茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第585回「不信で片付けるような、大人にはならないようにしよう」

脳科学者・茂木健一郎さんの5月5日の連続ツイート。 本日は、子どもの日にちなんで、思うこと。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

しゅりんつっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

2012-05-05 07:31:24
茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート、第585回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、子どもの日にちなんで、思うこと。

2012-05-05 08:46:18
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふお(1)今日は「子どもの日」である。「子どもの日だ、子どもの日だ、うれしいな」という歌が確かあったような気がする。子どもの頃を振り返ると、親や、先生、周囲の大人がが、まるで何でも知っている万能の人で、何でもできる「魔術師」のように思えた時期があった。

2012-05-05 08:47:53
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふお(2)だからこそ、子どもは、大人を「信頼」する。大人が言うことは、とりあえず正しいことだという仮説から始まる。子どもはまだ世界のことを知らず、無力だから、大人にすがるしかない。親や先生の言うことを、とりあえずは信じてかからないと、この複雑怪奇な世界で生きていくことができない。

2012-05-05 08:49:08
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふお(3)それが、成長して、大人になっていくと、かつては全知で万能だと信じていた大人たちが、全知でも万能でもない、ということがわかってくる。その過程で、大人不信になったり、反抗期になったりすることもある。やたらと親に反発したり、先生にはむかったり。成長の一つのほろ苦さなのだろう。

2012-05-05 08:50:46
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふお(4)やがて、自分で働くようになり、社会の中で責任ある立場になってきたりすると、実際に物事を動かしたり、回したりすることの難しさがわかってくる。そんな中で、かつて大人たちを全知、全能だと信じていた頃の自分が、なつかしくもあり、みっともなくもあったと感じるようになる。

2012-05-05 08:52:48
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふお(5)社会人の大人どうしの関係性は、だから、「お互い大変ですね」というのが、基本的感情であるべきなのだと思う。それぞれの職責を果たすのが、完全にはできないことなどわかっている。お互いベストを尽くしましょう。それでも、思うようにいきませんね。そんな共感から、大人たちは始まる。

2012-05-05 08:54:20
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふお(6)もっとも、子どもたちに対しては、大人たちは、時に全知、全能の存在であるふりをしなくてはならないこともある。世界はどうなっているのですか? 生きることの意味はなんですか? そんな時、言い切ってしまうというのは子どもに対する大人の思いやり。ちょっと照れくさいけどね。

2012-05-05 08:55:35
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふお(7)最近気になる傾向の一つは、大人どうしの間で、「不信」という言葉がしばしばに使われることだろう。現状に対する批判や提言はあったとしても、「不信」という言葉は、安易に使うべき表現ではない。その裏には、相手が全知全能であるべきという誤った「期待」があるのだから。

2012-05-05 08:57:54
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふお(8)現場に立って、実際に自分が仕切ることを想像したら、「不信」という言葉は安易には使えない。事態を改善するにも、一つひとつ積み上げていくしかない。「不信」という言葉は、便利なようでいて、実際にはその言葉を吐いている人の現場経験の欠如、未熟さを反映していることが多い。

2012-05-05 08:59:54
茂木健一郎 @kenichiromogi

ふお(9)大人って、どんな厳しい現場でも、そう簡単には逃げられないし、結果はすべて自分に返ってくるし。だからこそ、大人どうしのコミュニケーションの基本は、「大変ですね」という共感であるべき。「不信」という言葉が幅を利かすのは、子どもから大人になる青春の一時期だけだと思う。

2012-05-05 09:01:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第585回「不信で片付けるような、大人にはならないようにしよう」でした。

2012-05-05 09:02:08