「批評」と「レビュー」の狭間で――アニメを語るって何だ?

アニメを語る際によく用いられる軸には「面白い-つまらない」「好き-嫌い」の二つがある。@simada_netさんは、全てを語り手の体験等のもとに引き受けるかのような後者の語り口に比して、終極的かつ投擲的な前者の語り口に抵抗感を覚えた。果たしてアニメを語る際に客観的な物言いは排除されるべきなのかがまず問われ、私@rasiel9713が固執する「レビュー」と構造主義的だったり分析的だったりする「批評」という二つのスタイルの差異が徐々に明らかにされていく。このプロセスは多くの人々を巻き込んで、アニメ語りというものがどんなものか、そしてどうあるべきかという根本的な疑問をさらに膨らませるのだった。変曲点としての@kain1173さんの発言にも注目されたい。
批評 学問 主観 アニメ 思想 客観 レビュー 嗜好 語る
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Rasiel @rasiel9713
…? RT @kain1173: RT @simada_net: 「好きだ」「嫌いだ」。それならまだいいけど、「つまらん」「おもしろい」。これしか評価軸が無い人は作品について喋る必要はないんじゃないかな、と思う。
@simada_net
@rasiel9713 あー、すみません。言論統制したいわけじゃなくてですね。私は自分の○○という体験と照らし合わせて好きだ、嫌いだ、というなら多様性を保持できるんですが、、「つまらん」「おもしろい」、というのはどうも一般性を孕んで対象を評価する文言に聞こえるんです。僕には。
@simada_net
@rasiel9713 で、作品と言うのはある時代状況のある人たちの手によって出来ているので、その辺のことを考えて見ていくと、どんなクソアニメでも「こんなクソアニメが大量に作られているのはなぜなのか?」みたいな問いが自然に発生するのでどうしても面白くなってしまうんです。
@simada_net
@rasiel9713 よって、「つまらない」ことを「自分が嫌いだから」以外の理由で証明することはおそらく不可能と言うか…これはまあ、極端な話しですけども。だから好き嫌いを何とか説明しようとする言説は僕は貴重だと思うんですが、(続く)
@simada_net
@rasiel9713 「つまらない」ことを一般化して説明しようとする言説に僕はどうしても抵抗感を覚えるというか・・・すみません、あんまり上手く説明できていませんね。っていうか僕のこれ自体、「つまらない」言説を一般化しようとする言説ですね(汗)すみませんでした。
Rasiel @rasiel9713
@simada_net 今までの自分のレビューを考えると、つまらない背後にあるのは自分の主観なのにも関わらずそれを客観的に偽装していた可能性が確かにあります。でも、主観を前面に押し出して「俺がこう思うから」「俺がこういう経験してるから」嫌いなんだ、という話し方はしんどいですよ。
Rasiel @rasiel9713
@simada_net 好き嫌いに主眼をおいたものは確かに貴重である種面白いですが、読み易さの点から言うとかなり読みづらいです。というのも、我々にはその人の視点を共有することができないわけだからです。
Rasiel @rasiel9713
@simada_net 私も一般論としてつまらないと書いて、「こんなを面白いなんていうのはおかしい」などということはしたことがありませんし、するつもりもありません。ちょっとひっかかるのは、面白いつまらないという軸を完全に排してレビューできるのかということなのです。
@simada_net
@rasiel9713 僕としてはまさに「その人の視点」を共有できるような説明、言説こそが必要で、それがないと退屈ですね。結局我々は「神の視点」に立つことは不可能なのですから、「こういう視点から見ると」という限定の元に語らざるを得ない。
@simada_net
@rasiel9713 つまるところ言葉(=ロゴス)によって表される面白さというのは「ある視点」の面白さだったりすることが多いはずです。新しい見方(=新しい視点)をもたらす言説が面白いということは割と普通に同意できるのではないでしょうか。
@simada_net
@rasiel9713 で、そうした新しい視点、視座をもたらすものが批評だったり哲学だったりすると思うのですが・・・(何についての新しい視座なのか、という違いはあるにせよ)
@simada_net
@rasiel9713 無論、そちらがされているレビューを批判したいわけではないです。その点、不愉快にさせてしまったらご容赦ください。「これはおもしろい」「つまらない」というレビューもかかれることは当然自由であるべきだと、僕も思います。その点においては対立は無いと考えます。
@simada_net
RT @rasiel9713: 私も一般論としてつまらないと書いて、「こんなを面白いなんていうのはおかしい」などということはしたことがありませんし、するつもりもありません。ちょっとひっかかるのは、面白いつまらないという軸を完全に排してレビューできるのかということなのです。
@simada_net
@rasiel9713 確かにそうですね。実際僕の今までのツイートだって「一般論として[つまらん]ことに言及しようとする言説は”つまらん”」という言説ですしね・・・
Rasiel @rasiel9713
@simada_net いえいえ、別に不愉快になって喧嘩したいわけでは毛頭ないです…。好き嫌いにまで開き直れればいいとは思うのですが、どうしてもそこに躊躇いがあるといいますか。例えば昔感じた都市の恐怖のせいでデュラララが見られない私の話とかさすがに誰も面白いとは言いませんでした。
@simada_net
すごく失礼な発言になってしまいますが、そのお話は凄く面白そうに感じますRT @rasiel9713: 好き嫌いにまで開き直れればいいとは思うの例えば昔感じた都市の恐怖のせいでデュラララが見られない私の話とかさすがに誰も面白いとは言いませんでした。
@simada_net
@rasiel9713 躊躇いがあるのはとてもよく分かります。僕はとりあえず「言ってしまえ!」みたいに発言していますが、自分の「好き」「嫌い」は発言したことによって、自分自身が晒されることにもなるので必ずしも薦められないというか…
Rasiel @rasiel9713
@simada_net 私は「~となってしまったのは残念」「~だったらなおよかったのに」などという言い回しでレビューすることが多いのですが、これは好き嫌いと面白いつまらんをごっちゃにしたものであるように思えます。つまり逃げ腰だということですね。
@simada_net
@rasiel9713 腐女子の方々の中に隠れている「隠れ腐女子」という人たちがおられるそうなのですが、彼女達もその辺りの危険性を直感的に察知して、隠れているのだと思います。この国ではそれは限りなく正しい処世術なのかもしれません。悲しいことですが。
Rasiel @rasiel9713
@simada_net 「お話」程度のレベルならこの話題の出し方は面白いんですよ。しかしながら自分の中でレビューはある程度整えないとなぁという強迫観念があって、ツイッターでならOKなんですけど、あんまり自分晒し的な言説をとりたくないのです。
@simada_net
RT @rasiel9713: 私は「~となってしまったのは残念」「~だったらなおよかったのに」などという言い回しでレビューすることが多いのですが、これは好き嫌いと面白いつまらんをごっちゃにしたものであるように思えます。つまり逃げ腰だということですね。
@simada_net
@rasiel9713 あ、いや、そこまで卑下されることは無いと思います。ただ、読み手としての僕がは「なぜこの人はこの展開だと残念に感じたのか」というところまで語ってもらえると嬉しいというか。だから読み手としての僕のエゴを打ち出しているようなものなので・・・
Rasiel @rasiel9713
最近構造主義を講義で重点的に学んで思ったのは、私のレビューアプローチは近代的=人間主義的だってことです。そうならなければならない必然性とか蓋然性、そして神話や物語の筋が構造によって規定されるという視点がどうも苦手。
@simada_net
@rasiel9713 自分さらしは確かに危険なので避けた方が賢明だ、という判断を支持します。するにしても、自分の中である程度準備が整ってからでないと危ないです。おっしゃるとおりだと思います。
@simada_net
RT @rasiel9713: 最近構造主義を講義で重点的に学んで思ったのは、私のレビューアプローチは近代的=人間主義的だってことです。そうならなければならない必然性とか蓋然性、そして神話や物語の筋が構造によって規定されるという視点がどうも苦手。
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コメント

へぼやま @heboya 2010年6月20日
映画評論家町山智浩曰く、「面白い/面白くない、は誰でも言える。批評家の仕事は、「何故面白いか、何故つまらないか」を掘り下げて他者に提示すること」 だとか。
へぼやま @heboya 2010年6月20日
そんでもって中野の古本屋こと京極堂曰く、「作品評、というのは、一つの作品をモチーフとした二次創作だよ。だから、全ての作品評は正しいし、同時に間違っている。二次創作である以上重要なのは、「その作品批が面白いかどうか」さ」 だとか。
戦車中平蔵 @kulbit27 2010年6月20日
RT @simada_net: 凄く簡単に言うと、もう何度目か分からないけどw、僕はらき☆すたを見て泣いたわけで…ところがネットを見たら、誰も「泣いた」って言っていない。「かがみん萌え」とかそんなんばっかりwで、「所詮ネタアニメ」で片付けられている。だから一時は「僕の感動は錯覚だったのか」と思ったわけですが…
戦車中平蔵 @kulbit27 2010年6月20日
RT @simada_net: 「いや、僕の感情に嘘も何も無いはずだ」(錯覚だとしても、錯覚を起した原因があるはず)と考え、自分の抱いた感情を何とか説明しようとして考えたり、言葉を紡いだりしたわけで。それは「この道具立てで遊びたい」という欲望とは別種の欲望である、ということです。
水星 @mercury_c 2010年6月20日
ぼくの場合アニメを漫画に置き換えた方がいいだろうけど、「アニメで語る」でも「アニメを語る」でもなく「アニメから語る」のが一番面白い。このスタンス出てないから珍しいのかな?
nagisama_kawaii @nagisama_kawaii 2010年6月20日
何か褒めたら敵作るのはしょうがないだろ。 日本の馬鹿な教育のせいで中立的感想が一番みたいな洗脳をされてるね。その考え自体も結局敵を作ってるんだから同じこと
JunWaKa @willmonia 2010年6月20日
考えさせられます
水星 @mercury_c 2010年6月20日
前コメントについての説明をまとめました宣伝ごめんなさいhttp://togetter.com/li/30547
山上 龍也(見習い) @Yamagami_Tatuya 2010年6月20日
_philo_sophiaさんが「アニメで語る」と「アニメを語る」の差は少ない、云々の背景はこれだったのね。 今後は、「作品を」だけではなく、作品に対する「需要」や「視聴者」についても話題になりそう。 ex:何故、けいおんが流行るのか? とかね
@_philo_sophia 2010年6月21日
@Yamagami_Tatuya 「今後は」もなにも、既にそういう批評はあると思いますよ。
Rasiel @rasiel9713 2012年5月1日
まとめを更新しました。
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