仕事について

社会学的な仕事の概念について何か知識を有しているわけではない、ただの妄言です。
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Takuya Murakami @taku_almurakami

仕事について考える。   先日、とある研究者が、大学を辞めてから1円も稼いでないとつぶやいていた。講演、発表をしても謝金をもらっていない、と。  ただ、それはボランティアではないと言う。金にならなくとも神から授かった私の仕事だと断じていた。

2012-04-24 05:01:45
Takuya Murakami @taku_almurakami

至極感銘を受けた。 神から授かったものか否かは私の関心事ではないが、金にならなくてもそれは仕事なのだ。いや、仕事とは金をもらうから仕事なのだ。人は生きるためには金を稼がねばならず、その手段が仕事なのだと叫ぶ者もいよう。だが、それは労働であって仕事ではないというのが私の理解だ。

2012-04-24 05:03:20
Takuya Murakami @taku_almurakami

私にとっての仕事の社会学的な概念は(物理学的概念ではない)、倫理的な理由により自らがなすべきと考える社会的営為に他ならない。

2012-04-24 05:03:51
Takuya Murakami @taku_almurakami

つまるところ、仕事の目的とは利他的な社会貢献であって、良い給料が欲しい、家族を養うために働かねばならぬ、業務課題をやり遂げた時に達成感を感じる、自らのスキルアップといった利己的な諸々の理由によってなされる活動は仕事ではなく、対価の受け取りを前提とした労働である(と、定義する)。

2012-04-24 05:04:25
Takuya Murakami @taku_almurakami

よって、仕事は、お金にならないかもしれないし(なるかもしれない)、やりがいを感じないかもしれないし(感じるかもしれない)、自分にとって何か益を発生させるものではないかもしれない(発生させるかもしれない)。

2012-04-24 05:05:02
Takuya Murakami @taku_almurakami

仕事をすることがその人の職業となっている場合もあれば、仕事をするために別の職業に就いて糊口をしのいでいる人もいよう。

2012-04-24 05:05:22
Takuya Murakami @taku_almurakami

素晴らしい音楽を届けたいと思っている音楽家や、見る人を感動させる走りをしたいと思っている陸上選手が、アルバイトをしていたり企業に勤めていたりするのが、好例だろう。彼らにとって仕事は音楽を奏でることや走ることであり、レジ打ちや書類のコピー取りは、仕事をするための手段=労働である。

2012-04-24 05:06:10
Takuya Murakami @taku_almurakami

特定の職業に限った話ではなく、一般企業において、製品開発者が世の役に立つ素晴らしい商品を製作したいと思ったり、営業担当者がこの素晴らしい商品を世に広めてあげたいと思ったり、会計担当者が企業の活動を円滑にするため正確な会計管理を行いたいと思ったりして取り組む労働は、全て仕事である。

2012-04-24 05:07:15
Takuya Murakami @taku_almurakami

重要なのは、自らの行為によって直接発生することが期待される結果に対し、その結果をもたらすことが自分のやるべきことだと義務感を感じていることだ。

2012-04-24 05:07:41
Takuya Murakami @taku_almurakami

とすれば、専業主婦・主夫にとって、子育てや炊事・洗濯・掃除が仕事となりうることは、言うまでもない。また、子供であろうと老人であろうと無職の人間だろうと、上記の動機から社会的な活動をする者であれば、仕事から排除される者はいない。

2012-04-24 05:08:06
Takuya Murakami @taku_almurakami

一つ断っておきたいが、私はここで、仕事は高尚なもので、労働は下賤である、といったことを述べるつもりは全くない。自らの行為の社会的価値について無知・無関心であろうと、家族を養うために労働してお金を稼ぐ人物は立派な人間である(もちろん、その労働が反社会的でない場合に限る)。

2012-04-24 05:08:35
Takuya Murakami @taku_almurakami

自らの仕事について、始めから理解した上で、就職の段階からそれに取り掛かる人もいれば、企業に入って様々な業務をこなしていく中で自分の仕事を見つける人もいよう。また、自らの仕事が何なのか、途中で変わる者もいよう。

2012-04-24 05:09:01
Takuya Murakami @taku_almurakami

自分の人生を振り返ってみて、塾講師は間違いなく仕事であった。それ以外の寿司屋勤務や家庭教師、警備員は労働だった。今の勤務先も基本的には仕事だと思っているが、時折今は労働をしていると感じることもある。学会での研究発表や論文投稿、旅行記の寄稿は仕事であり、引き続き今後も仕事としたい。

2012-04-24 05:10:35
Takuya Murakami @taku_almurakami

いつか生活が立ち行かなくなるという恐れはあるにしろ、こう考えると、自らの意思に反して仕事を失うということは、まずもってないことが分かる。後は、人生をどう生きるかという問題だけが残った。

2012-04-24 05:11:06