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日本の小説のなかで女の子が殺されてきた歴史について。

村上春樹さんを論じた「女の子を殺さないために」(川田宇一郎著)に刺激されて、書きました。私もずっと思ってた。なんで、日本の(本当は西欧の文学も)、魅力的な女の子は死ぬのかって。それについて、真夜中に考えたことです。 「女の子死ね死ね」は映画でもあります。続きはブログで。 http://yaplog.jp/akane-y-dairy/
文学 書籍 女の子を殺さないために
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山田あかね @aka720 2012-05-13 07:55:23
昨夜読み終わった「女の子を殺さないために」でいろいろ考えることあって、考え込んじゃって朝になってしまったというわけ。
山田あかね @aka720 2012-05-13 07:58:19
「女の子を殺さないために」が言及する日本文学に出てくる「女の子」たちってそもそも、私などまったく重なる部分のない女の子たちであった。殺されようが生かされようが、そもそも、「女の子」という種類は一応同じだけど、かすりもせんわけです。そんな女の子はどこにも最初からいなかったんだよ。
山田あかね @aka720 2012-05-13 07:59:59
けど、一部のいや、たくさんの女の子たちは、そういう物語を内在化できたのかもしれない。殺される側に感情移入できて、うっとりとできたのかもしれない。私にはわからんが。
山田あかね @aka720 2012-05-13 08:01:29
ちがうか。自分も一時は「もしかして、自分もこの、女の子役をできるかもしれない」と思って試みて生きてきたのかもしれない。全戦全敗だけど。で、そういうものとは一線を画した物語が90年代以降に生まれたと思っている。それをあと押ししたのは、文学少年でも少女でもなく、「経済」ってやつ。
山田あかね @aka720 2012-05-13 08:02:43
つまり、「売れる」って視点が出てきたとき、「買い手」であるリアル女の子の存在が初めて認識された。これらリアル女の子たちは、殺されたり生かされたりされている女の子物語にうんざりして、違う物語を探し始めた。自分に似た人の出てくる物語をね。
山田あかね @aka720 2012-05-13 08:04:30
ざっくり言えば、文学の畑はたいへんこの分野は不毛であって、相変わらず、殺されるか助けてもらうのを待っている女の子ばかりが主流だったので、こぼれた人たちはマンガとかテレビドラマに流れました。こっちは「売れる」ことが第一の指標なので、文学爺から自由だからね。
山田あかね @aka720 2012-05-13 08:06:25
ついでにいうと、映画爺もね。メインカルチャーってだって、女の子が死ぬ話なんだもん。19世紀のヨーロッパの(ざっくり言い過ぎだけど)文学でもたいてい元気のいい魅力的な女は最後に死にます。「アンナ・カレーニナ」とかね。→参照、私の映画へ。
山田あかね @aka720 2012-05-13 08:08:27
だから、ずっと、どんなことしても、死なないで、生き延びる女の子の話を探して来ました。で、足りないから書いたり、撮ったりしてきましたよー。それでも、「女の子死ね死ね」ストーリーは強いですから。すぐ殺しにやってきます。
山田あかね @aka720 2012-05-13 08:10:11
なぜ、女の子は殺されないといけないのでしょうか。なにも殺人だけじゃないです。病気でも自殺でも可なんですけど。答えは、「おばさん」になってほしくないからです。ほっておくと、女の子はおばさんになりますから、それはとてもイヤなんですね。文学爺や映画爺たちはね。
山田あかね @aka720 2012-05-13 08:12:03
けど、実は、女の子はみんな、おばさんになるわけじゃありません。おばさんでも女の子でもない別のものになります。なんでしょうか。はい。普通の人間になります。それだけのことをなんでずっと恐れているのでしょうね。けど、普通の人間だとドラマが作りにくいという、製造上の秘密もある。
山田あかね @aka720 2012-05-13 08:14:24
けど、その製造上の秘密というかスタイルというか形式は、すでに、使われすぎて飽きられているので、そろそろ、その手をゆるめていい時であります。というか、すでに殺されない女の子たちが生き延びて、自由にやっておる。殺す側に廻るひともでるほどでね。
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