5/12 モーリー・ロバートソン
- fukagawa_geisha
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茂木さんの考えを読んでいて思ったのは、「原子力村」というネーミングが「非難すべき対象を明確にするための、よく燃えるわら人形」であるという点。さらに、そのタームを広めている人たちも「反原発村」という意識を持った集団であること。いや、無意識かもしれないし、集団でもない、動員の革命かも
2012-05-12 23:51:59ただ、「原子力村が存在するのか」という細かい検証をうっちゃらかして、それがあるとします。つまり、政財界の原子力推進ロビーを中心にした同心円状の末端に至るまでの利益が生まれる構造。それに電気を使っている人の全部も含めて。日本のみんなが原子力村に所属しているけど、グラデーションが違う
2012-05-12 23:54:03で、「だましていた側」と「だまされていた側」みたいな感じでこの日本社会にあえて境界を作り、だまされたとされる側、つまり「原子力村以外の人たち」という集団を考えます。その中でもことさらに憤って原発の全撤廃を望む、いや叫ぶ人たちの連帯感(?)が「反原発村」なのかなと。
2012-05-12 23:56:04そういうそれぞれの「村」の境目がどこなのか、ということを考えはじめたときに妙な気分になる。そもそもそういった個々の村が実存するのだとして。東電の役員レベルは「原子力村」のメンバーなのかもしれないけど、原発立地で雇用されている人は「村を支える職業」の人なのか、「村民」なのか。
2012-05-12 23:59:35また、原発の全廃を求める意識を共有し、情報やかけ声をツィッターで拡散し合っている人々は、どの時点で目的が達成されたと言えるのだろう?などなど、そのあたりの線引きがよく見えないんですよね。全体にゆらいでいる。原子力を使うぐらいなら電気をその分使わない!とするのが境界線なのか。
2012-05-13 00:01:48それとも再稼働を仮にした場合、ある種の「すまない」という気持ちと同居しながら、電気をこれまでもより大切に使えば、そういう人は「推進派」「原子力村の住人」と呼ばれずに済むのか?…と自分で考えるうちに答えを出してしまったようです。
2012-05-13 00:03:26要は「推進の利権に群がっている連中」というのは、「脱原発村」の長(おさ)達が恣意的に決めることができるepithet=あだ名であり、かつての共産党内でヘゲモニー争いが起こったときに競合する陣営を「修正主義者」「日和見主義者」などと呼んで非難したようなものなのではないだろうか?
2012-05-13 00:05:24つまり「原発村」のメンバーとして認定されるには、反原発を高らかに掲げている論客の気に入らないポストに就いていたり、言動をすれば、すぐになれる。決めるのは反原発のリーダーたちと群衆心理。勝手に決めつけていいという代物ではないかと思います。対話がそこで不要になる。魔女裁判に類似。
2012-05-13 00:07:31おそらく「○○村」というキーワードを使って議論めいた主張をする時、論者は最初から部分的な嘘を言っているということを自覚している。そして、その嘘も含めて単純明快に描かれた世界観に「乗った!」という人もいっぱいいる。でも所詮、敵のいないところに仮想敵を作り、ワラの人形を燃やしている。
2012-05-13 00:09:34たとえばイランで学生がデモを起こし、お手製の星条旗やアメリカ大統領の人形を吊して火を放ち、「アメリカとイスラエルに死を!」と口々に叫ぶ映像があったとします。外交上の問題に対して「愛国心の発露」としてイラン国営メディアが報じ、欧米メディアは「またか」の論調になりがち。真実は藪の中。
2012-05-13 00:13:43イランはあまり日本の脱原発と関係ないけど、ちょっと連想しました。「原子力村」は反原発の意識を鼓舞するためのアイコン。ただ、この様相は多分に「村」的でもある。問題が膠着し、当事者たちが「第3の解決策」を一向に講じないあたりに、「村社会」そのものを感じます。
2012-05-13 00:15:56また別に茂木さんはこうもツィートされています:TOEFLを受験する人には「世界への道がここから開ける」、TOEICを受験する人には「日本村への道がここから開ける」とツイートした。。案外そのあたりに本質があるのかもしれない。<<これを受けて。TOEFLで能力査定すること自体が「村」
2012-05-13 00:17:26ぼくはネイティブなのでTOEFLを受験させられたことがないのですが、おそらく満点は取れないと思います。日本の中学・高校にいた時も英語の試験で満点を取ることがほとんどなかったからです。受験のために一度、ネイティブな生きた英語を忘れ、受験用の英語を学習し直して定石を覚えました。
2012-05-13 00:19:14TOEFLはここが公式サイトみたいです。 http://t.co/29F1JIXP 国際標準でテストするのだから、たとえばアメリカに移民したい人の能力を査定する上では大いに役立つかもしれない。でもそれは一面的で大ざっぱな査定基準であることも事実。
2012-05-13 00:21:41TOEFLで仮に高得点が取れたとしても、それで意識まで英語圏に通じているわけではない。そういうことの評価には主観が必要で、そもそも点数にはできないと思う。…で、何の話でしたっけ?
2012-05-13 00:23:11ああ、そうだ。仮に日本人のTOEFL平均値を上げるという教育プログラムが採用されたとして、それで日本社会の「なかなか変わろうとしない部分」が活性化するのか、つまり日本は変われる日本になるのか、という疑問を 「TOEFL」と「村」のキーワードの掛け合わせで考えていたんです。
2012-05-13 00:24:15英語がうまいけど、やはり多くの人たちが変わることを拒む、そんな日本になるのだろうか?それともTOEFL高得点で技術的に海外の情報がうんとたくさん入ってくるから、世界観も必然的に広がり、外圧に屈服しなくても自らチェンジを見出して進んでいける「日本社会 2.0」が到来するのだろうか?
2012-05-13 00:26:02こんな感じのことを茂木さんのツィートを読んで考えました。「村」というのは結局、そこに何らかのうまみがあるために変わりたくない人たちの組織的な集団を指す用語なのかもしれませんね。変化を受け入れ、自分たちから世界観を開かれたものにすれば、それはもはや「村」に呪縛されなくなる。
2012-05-13 00:27:34逆説を最後にひとひねり添えると、変わりたいのか変わりたくないのかは、最終的には一個人のレベルでしか選べないものだと思います。集団としてみんなで選んで、過ちが起きたときも責任は均等に分配されるから薄い---という考え方こそが「村」。その縛りを断ち切る勇気が日本を活性化させると思う。
2012-05-13 00:29:22@kenichiromogi あ!今返信に気がつきました。すみません、遅くて!ツィート楽しかったです。「村」を規定するときに「村の中」と「外」が生まれるわけですが、「原子力村」なる言い方だと、言った人は気持ちよくなる一方で、その境界線がゆらぎに満ちたものに思えました。
2012-05-13 00:36:12