今回は欧州各国のジャーナリストやメディア研究者と議論する時間がふんだんにあったので、非常に実入りが多かった。共有して置いた方が良いかな〜、と思うことをメモがてら。
2012-05-13 15:37:39予想通りというか、各国の福島第一原発報道の基調トーンは、それぞれの国の記者/研究者から見ると「日本はああなったが、ウチは大丈夫」。→
2012-05-13 15:40:10→で、「日本がああなった」理由付けは、技術的な問題に帰するには説得力が足りない(∵日本は技術力が高いという前提)ので、もはや棄却されたはずだった情緒的なステレオタイプが亡霊のように顕れて果たす、と。例えば、「メンツ」とか「恥」とかの概念。→
2012-05-13 15:41:29→イヤそれ違うだろ、というのは少し事態を細かく追っていたこっちの人々も感じていたみたいなので、その点はやたら尋ねられた。どう総括する?と尋ねられての僕の回答で、説得力があったらしいのは「情報過負荷状況における社会的/政治的な機能不全」ということ。→
2012-05-13 15:43:46→特に「機能不全(malfunction)」、という言葉を使って始めて、3.11を巡る問題を相対化して自分の国にも起こりうる問題として議題に出来る気がする、と某国記者。/まぁ特別凄いこと言ってるわけじゃないのだが、だからこそミスコミュの根深さを思い知りましたです。
2012-05-13 15:47:19あと、「日本の報道機関はなぜデモを報道しないのか」については、日本通の人々からぼっこぼこに言われた。細かくは書ききれないが、いずれも批判はまっとうで、日本のジャーナリストの大半は、しょんぼりするしか無いと思う。ひとつだけ書くと:
2012-05-13 15:48:50→「自分たちの世代がデモに失敗したからと言って、現代のデモを冷笑的に捉え、意見の不統一や主張の一貫性の不備を理由に報道しないなどということは、絶対にあってはならない。デモは現象そのものが民主的な症状の発露であり、その症状を正確に伝える必要がある。診断を勝手にしてはならない」
2012-05-13 15:51:35o0( まぁ、けっこう刺さるんじゃないでしょうか。逆に言うと欧州の(パリ五月革命とかの)かつての革命の闘士だった記者さんたちも、デモを報道するときにはかつての自分の若気の至りを思い出して、ちょっともにょもにょした気分になるみたい。(でもそれと報道するしないは別、という議論の流れ)
2012-05-13 15:55:09