警戒区域が解除された福島県南相馬市小高区(旧小高町)

NAGAOKA Yoshiyuki ‏ @dokuritukisyaさんが、警戒区域解除された福島県南相馬市小高区(旧小高町)を訪れた際に撮影された画像をツイートされていたものをまとめました。
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長岡義幸 @dokuritukisya

福島 旧警戒区域にボランティア NHKニュース http://t.co/mKOZEFAf 〈連休を利用して大勢のボランティアが入り、震災から1年以上たっても残されたままになっている、がれきの片づけを進めています〉 放射線被害ばかりが強調されるなか、津波の被災支援に感謝したい。

2012-05-06 00:37:41
長岡義幸 @dokuritukisya

南相馬市生活復興ボランティアセンターのブログより http://t.co/4GwqwtMq / 旧警戒区域内(小高区・原町区の一部)を対象とした災害ボランティアセンターを開設/5月18日(金)ボランティア受付開始/原町区福祉会館で受付/活動内容:旧警戒区域内家屋内外の片付け等

2012-05-06 00:45:41
長岡義幸 @dokuritukisya

警戒区域が解除された福島県南相馬市小高区(旧小高町)の実家周辺を見てくる機会があったので、地震・津波・原発事故関連の写真のいくつかをアップ。放射能の問題ばかりが取り沙汰されているけれど、地震と津波の被害にも目を向けてもらえればと思う。それとともに、私の“発見”も。

2012-05-07 14:52:19
長岡義幸 @dokuritukisya

小高神社の境内にぶら下がっていた絵馬。震災直前に奉納されたものなら、合格していれば2年生。警戒区域内にある双葉高校は、いわき市にサテライト校を置いているという。 http://t.co/K7HX99rl

2012-05-07 14:54:08
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長岡義幸 @dokuritukisya

鳥居が倒れていた蛯沢稲荷神社。初午の日、神社の入口には赤や青、黄など色とりどりのかざぐるまが何百本も回っていたのを子ども時分に見た。黒澤明の映画「夢」を観たとき、蛯沢神社の光景とどこか似ていると思ったものだ。夢は原発もテーマにしていた。 http://t.co/C8gKIbtp

2012-05-07 14:56:45
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長岡義幸 @dokuritukisya

蛯沢神社に行ったとき、日は照り青空が見えるのに、雨が降っていた。「狐の嫁入り」だ。境内にあった狛狐は台座から落ち、首が折れていた。 http://t.co/KLLv4V7N

2012-05-07 14:58:18
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長岡義幸 @dokuritukisya

旧小高町の浦尻部落の外れにある綿津見神社。毎年8月31日、ここの境内では、相馬盆歌の歌声や笛に合わせて盆踊りが行われていた。石段の前の鳥居には津波による瓦礫が転がっていた。 http://t.co/eKNmF8Kz

2012-05-07 14:59:57
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長岡義幸 @dokuritukisya

浦尻の綿津見神社の石段を登りきり、境内を見ると、悲しいかな社殿はメチャメチャに崩れていた。 http://t.co/lBB2D9DO

2012-05-07 15:01:22
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長岡義幸 @dokuritukisya

旧小高町の井田川部落の水田は、井田川浦を90年ほど前に干拓してできた。もともと排水のための施設があったが、津波でその施設が壊れたため、ポンプを使って排水していた。その先は水田だったのに、湖のように見える。 http://t.co/gdAOgC0g

2012-05-07 15:04:58
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長岡義幸 @dokuritukisya

私が子どものころ、井田川の水田の一部は「ドブ」と呼ばれていた。田んぼに入ると腰まで沈み、「田下駄」が欠かせなかった。刈った稲を田んぼの中で運ぶための「舟」もあった。その水田が津波で再び浦に戻ってしまったかのように……。 http://t.co/bBF0LHMx

2012-05-07 15:08:03
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長岡義幸 @dokuritukisya

井田川浦の干拓を進めたのは、衆議院議員だった太田秋之助という人物。井田川のみさき公園には秋之助の銅像が建つ。その銅像は、農地解放で農民自身の土地となった干拓地を見下ろしていたが、いま銅像が見ているのは昔の景色と同じなのか。 http://t.co/aOiNg4lT

2012-05-07 15:09:16
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長岡義幸 @dokuritukisya

旧小高町の大悲山には、平安時代に彫られた磨崖仏がいくつかあり、国の史跡になっている。その磨崖仏のひとつである「観音堂石仏」を被っていたお堂は、地震で崩れ、石仏は雨ざらしになっていた。 http://t.co/b2FPk94R

2012-05-07 15:10:26
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長岡義幸 @dokuritukisya

井田川には、津波で倒れ、さらに半回転ほどひねられたようなかっこうの松の木があった。まるで、磨崖仏の鎮座する大悲山に伝わる、大蛇伝説の龍の姿であるかのように見えて、ドキッとした。 http://t.co/En5i1Peh

2012-05-07 15:11:46
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長岡義幸 @dokuritukisya

ちなみに大蛇伝説とは――。大悲山で願掛けの琵琶を弾いていた法師に、琵琶の音を堪能した大蛇が「龍に変身して大雨を降らせ、一帯を水に沈める。だが、琵琶の礼にお前を助けてやる」と告げたものの、領主に企みを知らせ、村人が洪水から逃れた後、大蛇を退治したという話。法師は大蛇に殺された。

2012-05-07 15:15:00
長岡義幸 @dokuritukisya

旧小高町には大蛇伝説から取ったとされる地名がある。退治された大蛇(龍)の耳が落ちたから耳谷(みみがい)、角が落ちたから角部内(つのべうち、つのぼうち)というように。かなり前、市原悦子と常田富士男の語りで、大蛇伝説が「まんが日本昔ばなし」のアニメとして翻案されたこともあった。

2012-05-07 15:16:45
長岡義幸 @dokuritukisya

大悲山の石仏が彫られたのは平安時代。大蛇伝説も平安時代が舞台。大津波があった貞観地震も平安時代のこと。もしや、大蛇伝説の洪水は、貞観地震の津波を伝承し、摩崖仏はその地震や津波で亡くなった人を弔うためのものだったのではないかと、いまさらながらに想像する。とりあえずここまで。

2012-05-07 15:17:57