「障害は治すべき、排除すべき敵であり、排除できない限り子どもは本来の姿ではなく、そのまま放置すると迷惑をかける社会の厄介者になるだろう
- yukiyuki2525
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以下のTogetterを批判的な文脈で考察してみます。 「呪い」というキーワードから発達障害の療育を考える http://t.co/4RtuazUc
2012-05-11 12:30:32ここでいう呪いとは、「障害は治すべき、排除すべき敵であり、排除できない限り子どもは本来の姿ではなく、そのまま放置すると迷惑をかける社会の厄介者になるだろう」「障害を治し迷惑をかけない存在にならなければ愛されない」というメッセージだと定義されている。
2012-05-11 12:30:43これはものすごい極論で、障害者の人格を否定するものだ。仮に地位のある人が公の場でこんな発言をしたら、今回の大阪府条例案どころの騒ぎではない。 こんな極論を言っている人は見たことがない。一体誰が「呪い」をかけているというのか。
2012-05-11 12:31:10また「治す」というアプローチを批判しているけど、今「障害を治す」なんて言ったらトンデモ扱いされるだけ。「治そう」としてるのは誰なのか?それもよくわからない。
2012-05-11 12:31:29さらに「健常者・強者が障害者に自分たち理屈や都合を押し付けている」というロジック。療育の現場で、具体的に誰がどういう形で行っているのか説明がなく、本当にそういうことが起きているのかどうかわからない。
2012-05-11 12:31:45具体的に誰がどう「呪」っているのか全然見えてこないので、ありもしない「呪い」を勝手にこしらえて論を進めているのではないかという疑念がきざしてくる。ご本人がよく使う言葉でいえば「わら人形論法」ではないのかという疑念だ。
2012-05-11 12:32:00@_citadel もとのtogetterもうならせましたが、シタデルさんもうならしますね。で、私は障害があろうとなかろうと、社会というのものは、ある程度の呪いがある。
2012-05-11 12:48:14@_citadel たとえば、手づかみがいいか?いいじゃん。インドでは。でも日本じゃNG。人は文化をともにすごしたいという枠組みで障害があろうとなかろうと、狭める。社会性は、行動を縛るもの。
2012-05-11 12:49:18@_citadel 障害があろうとなかろうと、ある程度の縛りは必要。定型の子だって、「呪い」をかけ、縛るのが文化。それは批判されないのか?逆にいうと、どんな子も治す=文化共有の縛り(願い)で、方向付けされている。 そして何より重要なのは、存在を愛されている。
2012-05-11 12:51:32