安冨歩さんの『生きるための論語』より抜粋「西洋倫理学の難問」
安冨歩①安冨さんの『生きるための論語』の203ページに次のような記述がある。「たとえば西欧倫理学の有名な問題で、列車が走っていて線路が二股に分かれており、片方の線路に五人、もう片方に一人が縛り付けられている場合、どちらをひき殺すのがより倫理的か、という訳の分からない設定がある。」
2012-04-20 09:14:36安冨歩②これは一見マイケル・サンデルの批判に聞こえるかもしれないが、マイケル・サンデルが提出した問題への批判であって、僕も変だと感じていただけに、この安冨さんの記述を見てすっきりした。サンデルはこの問題を利用して弁証法的思考の訓練に使っただけであって、それはそれなりに面白かった。
2012-04-20 09:19:24安冨歩③安冨さんが書いた問題は、どちらか一方に答が決められるものではないので、弁証法的に考えなければ解答は得られない。その意味で弁証法の訓練に使える。しかし問題設定としては非現実的であり無理矢理こしらえたものだ。そのような空想的なものと自覚して訓練しないと詭弁の訓練に堕落する。
2012-04-20 09:22:26安冨歩④この問題の解答は、実際の状況を具体的に設定して、その具体性の中での判断をすることで弁証法の訓練になる。前提と視点が違えばいくらでも違う結論に到達すると言うことを学ぶことが弁証法の訓練だ。マイケル・サンデルもそのような構成で講義をしているように見える。
2012-04-20 09:24:19安冨歩⑤弁証法としては具体的に考えるべきだというのがこの問題の解答だが、それはある意味では解答はないと言っているに等しい。その解答として安冨さんは次のようなものを提出する。「これに対する孟子の答えもまた、「惻隠をひき殺せばよいのである。そうする理由なんてどうでも言い。理由を…(続
2012-04-20 09:27:36安冨歩⑥「(続き)…理由を頭でゴチャゴチャ考えて「合理的に判断」するようなことをしてはならない、自分の心身に教えてもらえ、というのが孟子の教えである。」この解答は僕には非常にすっきりと心に落ちた。形式論理という西洋の論理を学んできた僕だったが、そうでない解答に共感した。
2012-04-20 09:30:29安冨歩⑦結局あの問題は、弁証法の訓練には役立つが、議論のために無理矢理に設定したものであって、現実から拾ってきた弁証法ではないから、何かすっきりしないのだ。現実の問題として直面したときは、まずは出発点として自分の心に素直に従えという提言は方法論として正しいと思う。
2012-04-20 09:33:02安冨歩⑧自分の心に素直にしたがった判断は、その結果を見なければ正しいか間違っているかが分からない。だが出発点としての仮説がなければ実験の段階へはいけない。そして実験結果から学んでいくことこそが、本当に難しい問題の解き方としては正しい。これこそ安冨さんが語る学習というもの本質だ。
2012-04-20 09:35:17安冨歩⑨マイケル・サンデルが提出する問題は、思考実験としては面白いが、あくまでも思考の範囲内のものとしての限界がある。それは学習のおける(知/不知)の弁証法の運動を引き起こさない。学ぶことが少ないように感じる。議論のテクニックが表に出る。より深い学習はやはり現実から学ぶものだ。
2012-04-20 09:40:12安冨歩⑩安冨さんは子供の頃からの優等生で、暗記学習が得意だったにもかかわらずそれが大嫌いで、自分の本来の学習の喜びを取り戻そうともがき苦しんだ人だ。その安冨さんだからこそ自分の感覚に素直に従うことこそが学習の本質であることを発見したのではないか。学習において最も重要なのは誤謬論だ
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