昭和初期の『格差』について

収入による格差、地方による格差等を不時ッコ‏@bukrd405さんの連ツイから
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@bukrd405

六女は一カ月もしないうちに腹下しで、誰もいねえ家でエジコ(乳児を寝かせておく籠)さ入ったままこっそら死んでいっただ。飢饉続きでどうにもならねえ世の中だっただ。肺炎、腹下し、はしか、百日咳で死んだで、よく赤子が死ぬだ。医者へ行けば殺さねくてもいいこと、皆わかっているだ。

2012-05-22 21:19:46
@bukrd405

しだも、先立つ物は銭コだ。仕事休んで、誰が病気の赤子ばおぼって、わざわざ町の医者様まで、銭コ取られるに行くものがよ。泣きたくなるのは腹の中でじっとこらえて田仕事しながらなんとかよくなってけれと祈ってるのし。そう祈っても死ぬ者は死ぬだ。ああ死んだなと涙コもながさねでそう思うだけし」

2012-05-22 21:26:02
@bukrd405

ようやく青年期まで成長しても、また別の恐ろしい病気が待っていた。明治時代から多かった肺炎・気管支炎・胃腸炎・結核・脳血管疾患などのほか、死亡率が高い疫痢・ジフテリア・腸チフス・コレラ・インフルエンザ(スペイン風邪)等の疫病、死亡率は低いものの、他に流行っていたのは、

2012-05-22 21:32:42
@bukrd405

(承前)トラホーム・寄生虫・脚気などであった。なかでも罹病率が高く、昭和に入って死因の第1位にまで高まってきた「(全)結核」こそが「亡国病」「死病」と呼ばれて恐れられていた。昭和10年には、116万人が死亡したが、その1割以上の13万人が結核であった。

2012-05-22 21:35:43
@bukrd405

昭和7年、娘売りの状況。「秋田県由利郡本庄町附近の玉米・下郡の両村で百名の娘が売られていった。それだけではない。最近では娘の実家で、売った娘にくら替するやう強制し、その差額金を送らせてゐるものが少くない」「山形県下を通じて借金で首が廻らず、

2012-05-23 12:19:20
@bukrd405

(承前)可愛い娘を人身御供に奉って金に換えてゐるもの県下全体で四、五百人はある。そのうち最も極端なものをあげて見ると、最上郡西小国村の出来ごとでこんなのがある。この村では15歳以上24歳未満の若い娘さんが合計467名のうち、売られて行ったものが110名の23%。

2012-05-23 12:21:23
@bukrd405

此の外女中や酌婦に出てゐるものが、昭和6年11月の調べによると150名ある。これはみんな借金の犠牲だ」。「婦女子の売られてゆく勢は実に猛烈なもので、現在青森を去っている年頃の女性は約七千人に達している。その内訳は、

2012-05-23 12:24:24
@bukrd405

酌婦、1024 芸妓、405 娼妓、850 女工、1427 女給、948 女中、2432   

2012-05-23 12:27:52
@bukrd405

また昨年10月から今年9月までの1年間の婦女出稼者は二千人以上、その大部分が悪斡旋屋の手にかかっていて、一人最高二百円、最低十円という馬鹿な値段で、酌婦・娼妓に売られているが、この調子でいくとこの冬を越せない農村の子女はどれだけ身を売るか想像さえつかない状態である。

2012-05-23 12:28:32
@bukrd405

一人でも家に人間が少いのを望み、然も金になるというので東北のある地方では娘が生れるとお祝いをするところさへあるさうだ。だから子女救済はまず『娘を売るな!』の教育から出発しなければならない」結局のところ、「娘の身売り」は通算して二万人以上に及んだのではないかと推測されている。

2012-05-23 12:31:34
@bukrd405

都会と田舎で思い出したけど、太平洋戦争で旧日本軍がフィリピンを占領したとき、東北出身の兵士がマニラの豊かさを見て茫然としたという話を聞いたことがある。マニラはスペイン風の美しい街並みに、アメリカ資本が入って繁栄していたから、十分ありうる話だと思った。

2012-05-23 16:18:27
@bukrd405

さらに、東南アジアでは年がら年中コメができるから、「俺たちの故郷に比べてなんて楽な暮らしなんだ、怠け者たちめ!」と地元民に反感を募らせたという話も・・・

2012-05-23 16:21:03
@bukrd405

昭和4年の職業軍人の家計の紹介。「貧乏少尉に遺繰中尉とは昔からよく申しますが、全く穿ち得て妙だと存じます。学校配属の歩兵将校、それも中尉では二等給の月85円でございます。

2012-05-23 20:29:37
@bukrd405

家族は主人夫婦に赤ん坊、それに主婦の妹との四人暮らし、長男でない主人の田舎の両親を扶養する必要がないのがせめてもです。先ずその実態をお目にかけましょう。

2012-05-23 20:29:49
@bukrd405

住居費=21円80銭(内訳:家賃 20円、電灯 1円30銭、町費 50銭) 飲食費=36円(内訳:米代 11円、副食物費・調味料・茶菓代等 19円、酒代 6円) 被服費=3円 個人小遣=15円(内訳:主人 10円、主婦 5円) 

2012-05-23 20:37:22
@bukrd405

雑費=9円20銭(内訳:燃料 4円、新聞 1円 通信費その他 3円20銭) 合計=85円 

2012-05-23 20:37:46
@bukrd405

如何に貧弱な生活振りかこれを見てもお判りでしょう。・・・何にしても俸給の二割以上二割五分も家賃に取られるのでは薄給者はたまりません。燃料の4円というのは、水道もガスも無い家のくせに、内風呂を立てていますからその燃料、ご飯始め台所一切、座敷の炭まで入れてのことで、

2012-05-23 20:40:46
@bukrd405

(承前)冬は勿論夏分でさえ普通なら4円で足りる筈はないのですが、さいわいお隣の炭屋さんから法外な安価で分けて貰っていますので大助かりいたします。以上の家計内容では、世間普通の中流家庭と比べて、まだまだ足りない費目の沢山あることにお気付きでしょう。

2012-05-23 20:42:40
@bukrd405

例えば、交際費、医薬費、娯楽費、家具費、育児費などです。又、保険料も貯金も税金も右の表には計上してありません。いかに貧乏していましても、そうした費用が少しも要らない訳はないのですが、それは到底月々の家計から捻出する余地がございませんから、やむを得ず別に特別会計の帳面を拵えまして、

2012-05-23 20:45:13
@bukrd405

(承前)月計によらずに年計にいたしております」。 この主婦が特別会計といっているの年二か月分のボーナスや講演料収入などで計約200円入ることで、これで軍服、定期券、保険料、医療費などをまかなっている。苦しい薄給者といいながらも、定収入が保証されている中級サラリーマンは、

2012-05-23 20:47:39
@bukrd405

(承前)失業者はもとより、小額収入もままならない農民、商人、職人などよりも、圧倒的に恵まれていたことがこの例からもわかる。

2012-05-23 20:48:53
@bukrd405

@jonathanohn @secretaria1988 @geppeeee @tokoyo @umemen11 @kingbiscuitSIU 纏めてくださってありがとうございます。引用先はhttp://t.co/zg3269Mv『昭和前期の家族問題』

2012-05-23 08:03:17
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