コロンブス×北川論争
中心になったのは民主主義について。要は国民主権の具体化だが、現代思想的な用語を用いれば「国民」あるいは「国民の意思」という大きな物語が(芦部時代と違って)不透明な今、その内実が問われている。その結果が一般意志2.0と国民、住民の区分という東浩紀の問題意識だろう。#kenpou2
2012-05-13 00:08:24これに憲法学が対応できていないかというと、一応熟議民主制や応答的民主制など、その「意志」の内実を問う議論はロールズ以降の政治哲学ブームもあって存在する。が、無意識という発想はないので、そこの差はある。ただ重要なのは「なぜ」96条が単純な過半数を取っていないのか。#kenpou2
2012-05-13 00:12:28これが民主主義を取りつつも、それに歯止めをかける「立憲主義」の発想。そしてこれは「法律」だけではなく「法」に淵源を持つ。また、長谷部先生の議論を借りれば、理想の国を実現するために憲法はあるのではない(ただしこれは憲法が価値中立であることを意味しない)。#kenpou2
2012-05-13 00:15:51自分の感想でした。長々と失礼しました。大変刺激的でした。北川さんに一番共感した所は憲法の自律性の議論の部分です。正にその通りかと思います。レジュメなど準備ありがとうございました。教会法はレベル高すぎて無理でした。ぜひ参考文献教えてください。皆様お疲れ様でした。#kenpou2
2012-05-13 00:21:36憲法勉強会に参加されたみなさま、お疲れ様でした!今回内容に関連して、一つだけ文献を紹介しておきます。法学教室2012年5月号『憲法学再入門』第二回「人権なき人権条項論」は、「公共の福祉」論の最先端をわかりやすく書いた論文になっています。お時間があれぜひ! #kenpou2
2012-05-13 16:05:45この西村裕一先生は幸福追求権の範囲についての北川・マイマイ説(一般的自由説)の立場です。芦部も佐藤も長谷部も人格的利益説じゃないか、一般的自由説なんて検討する必要あるの?という法学クラスタのかたもぜひ!
2012-05-13 16:26:14最後に北川さんが話された「信託とプライバシー」論は、ガチで憲法学の最先端ですがw学生むけの比較的読みやすい論文として法学セミナー2012年5月号の駒村圭吾『憲法訴訟の現代的展開』第19回を。
2012-05-13 17:04:19@shu_spring7 山本せんせいガチギレ感ありましたねーwあの研究会は前にも東さんの名前が出ていて、いつかゲスト出演とかないかなーと期待してました。
2012-05-13 18:03:57@columbus20 長谷部先生のいうように「殺人の自由」があるかどうかは疑問である、という批判はいかがですか? つまり憲法上の権利と放任行為を区別するわけですが。一般的自由説についていけないのは、権利と自由との区別がよくわからない点にあります。
2012-05-13 18:12:56@shu_spring7 一般的自由説でも、殺人の自由はあっても、そこに憲法上の権利を認めるわけではない、ということなので、自由と権利の区別はあるようです。結局、「最初に広く認めてそのあと大きく絞る」か「最初に狭く認めてそのあと小さく絞る」かで、結論はそんな変わらないんですよね。
2012-05-13 18:37:39@columbus20 そうですよねー。結論はほぼ同じ。しかし、自由と権利を区別する段階において、では何に憲法上の権利を認めるか、という基準になると、やはり人格的利益などの道徳的根拠に拠らざるを得ないと思うんですよね。切り札も恐らくそういう発想かな、と。
2012-05-13 18:57:03@shu_spring7 そこはそう思います。なんらかの基準をどの段階で持ち出すか、の違いですね。とはいえ、ツイートした論文はこれに留まらない内容なので、宜しければ一読を!
2012-05-13 20:39:03私が無限の自由を前提とし、憲法上の権利に道徳上の根拠を認めないのは、道徳に規範的な価値を認めない、つまりは実質的規範に価値を認めないという立場によるのである。 実質性を形式性に優越させては、価値観が多様化した世界の枠組が侵食されるが故に、これは多数者の専制への抵抗でもある。
2012-05-15 00:48:38殺す自由も勝手に死ぬ自由もある。無いという理由がない。だが殺す自由は他者の生きる自由と衝突することによって制約される。勝手に死ぬ自由は保証されるべき。国が全てのリスクを担保する思考が、硬直化した官僚機構や法の一般性と結合して個人の自由の範囲を制限していることを反省せねばならない。
2012-05-15 00:55:20被災地の漁師が高台移転に抗して「いや、俺は港のそばの俺の土地に家建ててえんだ」と言っても、国が「少しでも危険がある以上道路は通せません。接道条件を満たしていないので建築確認はおろせません」というのが日本。個人がリスクを比較衡量し、責任を引き受けて自由に振舞う事ができる社会を望む。
2012-05-15 01:01:51ただ、なんらかの復興計画において財産権の制約は必要になってくるでしょう。それが誰の人権を制限していないとしても。でないと自生的で無秩序な街づくりになっちゃう。 RT @ktgwtky: 被災地の漁師が高台移転に抗して「いや、俺は港のそばの俺の土地に家建ててえんだ」
2012-05-15 01:13:17芦部信喜によると「財産権は、内在的制約のほか、社会的公平と調和の見知からなされる積極目的規制(政策的規制)にも服する」(第十章三財産権の保障3)。例えば景観の規制など、突き詰めれば個々の住民の利益に還元できるのかもしれないが、それはあまりに広く薄い。
2012-05-15 01:15:00@columbus20 長谷部先生のいう内在的一元制約説への批判の要点はそこにありますよね。人権は他者との人権との衝突によってでしか制約できない、というのは嘘で、本当は景観や安全など、権利に還元できない制約原理があるはずである、と。これはその通り。
2012-05-15 01:17:10私の論に「べき」「~社会を望む」とあることから純粋な形式性や構造性で規範の根拠全てが解決しないように見える。だが、主観は論理構造の短縮に由来する。本来、価値観の多様化は個人の相互作用が形成する共同体の構造から必然的に発生し、それ故規範的価値は相互作用からしか設定し得ないと考える。
2012-05-15 01:17:23財産権の制約をしないわけではなく、制約原理があくまで自由権の衝突であるということ。外部からの制約原理の導入は正統性構築放棄、自明性への依存である。 RT @columbus20: ただ、なんらかの復興計画において財産権の制約は必要になってくる…自生的で無秩序な街づくりになっちゃう
2012-05-15 01:21:51自殺の自由、はかなり難しい問題だが、自殺関与罪や同意殺人罪は、生命という絶対的価値へのコミットメントを表明しているのだと思う。要はパターナリズムだけど、これへの評価は確かに分かれるだろうなぁ。
2012-05-15 01:22:23これは建家からすれば一番まずい。薄くないのだ。景観は個別の住民の利益であり、都市の秩序は人工的な正統性の構築、個人の衝突の調整原理そのものである。 RT @columbus20: 景観の規制など、突き詰めれば個々の住民の利益に還元できるのかもしれないが、それはあまりに広く薄い。
2012-05-15 01:25:46