コミュニケーションの話

果たして日本人に「許し」はあるのか?という話題をめぐって……でいいのかな。 あらゆる問題がコミュニケーションに収斂するのは良いことなのか悪いことなのか、それとも論外なのか。
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はるじぇー @HAL_J

"everybody is allowed a second chance in the U.S." "In Japan, they don't believe in second chances?"

2010-06-14 11:42:16
はるじぇー @HAL_J

second chanceというのは一度失敗しても再び挑戦出来ることです。失敗は経験となって、その後の仕事や人生においてきっと役に立つという米国の考え方です。

2010-06-14 12:03:51
はるじぇー @HAL_J

※補足 他の国でもsecond chanceの考え方はあると思います。

2010-06-14 12:04:46
はるじぇー @HAL_J

Noahと話していて、また彼我のあまりの差に落ち込んだ。失敗を許容してくれる文化、多様性がある国、年齢・性別・外見の差別を禁止している国は羨ましい。

2010-06-14 12:07:16
はるじぇー @HAL_J

ひどい話、心の狭い日本人RT @firerestarter: "iPhone(アイフォーン)を操作していた男性に「マナーを守りましょう」と注意した。しかし、男性が無視して操作を続けたため、一緒に同駅ホームに降り、口論の末に殴ったという" http://bit.ly/cOOiDp

2010-06-14 14:38:47
@simada_net

思想でも何でもだが、簡単に「更新」などという人を僕は信用できない。それは単純に「進歩史観≒疑似科学的な進化論」と変わらないからだ。人間の発想力はひきこもり系→バトルロワイヤル系→コミュ力系?みたいに単線的に進化したりしない。

2010-06-14 15:02:40
@simada_net

それらはそれぞれまったく別の、互いに関係のない、性格類型であると考えた方がよい。それぞれの時代においてどの性格類型が優位に立つか、という現象だけがある。

2010-06-14 15:05:15
@simada_net

人が意識さえすれば、他の性格類型に変化・進化?できるなどと考えるのなら、それは結局「理性万能主義」「我思うゆえに我あり」→努力すれば何でも出来る、というスポ根型の無根拠な迷妄と変わらない。

2010-06-14 15:06:30
Tetsuro KITAJIMA@クラシック音楽方面用 @hcro_classic

@simada_net 逆にお伺いしますが、これまでの思想が間違っていたと認識して思想を改める、という態度は認めないのでしょうか?そして、もし認められるのであればその「条件」は何なのでしょうか?

2010-06-14 15:08:24
@simada_net

単純に適応することを絶対的な善として疑うことすらしない人種とは、別の人種がいることも(そしてそれは絶対に変わらない性格なのだといういうことも)いい加減気づかれて良い。中国の古典に出てくる、不仁の政体の碌を食むことを良しとせず山に篭って餓死した二人の賢者のような人もいるのである。

2010-06-14 15:13:37
@simada_net

@akami_orihime そういう単純な話ではないです。そういう単純な話にしか還元できないのが「近代的思考の限界」なんです、とだけお答えしておきます。これ以上の解説は、すみませんがご容赦ください。

2010-06-14 15:16:22
Tetsuro KITAJIMA@クラシック音楽方面用 @hcro_classic

@simada_net 「あなた自身が」どう考えているのかを知りたかったのですが。了解しました。

2010-06-14 15:18:37
@simada_net

@akami_orihime あ、そういう意味なら、「僕は自分が考えていること、信じるに妥当だと感じたこと」しか話していません。ぶっきらぼうな物言いになってしまってすみませんでした。

2010-06-14 15:24:02
Tetsuro KITAJIMA@クラシック音楽方面用 @hcro_classic

@simada_net たとえば私が何かの考え方を「これはまずかった」と思って転換したときに、その「転換」を「本意からのものか」と信じてもらえるかどうか、という問題があるのですよね。

2010-06-14 15:28:05
@simada_net

@akami_orihime ああ、そういうことですか・・・すみません。質問の意図を誤解していました。それはですね、そういう「転換」というものと、思想史的にいわれる「近代の限界」みたいなものは多分別次元で語られるものかと思います。ただ、それでもむりやり接合して語るならば…

2010-06-14 15:33:31
@simada_net

大きな「転換」つまりパラダイムが入れ替わる、みたいな出来事も個人の中で起こりうるとは思います。しかしそれは「意識する」ことによってはおそらく達成されないのではないか。つまり偶然、それこそ運命と呼ばれるような出来事などによってむりやり、仕方なく引き起こされるのではないか。

2010-06-14 15:36:03
Tetsuro KITAJIMA@クラシック音楽方面用 @hcro_classic

@simada_net あー、そういう話だったんですね。となるとこっちも誤読でした。思想史的な話か……。

2010-06-14 15:37:40
@simada_net

こんな感じでしょうか。カウンセラーの河合隼雄さんも「この子の為に」とかそういう意図的な配慮の下でなされたような行為は、善意からのものであっても大体精神的な疾患の癒しには役に立たない、ということを述べられていましたが、それと同じ様な感じです。

2010-06-14 15:38:34
@simada_net

@akami_orihime ほんとうはつながっている話しだとは思います。ただ、つながっている、という形で話し出すとつまらんダメだししてくる人が結構いるので鬱陶しかったりするですよ。それでちょっと及び腰で話していますw

2010-06-14 15:40:44
Tetsuro KITAJIMA@クラシック音楽方面用 @hcro_classic

@simada_net うーむ。現在のうちの問題意識は、「責任の取り方」にかなりの部分が割かれています。単なるミスによる不祥事のケース、個人としての責任、組織としての責任、そして思想レベルでのバグの恢復とかがテーマとして考えられますが。

2010-06-14 15:43:13
@simada_net

たとえば、定年までサラリーマン倫理(これは母系的にゆがめられた見てくれだけの論理性だと僕は思っているのですが)に何の疑いも差し挟まないでやってこれた男性が、別のパラダイムに移行するには、妻からの離婚、子供の死そういった「偶然」「運命」みたいなものがどうしても必要だと思うんです。

2010-06-14 15:43:38
Tetsuro KITAJIMA@クラシック音楽方面用 @hcro_classic

@simada_net で、最終的には「どうやったら責任を取った、ちゃんとバグを直した」と認めてもらえるのか、という問いがあります。だから、「思想転換」が有効に機能したかどうかではなくて、外部から見て「それが機能している」と認められる条件のほうが気になっています。

2010-06-14 15:43:50
Tetsuro KITAJIMA@クラシック音楽方面用 @hcro_classic

@simada_net たとえば「自殺する」という責任の取り方が伝統的にあるわけですが、じゃあそれ「しか」ないのか?という話がありまして。もしそれしかないのなら、私は今から自殺しなければなりません。不祥事山ほど起こしてます。

2010-06-14 15:44:33
Tetsuro KITAJIMA@クラシック音楽方面用 @hcro_classic

@simada_net でも、なにかそういう「致命的なきっかけ」がないと思想転換を成し遂げるのはそもそも難しい、というのは同意です。(だからこそ常にPDCAをがんばらないといけない)。

2010-06-14 15:45:20
@simada_net

@akami_orihime 僕は責任は近代が生んだ幻想だと思います。損失補償という意味の責任ならなんとかなると思います。しかし、起してしまったこと、例えばマッチの火を落として周囲が焼け野原になってしまったとしたら、いかにその出火原因になった人が腹を切ろうとも、(続く)

2010-06-14 15:45:42
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