武蔵さんの幼少期

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母の日

宮本 武蔵 @M_musasi1612

こんにちはに御座いまする。何やら先日は母の日と呼ばれる日だったようで。母の記憶なぞ殆ど御座いませぬが……少しばかり手前の幼少の頃の話を含めつつ、ざっと母の話をさせて頂きたく。

2012-05-16 15:10:38
宮本 武蔵 @M_musasi1612

手前には母と呼ぶひとが二人おりまする。ひとりは産みの母、於政(おまさ)殿。於政殿は手前が幼い頃に亡くなっており、殆ど記憶に残っておりませぬ。ただ、「優しい」という雰囲気だけは覚えておりまするな(´_`*)……於政殿が生きておれば、また手前の生は違っておったやもしれませぬ。

2012-05-16 15:14:09
宮本 武蔵 @M_musasi1612

母を亡くした手前は…まぁ、幼くありました故な。泣き暮らしており申した。それはもう べそべそと四六時中。そんな手前に対し、父は無情に御座いました。母が死す前に自身におこったとある事件によって荒んでいた事もあり、酒に溺れ荒々しく…子供に対しても酷く、あたっておりましてな……

2012-05-16 15:17:57
宮本 武蔵 @M_musasi1612

…父の事はまた別日にお話し致しましょうな。さて、この父が後々迎えた後妻がふたり目の母、率子(よしこ)殿に御座います。が、父につらくあたられる日々を重ねた手前は捻くれ者に育っておりましてな… まともに言葉を交わした記憶が御座いませぬ。義母も扱いの難しい子供に手を焼いておったようで…

2012-05-16 15:22:29
宮本 武蔵 @M_musasi1612

今思うと、申し訳ないと思うばかりに御座います。率子殿は、母として接してくれようとしていたというのに…… 手前は今の世風に言うと、ぐれて家に戻らず盗んだ馬で走り出す、という状態に御座いました故なぁ…(´_`;)

2012-05-16 15:26:54
宮本 武蔵 @M_musasi1612

暫くして父は率子殿と離縁し、手前は率子殿に引き取られ再嫁先の子として育てられる事となったので御座いまする。が、十三の子供ながら手前は既に大人並の腕力を持っており、まぁ悪餓鬼と言うのも憚られるような粗暴者に御座いました故、見兼ねた養父が手前を寺へと預け申した。

2012-05-16 15:29:36
宮本 武蔵 @M_musasi1612

その寺の和尚には、良くしてもらい申した。父に捨てられ、また寺に預けるという形で養父にまで捨てられたと思っておった手前を諭し、読み書きを学ばせてくれた、まことに良き御方に御座いました。

2012-05-16 15:31:43
宮本 武蔵 @M_musasi1612

…しかし、恩を仇で返した形になりましたかな……十三のとある日、和尚が止めるのを遮り新当流・有馬喜兵衛殿との立会いに望み、手前は有馬殿を長棒で滅多打ちにし撲殺致した。その後、天下に名立たる武芸者…武将となる為に旅に出たので御座いまする。

2012-05-16 15:34:35
宮本 武蔵 @M_musasi1612

さてさて、これにて母と手前の話は終いに御座います。なお、あくまでこれはここに在るこの武蔵の話として、知っていて頂けたら嬉しく思いまする。お付き合い、忝く。

2012-05-16 15:38:02

父の日

宮本 武蔵 @M_musasi1612

こんばんはに御座いまする。昨日…もう一昨日になりますが…は、父の日だったという事で。母の日に母の事を話しておりました故、父の話をしないわけにはいきませぬよな…そろそろ就寝せねばならぬ故、些か簡単にお話させて頂きたく。今より暫しの間、お付き合い下さいませな。

2012-06-19 01:40:46
宮本 武蔵 @M_musasi1612

父の名は新免無二斎、または平田無二と記録にはありますが…こちらでは無二斎と呼ばせて頂きまする。仕えている主からの覚えもめでたく、かの将軍・足利義昭様より「日下無双兵術者」つまり「日本一の武芸者」との称号を賜ったとの話もある、剣の腕のみならず十手術にも優れた武芸者に御座いました。

2012-06-19 01:44:13
宮本 武蔵 @M_musasi1612

しかしある時、主君が邪魔に思った男を討てとの上意(主君の命令)を受け、その男…己の同僚を手に掛ける事となりまする。周囲はそれを成した無二斎を非難し、更に妻を亡くした為に…その心は、暗い方へとおちていってしまったようで。母を亡くし泣き暮らす幼い我が子に怒声を浴びせ、省みぬ程に。

2012-06-19 01:48:18
宮本 武蔵 @M_musasi1612

…その幼子は、子供心に憎しみを募らせていたようで。さておき、無二斎はその後再婚し後々にその妻とも離縁し我が子は妻へと引渡し身ひとつとなり…病で死したとも、とある史料には、我が子が巌流島で佐々木某と決闘した際に、佐々木某の弟子らから逃走する我が子を己がもとに匿ったともありまする。

2012-06-19 01:54:48
宮本 武蔵 @M_musasi1612

まぁ、この辺りの話も確りと残っておるものでは御座いませぬ故、それとして覚えて頂ければ。…あぁ、そうだ。ひとつ手前と無二斎との逸話を致しましょうか。

2012-06-19 01:57:38
宮本 武蔵 @M_musasi1612

寝食を共にしながら父より剣の手解きを受けていた時期がありましてな…その辺りの話に御座いまする。とある日、無二斎が囲炉裏端で小枝を小刀で削り、楊枝か何かを作っている場に手前が現れ「その様な手つきでは怪我をしますよ」と、嫌味たらしく、一言。

2012-06-19 02:04:00
宮本 武蔵 @M_musasi1612

剣を扱う者にむかってのその言葉。まぁ、怒って当然に御座いますよな。父は手前に向かい、怒声と共に持っていた小刀を投げ放ち…小刀は手前の顔の際をかすり壁へと刺さり申した。仲の良い親子とは決して言えなかった、という話に御座いますな。てへぺろに御座いまする。

2012-06-19 02:09:05
宮本 武蔵 @M_musasi1612

ぶっちゃけるならば「くそ親父」と今だに苛っとする事が無いとは、言えませぬしな。えぇ。様々な事が重なり好んで「父」とは呼びたくないようになっておりまする。…まぁ、それは良いとして、父の話はこれにて終いと致しますかな。拙い話にお付き合い頂き、忝く存じまする。

2012-06-19 02:14:21
宮本 武蔵 @M_musasi1612

さてさて、忍殿らに吊される時間にならぬ内に休むと致しましょうな。近頃はふぁぼらず、ただ水面下に潜んでおっても存在を感知される事もあります故な…(笑) それでは、皆様に良い夜と目覚めが訪れますよう。御免。

2012-06-19 02:21:06