そこまでして慎重に、しかし懇切丁寧に、時にソースを引き、時に相手の主張の真意を確認し、そこまでやっても通じないことのほうが多い。それだけ「自分の意見と他人の意見を比べる」ってのは難しい。それを、一言二言で一発で通じるって考えるのは、正直【甘え】です。
2012-03-27 18:28:16「わかり合う」ってのがそんなに簡単にできるんなら、愛憎も戦争も起きやしない。武器を持つから人を殺したくなるんじゃなく、わかり合えないから言葉を尽くし、言葉を尽くしても届かないから拳で訴え、拳でも通じないから武器を持つのだ。最初から一言二言でわかり合えてたらそんな必要は生まれない。
2012-03-27 18:32:10特に日本では話せばわかりあえるという前提で人は人と向き合うのだけれど、話せば話すほどわかりあえない事が露呈してきて、ふと途方に暮れる時がある。そうなるともう話す事が無駄に思えてきて人は話し合いをを断ってしまい、完全に彼方と此方に分かれてしまいがちになる。
2012-04-27 22:05:02で、分かり合えないのが普通だから、そこから「わかる人だけ分かればいい」ということになる。つまり分かりやすいにくいは発話者や受け手によらずコミュニケーションには本質的に成立不可能性が横たわっていると考えている。
2012-03-10 10:30:42ディスコミュニケーションというのはコミュニケーション一様態なのでそれが起きるのは当然すぎるほど当然なので全然不思議ではない。そもそもディスコミュニケーションなしにコミュニケーションは成立しえない。 http://t.co/sTMLweWq
2012-03-12 08:38:33ええ、しかも「直感的にわかる」なんてありえないですよ。 RT @Aa_stealth 過去においても未来においても人間は分かり合えなくて当たり前、というところからコミュニケーションを始めるべきであるのに、「いつか人間は分かり合える」と信じている人が多いのは不思議である
2012-03-09 09:29:08村上春樹におけるセックスはコミュニケーションの手段のうちのひとつだ。まず言語(精神的な)コミュニケーションがあり、肉体的なコミュニケーションがある。そして、これはねじまき以降だけど「自己への〈他者性〉」へのコミュニケーションがある。〈他者性〉は「無意識」と読みかえることも可。
2012-05-11 00:34:07しかしこれらのコミュニケーションは失敗に終る。特に3つ目に関しては(春樹作品でよく言われる、ぶっちゃけ手垢まみれなテーマですが)他者の相互理解の不可能性だけでなく、自己を理解することも実はあやうい、という自己(私)を理解することの不可能性が挙げられると私は解釈している。
2012-05-11 00:40:08