仕事学のすすめ「人生哲学的仕事論(姜尚中) 第2回 逆境から天職を得る」書き起こし・ほぼ完全版
- toshihiro36
- 11591
- 0
- 0
- 1
冒頭のVTRが流れます
<ナレーション> 今月の「仕事学のすすめ」は、東京大学大学院教授で政治学者の姜尚中(カン・サンジュン)さんです。冷静沈着に鋭い視点で世辞問題や思想を語り、テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍しています。大学で若者たちに政治学を教え、社会に発信している今の仕事は天職だと語る姜さん。
2012-05-11 10:47:29<ナレーション> しかし、その仕事にいたるまでの道のりは苦難の連続だったといいます。在日韓国人という出自に悩み、さらに大学卒業時には就職もできませんでした。そして結婚後は妻の収入に頼る主夫生活も経験。正式に大学の教員としての定職についたのは37歳の時でした。
2012-05-11 10:52:15<ナレーション> いかにして姜さんは天職といえる仕事を得ることができたのでしょうか。2回目の今日は、姜さんが逆境を乗り越え政治学者として立ちあがった軌跡を振り返り、そこから得た学びに迫ります。
2012-05-11 10:57:53ここから本編です
野田:仕事をするとは、ただ単に日々の糧を得るためのものではありません。では社会からも認められ自分も納得できる…いわば天職にめぐり会うためには、いったいどのようにすればいいのでしょうか。秘訣に迫ります。
2012-05-11 11:04:26VTRが流れます
<ナレーション>1950年(昭和25年)に姜さんは熊本市で生をうけました。両親は戦前に朝鮮半島から渡ってきた在日1世。両親が日本名である永野という姓を名乗っていたため永野鉄男という名前で少年時代を過ごしました。住まいは熊本市郊外のバラック小屋が並んでいたという在日韓国朝鮮人集落。
2012-05-11 11:11:58<ナレーション> 人々は養豚業やヤミのどぶろく作りなどで生計を立てていました。姜さんの両親はやがて廃品回収の仕事をするようになります。姜さんの著書では、当時差別や偏見の中で懸命に暮らす家族の姿が描かれています。勉強も出来て、スポーツ万能だった鉄男少年が打ちこんだのが野球でした。
2012-05-11 11:17:50<ナレーション> 職業としてのプロ野球選手に憧れたのです。当時、在日出身の張本勲選手がプロ野球で活躍する姿は、在日の人々にとっては誇りでした。そんな張本選手を見て、母親はこう言ったそうです。「張本さんは偉かよ。野球ができれば、挑戦も日本もなかけんね。野球選手なら実力勝負たい」
2012-05-11 11:24:14<ナレーション> 母の期待を背負い、鉄男少年は一心に野球に打ち込んだのです。そして高校は文武両道で知られる、熊本県内の野球の名門校(済々黌高校)に進学。ところが鉄男少年は自分の才能の限界を感じ、志半ばで野球をやめてしまいました。
2012-05-11 11:33:45野田さんによる姜さんのインタビュー
野田:姜さんが子どもの頃、在日の方は大変苦労されたと聞いておりますが…一般論ですけれども、在日の方々の働き方というものをどのようにご覧になってらっしゃいますか?
2012-05-11 11:40:19姜:まあ親たちの世代は大変だったでしょうね。正業がなかなか無かったということもあって…言ってみれば、今はリサイクルって形で横文字化されて…でもそれは社会全体の循環構造にとっては大変な仕事になってるわけですけど。でも僕の小さい頃は、そうではなかったから。
2012-05-11 11:46:08姜:多分それをしないと…またそれしかなくて、それによってなんとか家族を養っていけるという。だから最初はかなり本人たちも嫌々だったと思います。これは生きていくための一つの術としてね。
2012-05-11 11:50:06姜:母親がどこから仕入れたのか、「張本選手が契約金でお母さんに報いた」という美談を私に吹聴して…だからステージママならぬ野球ママですね(笑)。本当言うと、それが私のプレッシャーだったんですけれども。だから勉強やっててもほめられないし、夜遅く勉強しようとすると電気を消すんですよ。
2012-05-11 11:58:50姜:それもあったし、それと多分、僕が大学まで行っても職がないと思ったんでしょうね。そうすると失望するんじゃないかと。我が子が失望するくらいなら、その道を塞いだ方がいいしという親の気持ちだったと…。
2012-05-11 12:05:38