安藤馨氏の『統治と功利』第一章のノート
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安藤氏「個人が自らの生について強固なコミットメントを持っ ているときに、それを覆してまで個人に行為させるような力が そもそも道徳そのものにあるかどうか疑わしい」も至言。倫理 学外の人だけあって(むしろ反倫理学的?)、倫理に対する一 歩引いた姿勢は参考になる。
2010-06-15 02:33:05トマス主義者に対する主意主義者の反論みたいだ。RT @SuzuTamaki: 安藤氏「個人が自らの生について強固なコミットメントを持っ ているときに、それを覆してまで個人に行為させるような力が そもそも道徳そのものにあるかどうか疑わしい」も至言。
2010-06-15 02:38:20たとえ「個人道徳的功利主義」と呼んでも、その「個人道徳」 が志向するのは公共性。それは歴史的には正しいんだけど、平 尾さんの「功利性原理」の話もやはり支持したい。
2010-06-15 02:40:15RT @totojuni_sanche: トマス主義者に対する主意主義者の反論みたいだ。RT @SuzuTamaki: 安藤氏「個人が自らの生について強固なコミットメントを持っ ているときに、それを覆してまで個人に行為させるような力が そもそも道徳そのものにあるかどうか疑わしい」も至言。
2010-06-15 02:41:04「善と正とを区別しない」とは、まさに歴史的功利主義の特徴 であろう。しかし功利主義の魅力にはやはり、「最大多数の最 大幸福(いわば正の原理)」だけでなく、「善とは快楽(幸福 )である(いわば善の原理)」という、より根本的な原理にも 見られるべきだ。
2010-06-15 02:46:31彼は後者の原理を「功利性原理」と呼ぶので、私は暫定的に( 前者の原理をつねに主張する功利主義を歴史的功利主義と呼ぶ のに対比して)「原理的功利主義」と呼んでいる。
2010-06-15 02:48:24この「功利性原理」はホッブズにまで遡れるはず。だからそれ は、歴史的な功利主義とは必ずしも結びつかない(が、やはり 功利主義の魅力の一端を確実に担っているようにも思うので功 利主義の一類型としたい)。
2010-06-15 02:48:38なお、(個人道徳的な観点からの)歴史的功利主義とは「私の 社会における最大多数の最大幸福」を目指し、原理的功利主義 とは「私の人生における最大幸福」を目指す。前者が公共性を つねに志向し、後者が私的であることがよくわかる。
2010-06-15 02:52:35素人が無為に概念を細分化するのは害悪だと見る向きもあるだ ろうが、概念を乱暴に一まとめにすることもまた同様に害悪で あることを鑑みれば、それほど間違った行為でもないようにも 思われるのでご了承ねがいたい。
2010-06-15 02:57:01「人は知識のみに生きるにあらず」ってことかな。や、知識を集めただけじゃ変化はしないよ、とかかな。トマス主義者=主知主義者なら。 RT @totojuni_sanche: トマス主義者に対する主意主義者の反論みたいだ。
2010-06-15 02:59:14@totojuni_sanche いいですけれど、『統治と功利』の第一章読みながらのノートなので安藤氏の再反論がすでにある議論かもしれないので悪しからずw とぅぎゃ等は基本的にはとくに断りなくどうぞ。
2010-06-15 03:01:34なお、平尾氏の議論は平尾透『倫理学の統一理論』を参照。独 特の文体(前者後者とか使いすぎ!)で読みづらく、全部を読 めてはいないので誤読可能性あり。
2010-06-15 03:05:58自分は行為功利主義よりも規則功利主義に、直接功利主義より も間接功利主義を支持するので、基本的には統治功利主義に共 感を抱いてはいる。
2010-06-15 03:15:44内心の道徳規範としても、人生の長きに渡るなかでの帰結的な 厚生最大化を目指す以上、規則功利主義や間接功利主義といっ た「統治功利主義的な」考え方を必要とする。まさに「内心の 統治者」でありうるがゆえだ。
2010-06-15 03:18:15しかし、統治功利主義がつねに歴史的功利主義であるというこ とは、その根本的な目的が公共的な最大多数の最大幸福であり 、個人道徳的功利主義のある1パターンが原理的功利主義であ るということは、その根本的な目的が私的な私の人生における 厚生最大化である以上、大きく違う。
2010-06-15 03:21:50やっていることはほとんど同じでも、その原因が違う。制度に おいてはあまり気にされないかもしれない原因だが、行為の動 機としての倫理学においては重要な違いである。
2010-06-15 03:23:12安藤氏は個人道徳的功利主義の関心領域の一つを「個人が如何 に振舞うべきか」であるとしたが、まさにこれは歴史的功利主 義的な叙述である。原理的功利主義は、この命題を「私が如何 に振舞うべきか」と言い換える。
2010-06-15 03:25:59む、安藤氏は行為功利主義の規則功利主義に対する優位を説い ているのか。規則功利主義に対しては批判的か…。気をつけて 読まなくては。
2010-06-15 03:29:27規則功利主義はつねに、個人を集団に一般化する作用を含んで いるのか。「私の人生における一般化」は(そしてそれによる 内心の規則としての個人道徳体系の制作は)、行為功利主義の なかでも行えるということか?
2010-06-15 03:34:09言うまでもないが、社会における他者と「私の人生」における 他者(未来/過去の私)とは類比的ではあるものの絶対的な違 いもあるので、後者を前者と同等とみなして思考することも一 定の価値があると思うが、同様に(類比的であることを認めつ つ)峻別することも重要である。
2010-06-15 03:36:58「私の人生に於ける、社会に於ける他者(未来/過去における現実の他人)」というのは、原理主義的功利主義の中では位置づけできるんだろうか。RT @SuzuTamaki: 言うまでもないが、社会における他者と「私の人生」における 他者(未来/過去の私)とは類比的ではあるものの…
2010-06-15 03:45:23