突発的企画、両兵衛の旅まとめ

戦国時代、豊臣秀吉のもとで活躍した両兵衛(竹中半兵衛、黒田官兵衛)ゆかりの地へ実際に行ってみよう!ということで、現地の写真付きで少しだけ両兵衛についてまとめてみたした。
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らっこ @m_lacco

突発的企画、両兵衛の旅に出てきます!今日の目的地は半兵衛の墓所!

2012-05-14 14:31:26
らっこ @m_lacco

竹中半兵衛重治の墓所なう。 http://t.co/Hiz0Jrps

2012-05-14 16:34:44
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らっこ @m_lacco

突発的企画、両兵衛の旅!一日目半兵衛編を簡単にまとめたくなったのでまとめてみます。

2012-05-14 20:53:43
らっこ @m_lacco

今日訪れたのは、竹中半兵衛重治の墓所。兵庫県三木市の平井山というところにあります。さすがにお墓を撮影するのは気が引けたので、看板を撮影してきました! http://t.co/7EGqYVEs

2012-05-14 20:57:28
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らっこ @m_lacco

竹中半兵衛重治が亡くなったのは天正七年、六月十三日。秀吉の播磨平定のなかの、三木城を攻めている途中です。京都で療養していたが、固着した戦況を知って三木までわざわざ駆けつけたのだとか。秀吉は人目もはばからず半兵衛に取りすがって泣いた、と墓所の看板にはありました。

2012-05-14 21:02:36
らっこ @m_lacco

今でも六月十三日には供養が行われている、と看板にはあるのですが、看板が古いので現在もやっているのかは不明。

2012-05-14 21:03:55
らっこ @m_lacco

電車でも不便な場所にあるからか、墓所はひっそりとしていました。ぶどう園の中にあり、ぶどう狩りのシーズンになると駅から無料バスが出るそうです。お供えもだいぶ日が経っている感じだったので、なにか持ってくればよかったかな...と思いました。

2012-05-14 21:08:00
らっこ @m_lacco

また、栄運寺にももう一つの竹中半兵衛の墓、と呼ばれる場所があるようです。どうやらこちらは一族を祀った供養塔だそうで。今日は時間が足りなかったのでそこまで回れませんでした...

2012-05-14 21:15:46
らっこ @m_lacco

像があるのは故郷の美濃、現在の岐阜県の竹中陣屋だそうです。

2012-05-14 21:20:05
らっこ @m_lacco

もし次に行く機会があれば、三木城址、そしてその城主で秀吉と二年にわたって戦った別所長治の墓所、栄運寺にいってみたいです。

2012-05-14 21:22:05
らっこ @m_lacco

ちなみに、両兵衛として知られるもう一人、黒田官兵衛は竹中半兵衛が亡くなったとき、まだ幽閉中なのです...。播磨平定で連携して戦ったためか、半兵衛は信長に殺されるはずだった官兵衛の息子(後の黒田長政ですね)を救っています。死の間際まで黒田親子を案じていたとか。

2012-05-14 21:25:11
らっこ @m_lacco

というわけで、半兵衛編終了です!半兵衛の逸話は史実かどうか怪しいものが多いらしいですが、そのぶん魅力ある逸話が多いように思いますねー。

2012-05-14 21:35:27
らっこ @m_lacco

突発的企画、両兵衛の旅!今日は二日目、官兵衛編ですねー!雨だけど行ってきます!

2012-05-15 13:27:25
らっこ @m_lacco

突発的企画、両兵衛の旅!二日目官兵衛編をまとめますねー!

2012-05-15 18:27:38
らっこ @m_lacco

今日は兵庫県姫路市、御着城跡まで行ってきました。黒田官兵衛孝高は、この御着城に小寺家の家臣として親子ともども仕えていたそうです。 http://t.co/nvvVl2sP

2012-05-15 18:31:08
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らっこ @m_lacco

この御着城は駅からだいたい徒歩十分ほどのところにあります。駅にも官兵衛のことを紹介する看板が出てました。

2012-05-15 18:32:11
らっこ @m_lacco

黒田官兵衛が産まれたのは、あの世界遺産で有名な姫路城です。当時は今のような城郭ではなく、小寺氏が家臣である黒田氏にあげた城、という扱いのようですね。のちに官兵衛は姫路城を秀吉に提供しています。

2012-05-15 18:34:33
らっこ @m_lacco

現在はこんな建物があります。東出張所、とあったのでおそらく市役所かなにかが入っているのだと思います。なんとなくお城をイメージできる建物ですね。 http://t.co/pSw0qGOU

2012-05-15 18:38:36
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らっこ @m_lacco

そしてこれが、黒田官兵衛の碑です。 http://t.co/bV0zvmrr

2012-05-15 18:39:43
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らっこ @m_lacco

さらに、黒田官兵衛ゆかりの目薬の木というのが横に植えられています。官兵衛の父がこの木から目薬を作って売ったのだとか。 http://t.co/i3YDTFWH

2012-05-15 18:41:16
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らっこ @m_lacco

あと、建物の前にはこんな顔出し看板も。御着城跡はあまり敷地としては広くなく、小さめの公園という印象でした。 http://t.co/WmJBB5eA

2012-05-15 18:46:14
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らっこ @m_lacco

黒田官兵衛は秀吉の播磨平定のときに秀吉に味方し、その勝利に貢献しました。一方、この御着城の主である小寺氏は最初信長に同調するものの後に反旗を翻したために滅ぼされます。そのため、それまで小寺姓を名乗っていた官兵衛は本来の黒田姓を名乗るようになったのだとか。

2012-05-15 18:49:02
らっこ @m_lacco

こちらは黒田官兵衛孝高の祖父と母が祀られています。 http://t.co/w9TKsaWo

2012-05-15 18:50:25
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らっこ @m_lacco

他にも官兵衛ゆかりの土地は多く、墓所もどうやら福岡県にあるようです。近くにある図書館には、「官兵衛さんの大きな夢」という絵本があり、それによると官兵衛ゆかりの土地の人たちが協力しあい、官兵衛を大河ドラマにしようという動きがあるということで...果たして実現するんでしょうか...

2012-05-15 18:53:27
らっこ @m_lacco

現地の看板の説明や、図書館の本のラインナップを見た感じ、腹黒軍師官兵衛!というイメージではなく、秀吉の天下統一に尽力し、その気になれば天下もとれた知将官兵衛!というイメージを抱きました。

2012-05-15 18:55:47