私が考える〈ランキン・タクシー氏「原発がっかり音頭」〉の問題点

2012年5月5日、代々木公園での「原発ゼロカウントダウンパーティー」でランキンタクシー氏が歌った「原発がっかり音頭」の歌詞をめぐって、ツイッター上で議論が起こりました。それらに目を通したうえで、自分の意見をツイッター上に書きました。それをまとめたものです。
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植松青児 @uematsuseiji

私は5/5のお祝いパーティや5/6の祝勝デモなどに「既に被害を受けた方々の姿が視野に入ってるの?」と違和感を表明し続けてきたけれど、そのパーティで、カウントダウン直後にああいう歌が歌われ、参加者にブーイングされもしない光景を見ると、やっぱりこうなるのか、という気持ちになりました。

2012-05-09 00:30:10
植松青児 @uematsuseiji

それで、ランキンタクシー氏の問題の歌(「原発がっかり音頭」)について、解釈論っぽい議論が行われていましたが、私はというと、解釈以前?のところで、あの歌は大問題だと考えています。以下にそう考える理由を述べます。

2012-05-10 01:54:13
植松青児 @uematsuseiji

まず前提を述べますが、私たちの社会には、既に原発事故によって「大事な故郷さようなら」せざるをえなかった方々が存在します。そして、その方々もライブ会場やyoutube等で、「原発がっかり音頭」を聴く可能性があるでしょう。

2012-05-10 02:00:29
植松青児 @uematsuseiji

私たちも今後「大事な故郷さようなら」を余儀なくされる可能性がありますが、しかし可能性ではなく100%の現実として、既に「大事な故郷さようなら」を余儀なくされた方々が居られます。

2012-05-10 02:04:59
植松青児 @uematsuseiji

さて問題の曲の1番の歌詞は、「明るい未来のエネルギー/甘い言葉に踊らされ/大事な故郷さようなら/いくら泣いても後の祭り」です。この歌詞の主語が、「大事な故郷さようなら」した人々(つまり大熊や双葉の人々)であることは明白でしょう。

2012-05-10 02:08:39
植松青児 @uematsuseiji

私は、この1番のような歌詞(とりわけ「いくら泣いても後の祭り」という部分)を、「故郷にさよなら」したわけではない横浜生まれのランキン氏が歌うこと自体が大きな問題だと思います。ある意味、解釈以前の問題だと思います。

2012-05-10 02:14:05
植松青児 @uematsuseiji

そもそも私や貴方やランキン氏が、自分以外の人間に対して「いくら泣いても後の祭り」などと述べること自体、一般的には不遜な態度ですよね(原発問題に限らず)

2012-05-10 02:26:06
植松青児 @uematsuseiji

故郷を追われた当事者が、「甘い言葉に踊らされ/大事な故郷さようなら/いくら泣いても後の祭り」と自嘲気味に歌うことは無問題でしょう。しかし当事者でない者が「いくら泣いても後の祭り」などと言い放えるものでしょうか。

2012-05-10 02:42:20
植松青児 @uematsuseiji

【ここでちょっと思考実験をします】311では岩手の大型防波堤も破れて大被害が出ました。さて誰かが「絶対完璧の防波堤神話/甘い言葉に踊らされ/大事な故郷さようなら/いくら泣いても後の祭り」などと歌ったら、当の被災者はどう感じると思いますか?

2012-05-10 02:53:28
植松青児 @uematsuseiji

【思考実験続き】「絶対完璧の防波堤神話/甘い言葉に踊らされ/大事な故郷さようなら/いくら泣いても後の祭り」などという歌詞が、(たとえ津波対策行政を批判する意図だった場合でも)被災者を侮辱していると思われても不思議はないでしょう。「いくら泣いても後の祭り」の部分がある限りは。

2012-05-10 02:59:37
植松青児 @uematsuseiji

【思考実験続き】仮に、被災者が全員「いくら泣いても後の祭り」だと感じていたとしても、それは外部の人に言われたくないし、外部の人が言っていいこととは思えません。

2012-05-10 03:02:15
植松青児 @uematsuseiji

ランキン氏の歌も同様です。仮に大熊や双葉の人が全員「いくら泣いても後の祭り」だと思っていたとしても、それは外部の人に言われたくないだろうし、外部の人が言っていいことだとは思えないのです。

2012-05-10 03:06:13
植松青児 @uematsuseiji

仮に大熊や双葉の人が「いくら泣いても後の祭り」だと実感していたとしても、外部の人が「いくら泣いても後の祭りですね」と言うのは、被災者を深く傷つける行為ではないでしょうか。

2012-05-10 03:09:37
植松青児 @uematsuseiji

「いくら泣いても後の祭り」などという言葉は、当事者が自嘲的に述べる場合を除き、発するべきではない言葉だと思います。

2012-05-10 03:22:12
植松青児 @uematsuseiji

ちなみにランキン氏の「原発がっかり音頭」とカウントダウンパーティ主催者への批判は、基本的には別々にされるべきだと思います。ただしあの歌が3/11以後に作られ、5/6杉並の祝勝デモや2/25のNNMHデモでも歌われているという事実を考えると、問題はけっこう深刻だと感じます。

2012-05-10 09:47:42
植松青児 @uematsuseiji

このように、ランキン氏の作詞意図は、とか、あの歌詞はこういう解釈もできるのでは、という論点は、私にはあまり重要だとは思えません。当事者しか言うべきでない言葉、外部の人が言ったら「言葉の暴力」になってしまう言葉を平気で歌詞にしていることが、深刻な問題なのだと思います。

2012-05-10 03:31:17
植松青児 @uematsuseiji

ですから、当事者でない者が「大事な故郷さようなら いくら泣いても後の祭り」などと歌うことは、故郷を失った当事者に対して、きわめて暴力的な行為ではないでしょうか。

2012-05-10 03:20:08