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例のお二人の音楽批評論争から派生した批評についてのお話いろいろ

激論!音楽批評とは? -高橋健太郎 vs. 微熱王子-  http://togetter.com/li/301495 がきっかけで湧きでた音楽批評に関する発言あれこれ。 ※個人的なメモのつもりでまとめたので勝手に発言足したりしますし、編集もしません。 続きを読む
音楽
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アルテス鈴木茂 @suzukisgr
それ以外になにかありうるとしたらなんだろう? RT @kentarotakahash それでも、「私にはこう聞こえた」を拠り所とする。そこだけは決して譲ってはいけない。それが僕の批評に対する考え方だ。
kentarotakahashi @kentarotakahash
そうかもしれません。が、録音物として固定された音楽でさえも、どのように聞こえるかは、時とともに変わります。QT @mmdopeonwax メインの批評対象が「作品(商品)として流通した録音物」である、という基本条件が変わっていない以上、「一貫せざるを得ない」面があると思うんです。
kentarotakahashi @kentarotakahash
時ともに、聞こえ方がポジティヴな意味で変わっていく音楽が、古典/クラシックと呼ばれるのではないか、とも思う。
近藤 真弥 @masayakondo
微熱王子さんという人の「説明に必要な資料や言質を引っ張ってくるのがプロ」ってのはちょっとなあ。「説明に必要な資料や言質」であるかを決めるのは読者さんだし。これは健太郎さんの「面白いか面白くないかは読み手が決める」と似てるかも。 http://t.co/w6V8UHQ1
kentarotakahashi @kentarotakahash
そこで、批評家の役割について、あらためて考えてみる。同時代の無数の作品の中から、これはクラシックとなる、というものを選び出す力を持っているのが、優れた批評家ではないか。
kentarotakahashi @kentarotakahash
同時代の無数の作品の中から、これはクラシックとなる、というものを選び出す。もし、それが批評家の役割だとしたら、そこでは批評家は「今日、私にはこう聞こえた」ものが、1年後には違った聞こえ方をする、10年後にはまた違った聞こえ方をする、そんな未来を予見しなければいけないことになる。
kentarotakahashi @kentarotakahash
逆から見れば、クラシックになりうる作品というのは、ある時点で固まってしまった定説のようなもので、批評家がそれを語り続けることを許さない。そんな作品の前では、批評家の一貫性はずっと揺さぶられる。
kentarotakahashi @kentarotakahash
一人の論者としては、自分の言説を一貫させたいというのは、当然の欲求だ。だが、批評家は、その一貫性を放棄させるような作品を探し当てないといけない、という皮肉な運命を背負っているのかもしれない。
kentarotakahashi @kentarotakahash
あるいは、それは音楽を批評することにおいて、とりわけ、そうなのかもしれないな。
kentarotakahashi @kentarotakahash
まったく、そうは思いません。 QT @redtrek1958 作り手と聴き手とは価値観が違うわけで、評価家は聴き手側の同時代的代弁者ということなのではないかと。同時代性が大切で、未来は未来の評論家に任せれば良いと思います。RT @kentarotakahash
kentarotakahashi @kentarotakahash
それは普通過ぎる物言いのような。社会が変わっていく中での変わらない価値は、意味が変わることによってこそ、保たれるのではないですかね。 QT @ak_msy @kentarotakahash 逆に、時代によって変わらない価値を見出してるとも言えるのではないでしょうか?
@onban_jidai
エンタメvsデータ重視みたいな図式は、世界中に批評家が2人しかいないんだったら仕方ないけど、すばらしい書き手は百人以上います。その人数だけ類型(パターン)はあると思ったほうがいいのではないでしょうか? 議論の場合は抽象化しないで、1人1類型として実例出すのが効率的と存じます。
kentarotakahashi @kentarotakahash
さすが、プロですね。 QT @TBotaku 微熱王子さんという人の「説明に必要な資料や言質を引っ張ってくるのがプロ」ってのはちょっとなあ。「説明に必要な資料や言質」であるかを決めるのは読者さん
@onban_jidai
また、議論の主語がカギカッコつきの「音楽」や「客観」「自意識」であったら、そりゃケンカにもなります。カギカッコ内の概念の定義は、発してる本人にしかわからないのですから、それに乗っかってきた相手の理解はほぼ誤解でしょう。
kentarotakahashi @kentarotakahash
たいていの音楽は、新しい意味を獲得できず、価値が減ずる方向で聞こえ方が変わるだけなんじゃないでしょうか。QT @ak_msy @ なるほど。単純にいいものはいいという安定ではなく、未来の文脈の中で価値を保ち続けるため、新しい意味を持ち続ける変化を出来るものってことですね。
moisi @maoisi
面白かった。「感想文」と「批評」の二項対立しかないのが議論を不毛にしている気がするな。もうひとつ「論文」ってのがあるでしょう。 RT @gogonyanta: 「激論!音楽批評とは? -高橋健太郎 vs. 微熱王子-」http://t.co/kF8womXF
moisi @maoisi
微熱氏は感想文じゃなダメで論文を書けと言っているのだが、高橋氏は論文じゃダメで批評を書けと言っている。だから嚙み合わない。文芸批評の世界では感想文<論文<批評の順に高級になっていくものだというのが常識なので私は高橋氏の言うことが非常によく分かる。
moisi @maoisi
まあ批評は一歩間違うと感想文に転落してしまうし論文よりも低級な批評も流通しているので微熱氏の慨嘆も分からないではない。しかし高橋氏はそういうもの分かりの良さは見せずにバッサリ斬ってますね。それはそれで見事な態度だと思います。
アルテス鈴木茂 @suzukisgr
強く同感。RT @isoberyo 先日、大谷能生さんとその話にもなったけど、音楽は掘ってても、音楽批評は掘ってない人が多いんだな。“良い音楽批評”の定義が狭過ぎる。その点、『音盤時代の音楽の本の本』は入門編としていいんじゃないでしょう〜 http://t.co/UD622uvZ
アルテス鈴木茂 @suzukisgr
音楽を「紹介」するって、簡単なことじゃないと思うんだがなあ。
kentarotakahashi @kentarotakahash
雑誌の場合は、それと文字量のかねあいですね。QT @summerbreeze_1 面白い論もデータで裏付けされてあれば説得力が出るし(そのことで読み物としての魅力が増すかどうかは別)、Diacogsなんかのデータもその選択と組み合わせで面白い論になりうると思ってる。
kentarotakahashi @kentarotakahash
あの議論に参加していたほとんどの人が誤解しているのは、批評が、対象となる音楽から独立して「読める」ということは、その音楽を聞いたことがない人でも、読んで意味をなすということです。QT @summerbreeze_1 面白い論もデータで裏付けされてあれば説得力が
kentarotakahashi @kentarotakahash
「その音楽を聞いたことがない人でも、読んで意味をなす」ようにする方法は幾つかあるかもしれませんが、どういう音楽か分かるように記すのが、ポピュラーな方法でしょう。そのためには基本データを押さえねばならないし、バックグラウンド理解も必要です。 @summerbreeze_1
kentarotakahashi @kentarotakahash
ある批評家が、批評の在り方に対して、どういう考えを持っているかと、その人がどういう批評文を書いているかは、まったく別の問題だ。昨夜、話した人などは、そのことが根本的に分かっていなかった。
kentarotakahashi @kentarotakahash
ある人は、その批評がその音楽から独立しても読める(その音楽を聞いたことがない人でも意味を持つ)ようにするために、徹底して、データで埋め尽くすかもしれない。批評がその音楽から独立しても読めるようにするための方法は、文学になることだけではない。
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