ルーマニアのエース、"アレク"シェルバネスクのお話。

たまにエースパイロットBOTと化すシチューさんのつぶやきをまとめました。 シェルバネスクは今年2012年に生誕100周年だそうです。
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@JerzySicz

今日はルーマニア王国空軍の伝説的“ヴナトリ”、アレクサンドル・“アレク”・シェルバネスク生誕100周年となる日だ。WW2におけるルーマニア王国空軍にて最高位の撃墜数を記録した戦闘機パイロットであるが、如何せんルーマニア王国空軍そのものがマイナーなためあまり知られてはいないだろう。

2012-05-17 00:10:19
@JerzySicz

簡単にWW2におけるルーマニア空軍の遍歴を説明しておくと、1941年ドイツが「バルバロッサ」作戦を発動した時にルーマニアは中枢国の一員として戦い、それまでにはルーマニア空軍も急ピッチで軍備が進められ、戦闘機隊にはIAR80やBf109Eもある程度まとまった数が装備されていた。

2012-05-17 00:17:27
@JerzySicz

1942年には戦争の転換点でもあったスターリングラードにおいて、ルーマニア空軍はよく戦った。シェルバネスクが飛行隊司令となって、やがてルーマニア空軍最高位のエースとなっていったのもこの頃である。1943年、いよいよルーマニア空軍の装備機種は古めかしいものとなってゆく。そこで――

2012-05-17 00:27:43
@JerzySicz

ドイツは東ローロッパにおいて最も重要だったルーマニアという同盟軍を、優れた機材で装備させることにした。そう、Bf109のG型を供与したのだ。それは3月頃だった様子である。ルーマニアではBf109Gは“ゲウル”と呼ばれた。

2012-05-17 00:33:48
@JerzySicz

この際に「ドイツ・ルーマニア王国戦闘団」なる実験的戦闘航空団が結成されている。司令はドイツのJG3で有名なエーベルハルト・フォン・ボレムスキ。シェルバネスクもここの部隊に配属され、ルフトバッフェ流の戦術を学び、経験を積んだ。

2012-05-17 00:40:17
@JerzySicz

「ドイツ・ルーマニア王国戦闘団」は6月には早々に解体される。実際、ドイツ空軍とルーマニア空軍との協同作戦は大戦中も殆どなく、部隊結成の目的はもっぱらルーマニア人パイロットにBf109Gの扱い方を教える為のものだったようだ。

2012-05-17 00:46:49
@JerzySicz

1943年8月以降は米陸軍航空隊の機がルーマニア上空に姿を現すようになり、戦いは激しさを増す。シェルバネスクはその時、本土防空ではなく東部戦線に身を置いていたのだが、8月20日に負傷、顔面に傷を残している。しかし写真ではよく監察しないとわからない程度である。

2012-05-17 00:52:51
@JerzySicz

1944年の空は苛烈。ソ連軍との戦闘は激化、6~7月頃には東部戦線にもついに米陸軍航空隊機が姿を現すようになる。この頃にはルーマニアのコンスタンティン・カンタクジノがARR(ルーマニア王国空軍)方式のスコアにおいてシェルバネスクのARR方式のスコアを抜いた。ここを少し詳しく見よう

2012-05-17 01:01:40
@JerzySicz

これまで何度も見てきているが、ルーマニア王国空軍での戦果算定システムは、一般的な「撃墜機数」ではなく「勝利点」で行われていた。つまり地上撃破、単発機の撃墜が1点。双発、もしくは2発以上の機の撃墜が3点。

2012-05-17 01:07:24
@JerzySicz

これにより、「撃墜機数」は最後までシェルバネスクがトップだが、ARR方式のスコアではカンタクジノがトップになるというわけである。

2012-05-17 01:08:51
@JerzySicz

さて話を戻し、1944年8月18日、ルーマニアのパイロットはこの日、アメリカ人と最後の空戦を行う。というのも8月25日にはルーマニアは陣営を変え、ドイツとハンガリーに宣戦するからである。しかし皮肉にもシェルバネスクはアメリカ人との最後の戦いで戦死してしまった。あっけないものである

2012-05-17 01:15:09
@JerzySicz

シェルバネスク最後の出撃時、彼のBf109G「黄色の1」は無線が故障していたという。シェルバネスクは背後に回りこんだP-51に気づかず、そして彼の僚機であったトライアン・ドゥルジャンは長機が撃たれる様をなすことなく見守るしかなかった。

2012-05-17 01:19:56
@JerzySicz

【脱線】トライアン・ドゥルジャン兵長は最終的に11機を撃墜、不確実1機、ARR方式で17のスコアを持つ。1945年2月25日、176回目の出撃でドイツ空軍機に撃墜され戦死。空戦で死んだ最後のルーマニア王国空軍“ヴナトリ”(ルーマニア語で「狩人」、転じて戦闘機パイロットを指す)

2012-05-17 01:24:14
@JerzySicz

シェルバネスク本人の物語はここで終わりだが、戦いはまだ続く。陣営を変えた今、今度はドイツ、そしてハンガリーを相手に戦わなければならないルーマニア。しかしルーマニア空軍はドイツ空軍とは友好的な関係を築いてきた。あまりにも気が重い戦いだった。

2012-05-17 01:29:42
@JerzySicz

陣営が変わって間もなくは、ドイツ空軍もルーマニア空軍も互いが戦闘を避けようとした。これは作り話の可能性も否定できないのだが、ドイツとルーマニアのパイロットが前線上空で機を並べて飛び、バンクを打って挨拶を交わしたという報告すらあるらしい。

2012-05-17 01:34:20
@JerzySicz

だが、そんなのソビエトが許すわけない。9月下旬にはソ連空軍機の“支援”のもと、トゥルダ地方で攻勢が開始される。ドイツ軍機も大勢大挙して飛んでくる。やるかやられるか、かつての戦友とに強いられた残酷な殺し合い。悪夢はこの月の終わりまで続けられた。

2012-05-17 01:41:32
@JerzySicz

以降、波乱の日はいくつかあれど、全体的に見るとルーマニア王国空軍の活動も低調なものとなってゆく。もう「敵」が飛べるような状況になかったからだ。ルーマニア王国空軍が最後に参加した作戦は、1945年5月6日に開始された「プラハ」作戦。9日「VE Day」には空軍は戦闘停止を命令される

2012-05-17 01:48:49
@JerzySicz

戦いは終わった。しかし、ルーマニアの戦闘機パイロットに日構えていた現実は厳しいものだった。ルーマニア空軍の装備は削減され、将校、士官も大勢が解除、ソ連との戦いに加わったかどで多くのパイロットも投獄された。祖国の為に戦った戦士たちにとって、あまりにも不名誉な結末だった。

2012-05-17 01:56:12
@JerzySicz

すっかり夜もふけてしまった。シェルバネスクさんに関するこぼれ話はまた今度。御機嫌よう。

2012-05-17 02:04:11

一旦シェルバネスクのお話は終わって、此処から先はこぼれ話。

@JerzySicz

それから40年間ルーマニアはソ連の衛星国であり続ける。しかし、ルーマニア王国空軍の戦闘機パイロット“ヴナトリ”たちの勇敢な行為は決して忘れられることはなかった。ゆえに共産主義体制が崩壊した今、シェルバネスクが威光を取り戻した。枢軸国への“裏切り”前に戦死した伝説的パイロットとして

2012-05-17 02:01:14
@JerzySicz

【シェルバネスクに関するこぼれ話】ルーマニア王国空軍において彼は最高位のIL-2キラーでもあり(確実10機)、またドイツ空軍からも「墜としづらい」と評された難敵P-39の撃墜も最多であった(確実7機)。スコアの内訳を見ても、正真正銘のエースなのだ。

2012-05-17 20:19:31
@JerzySicz

【シェルバネスクに関するこぼれ話】ARR方式スコアでトップ・エースとなるカンタクジノとは不仲であったとされる。というのも、シェルバネスクは正規の士官であり、歩兵、山岳兵の経緯を踏んでパイロットになった叩き上げの軍人であったが、対するカンタクジノは公爵家出身の予備役士官であったのだ

2012-05-17 20:25:05
@JerzySicz

【シェルバネスクに関するこぼれ話】そして困ったことに、カンタクジノにとって飛行機は単なるスポーツという認識が強かったようである。元よりスポーツ万能であった彼は戦前からいくつかのモータースポーツにも手を出しているが、飛行機もその内の一つだったのだろう。金持ちにしかできませぬ。

2012-05-17 20:27:33
@JerzySicz

【シェルバネスクに関するこぼれ話】ということでシェルバネスクとカンタクジノが一緒に写真に納まることは滅多になかったのだそうだ。その少ない例として、勲章授与の式典を捉えた写真では、綺麗な身だしなみのシェルバネスクと少々だらしない格好のカンタクジノとが対照的だ。

2012-05-17 20:33:50