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後だしじゃんけんっぽいけど、先日の上映会に来てくださった大場正明さんの『サバービアの憂鬱』にとても影響を受けていることに、八年ぶりぐらいに読み返して気がついた。キング、ディック、筒井、安部公房、ヴォネガットに極端に惹かれる自分自身の基盤のようなものを指摘された気がした。
2010-06-17 12:57:32デビュー作のキング論は、郊外の作家であるキングが、NYを扱うメタフィクションなのだけれど、メタフィクションを『メタフィクションの思想』で言う戦争の問題だけではなく、「郊外」という、表象イメージと現実の二重性に起因した部分から思考するということに僕は影響を受けていたのだと気が付いた
2010-06-17 12:59:15若林幹夫さんの「闇のある祭り」「闇のない祭り」(郊外の祭り)という概念にもとても刺激を受けた。郊外は虚構と現実の二重性の中にあるが、「新しい祭り」しかない。そこから「ネットの祭り」への回路を、僕は多分「Xamoschi」でやろうとしていたんだと思う。
2010-06-17 13:00:58キング論書いた後に、なんで自分が「札幌」の問題を執拗に書き始めたのか分からなかったけど、今になって気づく。僕の無意識の問題意識は、結構一貫していたのだなと。宮台さんの『まぼろしの郊外』も、僕はメタフィクション論として読んでいた。
2010-06-17 13:03:22「郊外とメタフィクション」、あるいは郊外にいることがスピルバーグ作品やカーペンター作品のような「ホラー」や「宇宙人」に惹かれる心性を作り出すという「郊外とSF」の関係性を大場さんからはとても学ばせていただいたことを思い出した。今やっているのが「東京SF」だというのも、奇遇的。
2010-06-17 13:10:03ニュータウンに住んでいた田舎者である僕が、未知の異世界である「東京」の非日常性と未来都市性に惹かれて、『鉄男』を繰り返し観てきたわけですが、そういう「田舎者」の視点から東京論や東京SFを読んでいると、今だから分かる色々なことが見えてきます。TOKON10やその他で展開します。
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