NHK「南相馬 大町病院 ~原発事故と闘う看護師たち~」書き起こし

5月6日にNHK総合「明日へ-支えあおう-東日本大震災プロジェクト」で放送されたものを文字起こししています。
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冒頭のVTR

とし @toshihiro36

<ナレーション> これは原発事故に翻弄され、苦悩する看護師の記録です。 急患です。82歳の女性がベッドから落ちました。原発事故で避難を強いられた人たちの中には、環境の変化やストレスから体調を崩す人もいます。 この女性は福島市で避難生活を送っていました。

2012-05-06 11:26:17
とし @toshihiro36

<ナレーション> その疲れから骨粗しょう症になり、骨折を繰り返していました。 大町病院の看護部長、藤原珠世さんです。入院患者の受け入れを担当しています。大町病院のベッドは満床に近い状態が続いていました。

2012-05-06 11:33:56
とし @toshihiro36

藤原:たまたま昨日、お一人お帰りになったんですよ。そこに入れていただくってことで、今お話しました。

2012-05-06 11:37:03
とし @toshihiro36

<ナレーション> 最後のベッドを使うことで、なんとか受け入れることができました。 原発事故以来、周辺の病院のほとんどが入院患者の受け入れを制限しています。 このお年寄りは97歳、かかりつけの病院で入院を断られ大町病院に運び込まれてきました。

2012-05-06 11:41:24
とし @toshihiro36

患者の家族:薬が・設備がないのか、誰が足りないのか受け入れることができないと。それで大町病院のほうにお願いしたら、引き受けますと。

2012-05-06 11:44:36
とし @toshihiro36

<ナレーション> 南相馬市では受け入れられる入院患者の数が、震災前の半数以下に減っています。

2012-05-06 11:47:30
とし @toshihiro36

藤原:本当に使命感だけでは仕事ができないというふうにね。国や県が本気になってこの地域医療をね…南相馬市の医療をどうするのかを考えてくれなかったら、みんな潰れちゃうっていう状況。

2012-05-06 11:50:36
とし @toshihiro36

<ナレーション> 患者を受け入れられないのは人手不足が原因です。放射線への不安から、医療スタッフの流出に歯止めがかからないのです。特に子どもを持つ働き盛りの看護師の多くが病院を離れていきました。全国に散り散りになった看護師たち。看護部長の藤原さんは病院に戻ってほしいと呼びかけます

2012-05-06 11:57:15
とし @toshihiro36

<ナレーション> しかし、放射線への不安は拭いきれません。

2012-05-06 12:04:43
とし @toshihiro36

看護師:戻りたくても戻れない。すぐに戻れるだろうと思って、避難したんですけど。なかなか戻れなくて…(涙)。

2012-05-06 12:06:46
とし @toshihiro36

藤原:百何人の職員がいたのに、みんな散り散りばらばらになってしまって…もう頑張ろうと思っても、頑張りきれない…

2012-05-06 12:57:49
とし @toshihiro36

<ナレーション> 南相馬・大町病院…原発事故と闘う看護師たちです。

2012-05-06 12:59:43

ここから本編です

とし @toshihiro36

<ナレーション> 大町病院は東京電力福島第一原発から25キロ、南相馬市原町にあります。去年3月11日大津波が襲いました。大町病院と提携している老人保健施設「ヨッシーランド」では37人が亡くなりました。重傷者が次々運び込まれ、200人近い患者を診なければなりませんでした。

2012-05-06 13:05:03
とし @toshihiro36

藤原:患者さんは泥だらけで「どんどん拭いて、どんどん拭いて」っていう形で乾いたタオルで拭いたあと、ここに全館から暖房機を集めて暖房を焚いて。それから休みの人も(勤務)明けの人もほとんどみんな集まってきた。何とかなるかなと思ったんですね。大変だけども乗り切れる状況だったんですね。

2012-05-06 13:12:00
とし @toshihiro36

<ナレーション> しかし、原発事故が状況を一変させました。事故直後、福島第一原発から20キロ圏内に避難指示。さらに大町病院のある30キロ圏内には屋内退避の指示が出されました。南相馬には食料や生活に必要な物資が入ってこなくなり、住民は一斉に避難を始めました。

2012-05-06 13:17:30
とし @toshihiro36

<ナレーション> 7万人いた南相馬市の人口は、一時およそ1万人にまで激減しました。大町病院には動かすことのできない患者がいたため、診療が続けられることになりました。しかし病院に残るかどうかは、医師や看護師一人一人の判断に委ねられました。

2012-05-06 13:21:56
とし @toshihiro36

<ナレーション> 目の前の患者と自分の家族のどちらを取るのか、看護師の中には避難する人が出はじめました。その時の様子を現場の看護師が手記に綴っていました。「まさか次々にスタッフが病院から消えるとは思わなかった」「泣きながら、ごめんねと言って離れていった」

2012-05-06 13:26:31
とし @toshihiro36

<ナレーション> 「放射能の心配さえなければ、きっとみんな働いていたと思う」 手記を書いた藤原百合子さん(34)、看護部長の藤原さんの娘です。去っていく同僚を止めることはできませんでした。

2012-05-06 13:30:53
とし @toshihiro36

藤原百合子:もう、みんな泣きながらですよね…去る方も、見届ける方も。たぶん誰にも答えは出せなかったと思うんですよね、あの時。患者さんがいて…でも原発が爆発して自分もどうなるか分からないという中で...患者さんを残していっていいのか。家族のために避難するのか究極の選択っていうか。

2012-05-06 13:37:15
とし @toshihiro36

<ナレーション> 「私ひとりで33人の患者をみることになってしまった」「点滴をしに行ったとき、一人の患者が亡くなっていた」「その夕方、突然一人の患者が不整脈を起こし呼吸が止まっていた」「患者一人一人のケアをするには程遠い状態だった」

2012-05-06 13:42:06
とし @toshihiro36

<ナレーション> 3月19日、入院患者が圏外の病院に搬送されることになりました。96人いた看護師は17人に減っていました。

2012-05-06 13:45:21