- yaoki_dokidoki
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編集後記によれば、『辺境私論』平成24年春号は、同名のサークルによって製作されたもの。特筆すべきは、東京?の麻布高校2年生を中心に編集されたもので、執筆者も5名となかなかバラエティに富んだ編集になっていました。
2012-05-12 17:04:34指導者についての記述はないので、ほんとに自力で作ったのかなという印象です。高校生が評論誌を作って売っていることに感動して買いました。
2012-05-12 17:07:43表紙については、『辺境私論』「テーマ:青年」というふうに硬派なデザインになっており、なにやら文字がかすれて筆書されている。あとで気づいたが、これは「LOVE PUNK」が横倒しになっているだけだった。 http://t.co/4ewaQPnl
2012-05-12 17:11:32おなじく硬派なセカンドアフターを除いて、可愛かったりセンセーショナルな感じのデザインが表紙としては今っぽいかと思うのだが、巻頭の中原遼太さんの檄文の硬さからも伺えるとおり、これは編集の方針のひとつなのでしょう。ちなみに、セカンドアフターVOL.2の表紙は実は苺ましまろらしいw
2012-05-12 17:15:27テーマとして掲げられている「青年ーーぼくたちを揺さぶっているモノはなにものか?」については、ちょっとびっくりした。なぜなら、ぼくならおなじテーマを示すのに、おそらく「青春」「少年」ということばをつかったと思うからだ。
2012-05-12 17:19:35本書の大熊美憂さん「言葉から読み取る青年の本質」にもあるように、現在のかれらの世代を示す今風のことばは、青年ではなく、若者であると思う。
2012-05-12 17:24:46だけど、「若者」をテーマにおいたときに、いまだと職がないとか未来がないとかそういったネガティブなイメージを引き出してしまうはたらきもでてきてしまうかもしれない。「青年」は、そういったことばにアンチのはたらきがかかるように選ばれたことばなのかもしれない。
2012-05-12 17:30:49とりあえず本誌は「青年」ということばをめぐって編集されている。主宰の中原遼太さんによる巻頭言「ぼくら自身のことばのために」の表題は、かつて自分が作った音楽批評誌の巻頭言を思い出して共感をおぼえた。
2012-05-12 17:34:48この巻頭言はまるで檄文のように、強烈めのレトリックが用いられている。ここでは、『辺境私論』発行によせて、「歴史」のもつ抑圧に負けることない勇気をもって自分たちのことばを書くという決意が述べられている。
2012-05-12 17:38:40「しかし、学ぶ必要があるということと無知ゆえに行動を阻まれるということには何の因果関係も無かった」(辺境私論、p.3)
2012-05-12 17:40:02こういう憤りはよくわかるが、率直に文章によって表明していることから、中原さんの個人的な環境や、文学的な背景に思いを馳せずにはいられない。
2012-05-12 17:43:40率直に、面白い批評を書くための問題設定、というふうに考えると、「青年」をテーマに置くのはハードルが高いのではないかと想像される。というのは、対象に「自分たち自身」が含まれてしまっているからだ。
2012-05-12 17:54:33大熊美憂さんの評論「言葉から読み取る青年の本質」は、明治以降の「青年」ということばの歴史を追いながら、現代における「青年の喪失」について考えるもの。
2012-05-12 18:04:36大熊さんは、「青年」ということばの用例として、幕末の「遊墨水記」、明治7年の『学問のすゝめ』、明治9年の『教育雑誌』、明治13年の基督教青年会の設立を挙げて、次のように述べる。
2012-05-12 18:10:34「今まで年齢的な部分でしか定義されてこなかった『若者』に、未熟さや新鮮さ、さわやかさ、大きな野心、それらをすべて含めた、今までの若者との異質性をはっきりと示すために『青年』ときう言葉がある」(辺境私論、p.5)
2012-05-12 18:12:51個人的には、歴史的な流れをおさえると同時に、その語のもつ表現上の意味を検討する視点に、批評的な価値を見いだすことができた。「色の青」「方角は東を、季節は春を」「五行の木と対応しており(中略)『春』の象徴」(辺境私論、p.5)などの指摘に。
2012-05-12 18:18:17このようにして抽出した「青年」ということばと、現代の若者の実情をならべ、大熊さんは「青年の喪失は紛れもない事実として認識されたと言っていいだろう」(辺境私論、p.8)と述べる。
2012-05-12 18:23:32「恵まれた環境の中で惰性に生きる若者。そこに青年の意志(野心)はなかった。一度色を持って輝いた青年の青き闘志は、時代と共に色褪せ埃をかぶった。そしてそれは私たちだ。」(辺境私論、p.8)
2012-05-12 18:27:45つづき。「私たち、平成に生きるティーンエイジャー、『若者』は毎日を無気力に生きてないだろうか。無関心に生きてないだろうか。『若者』ということを盾に理由なき反抗を起こし、逃げてはいないだろうか」(辺境私論、p.8)
2012-05-12 18:29:57結論から見れば、この論は現代における「青年の喪失」にたいする批判となっている。この場合、過去の「青年」と現代の「青年」を対比させて論じることが、結論まで読者をみちびくわかりやすさになるとおもう。
2012-05-12 19:01:15