かしむ様になるのかもしれない。反動には相応の理由はあるが、私には徒な足掻きにしか見えない。無用な飾りを外して純粋(真実)になるとは限らない。初めから持ってなかった物を気づいていないのだから。

2012-04-14 00:10:41
佐藤正美 @satou_masami

モデルみたいな物を覚え込んでしまった SE たちの「社内コンサルタント」たらんとする自画自賛──そこに現れる概念とか構造とかいうものは、もしかしたら、事業にもプログラム制作にも関係のない一種の習作的作品なのかもしれない。臨床尋問で使う技術でない事は確かだ。

2012-04-15 17:27:21